水のあるところは好きだ。海でも川でも、湖でも、言ってしまえば浴室だって好きだ。 ごぽり、と音を立てて視界の端に泡が舞っていった。鼻がつんとして痛くて痛くて、なのに自分はこれを求めていた、と名前は思う。 知っているのだ。 「…そう、その顔。君はそうやって一生、不幸な顔をしているといい、」 目だけを上を向ければ、赤司と目が合った。名前の顔をじっと見つめた彼は、頭からつま先までもまるで品定めでもしているみたいに見つめる。 つめたい目だった。自分は、これ以上に冷たい人間を知らない、と思いながら虚ろな視線を彼へと向けた。けれど。けれどもこんな、優しさの一片も交えていないようなつめたさを、自分だけに向けてくれる人間がいることに心底安堵するのだ。 力なく笑い返せば、彼は表情を変えることなく再度、名前の顔を水の張った浴槽へと押し込んだ、 「…やめて、」 「………よく言うね。本当はやめてほしくなんてないくせに、」 浴室で、そのふたつの言葉はやけによく響いた。 赤司の拘束から解放された名前はごぼごぼと咳き込む。再度彼の方へと視線を向ければ、そこには射抜くような視線がかえってくるばかり。優しさなど、入り込む隙間もない。 けれど、それでよかった。 「…あかしくんだけだよ。わたしをきちんと、憎んでくれるのは、」 とてつもない労力を要するような、途方もない憎しみ。それを余すことなく与えてくれる人間に、死ぬまでに出会える人間は少ないのではないのだろうか。 「幸せになってね」と笑ってくれる人はたくさんいた。けれど、「せいぜい不幸なままでいろ」と言ってくれたのは彼だけだ。 そう言われたとき、ぞわりと肌が粟立ったのを覚えている。 自分はもう、彼をなくしてしまったら、バランスを、崩してしまう。 名前の言葉に、赤司は表情を変えない。眉を顰めることもため息をつくこともせずただ、名前を見つめるばかりだ。その手は再度名前の頭を捕まえる。再び押し込められた浴槽の中で、必死に僅かな酸素を求めながら名前はねえ!と声をあげる。切れ切れにつぶやく、恍惚とした言葉。 ねえ! 「わたしなんかでいいの?」 『入水願い』 東.京.事.変 |