『それじゃあね。あそこの角を曲がってすぐのとこにいるから。』 「…なにしてんすか、」 その言葉に顔をあげれば、どことなく怒ったような顔の綴が目に入る。彼の顔にかかる橙の光に、ああ、随分と日が落ちていたのだなあと気がつく。 「何って、待ち合わせ。」 「………いつから待ってんすか?あいつ、来ないと思いますよ。」 「…そんなこと、」 そんなこと、わかっているよ。と言おうとした言葉は続かなかった。途絶する思考。随分と待ちくたびれてしまっていたらしい。わたしは小さく微笑んで綴の顔をまじまじと見返す。走ってきてくれたのだろうか、彼は随分と息を切らしていた。 「…皆木、今住んでるところここから遠いよね?わざわざそれを言いにきてくれたの?電話とかでよかったのに、」 「……先輩、俺が電話したところで帰る気がしなかったから。」 「あはは、さすが苦労人。」 笑っているのはわたしだけだった。けらけらと空回りするような笑い声をあげるわたしを、ずっと黙って見下ろすだけの綴を見ていれば、段々とその笑い声も尻すぼみになる。黙り込んだわたしを見て、ようやく彼は「はあ、」と息を吐いた。 「……行きますよ、」 「…………どこへ?」 当然の所作であるかのように彼が腕を引こうとするのに、立ち上がれないわたし。わたしたちの指先は不確かにつながって、ぷらりと宙に浮かんでいた。真意の読めない綴の目を、何故だか覗き込むことができずわたしはその指先をぼんやりと見つめるだけだ。 「…先輩があいつと行くはずだったとこ、」 言いながら綴がぐい、とその手を引く。思わず目を見開けば今度は彼が気まずそうに目をそらす番だった。 「………もう映画、見ようと思ってた回終わっちゃってるよ。チケットだって払戻せないし「買い直せばいい、」 強い口調だった。日頃温厚で、他人に気ばかり使っていて、苦労人な皆木綴とは思えない口ぶりだった。 「…チケットくらい、買い直せばいい。あんたが行きたがってた店も、見たがってた映画も、いくらだってやり直しがきく。」 膝に乗せた鞄がいやに重かった。ああそういえば、あの人にどうしても見せたい本があったのだ。それから聞いて欲しい話が、たくさん。でもきっともう、その話をすることはないのだろう。きっともう二度と、会うことはないのだ。そう思えばなんだかほんの少しだけ笑える。 「……皆木は優しいね、」 「……優しい、すか。弱った女に付け込もうとして、挙句の果てにそんな男忘れろだなんて言ってるのに?」 「…あはは、それをきちんと言えるところが皆木の優しさだよ」 言いながら、座っていたベンチからゆっくりと腰をあげる。その弾みで緩んだわたしたちの指先を、綴がぐっと強い力で握りしめるので目を見開く。ああ、大丈夫だ。と思った。長い長い長い待ち合わせだった。けれどひとりではなかったのだ。想い人を待ち続けていたのはわたしだけではない。むしろ、ずっとまっていたのは、 「……もしかして皆木、こうなるのをずっと待っててくれたりしたのかな、」 「…………今更気づいたんすね、」 『長い待ち合わせ』 ハ/ル/カ/ト/ミ/ユ/キ |