短編2 | ナノ




「あら、あなた久しぶりね。」

店に足を踏み入れるなり、そう告げた懐かしい店主の言葉に名前はぴたりと動きを止めた。全く予想だにしていない出来事だったのだ。

「…覚えてるんですか?わたしのこと。」
「……もちろん。あなた達のことはよく覚えてるわ。あの綺麗な男の子は元気?」

記憶を反芻するように遠い目をした彼女に、鼻の奥がツンと痛むのを感じた。昔の話だった。どうして今日わざわざ、この店に足を踏み入れてしまったのだろう。

「……あいつは、池袋からいなくなっちゃいましたよ。」




随分と昔の話だ。来神高校からほど近いこの喫茶店で、臨也とよくオムライスを食べたのだった。
今時珍しい純喫茶で、決して値段は安くなかったが、初めて食べた瞬間にすっかり心を奪われた名前はそれからしばしば、渋る臨也を引き連れてこの店に入り浸るようになったのだ。

「懐かしいわね。もう10年も前かしら?」

卵をかき混ぜながら彼女がそう問いかける。ぼうっと意識を漂わせていた名前ははっと我に返った。

「…そう、ですね。もうそのくらいになります。」

そう呟いてみて驚く。あれからもう、それほどの時が流れたのだ。その間に臨也は池袋から姿を消し、自分はまだその亡霊を追うかのように、この街から離れられずにいる。それくらいの変化があっておかしくない時間だった。店主の顔にも、見覚えのない皺が刻まれている。

「……本当に懐かしいわ。でもよく覚えてる。いつも一人でオムライスを食べにきていた男の子が、ある日突然女の子を連れてきたの。それにちょっとびっくりしたわ。彼、そういうことするタイプじゃなさそうだったから。」

そうだっただろうかと名前は記憶を反芻する。あの日はたまたま見つけたから。と臨也にこの店に連れてこられたように記憶していた。10年も経てば、記憶も風化してしまうのだろうなとほんの少し寂しい気持ちになって笑う。

「あはは、あいつ、あの頃はよく女の子を侍らせてましたから、」
「いいえ。彼がここに連れてきたのはあなた一人だったわ。」

ぴしゃり、と言い放たれたその言葉に思わず「そ、うなんですか、」と言葉に詰まる。知らなかった。そんなこと。
そんな名前の様子を、店主は切なげな顔で見つめるばかりだ。

「…あなたたちが、お互いのことを大切に思っていたこと、すごくよくわかったの。だからよく覚えていたわ。」

おかえりなさい。

優しいその声にじわりと涙がにじむ。そうしてそれは音を立ててぽたぽたと、店の床を濡らした。
目を凝らせばあの頃の、臨也の背中が目の前に浮かび上がるようだった。そうしてその隣に腰かける、制服姿の自分が。

『ちょっと名前がっつきすぎ。もうちょっと女らしく食べるとか、できないわけ?』
『臨也こそ食べ方がちまちましすぎてて女っぽい。そんなんじゃモテないよ。』

少しずつ紐解かれていく。懐かしい記憶。
最後にこの店で二人、肩を並べたのはいつのことだっただろう。覚えていないのはきっと、それが最後になるだなんて思いもしなかったからだ。当たり前のことだと、高をくくっていたからだ。

「…おまちどうさま、」

運ばれてきたオムライスの、懐かしい香りに前が見えなくなる。う、ああ、と嗚咽が止まらなくなる。覚えている、思い出してしまう、きっと、何度でも。それほどまでに鮮烈だ。思い出にはいつまでも、勝てるわけがない。降参だよ、折原臨也。




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