「あなたに愛された思い出だけで生きて行ける、と思うのと、あなたなしでは生きていけない、と思うの。どっちが本物の愛なんでしょう。」 いつか自分の前から消えるであろう男に、夕飯を作っていた時のことだった。不意にわたしの口からそんな言葉が途切れたので、わたし自身も驚いた。だが、それ以上に驚いたのは臨也の方だったらしい。なに?どうしたの?と言いながら、彼がガタリと椅子を立つ音がした。 「…ちょっと、どうしちゃったの?情緒不安定なの?」 普段慌てない彼が、慌てたようにわたしの頬にふれれば、堪らず涙がごぼりと溢れてきた。それはぽたり、だとかそういった可愛らしいものではなく、洪水のようなそれだった。ふらつくわたしの背中は冷蔵庫にぶつかる。ああ。このまま凍りついてしまえたらどんなによかっただろう。 「…わたしは、どちらなのでしょう。臨也さんへの気持ちが、どちらなのかわかりません。これを、愛と呼んでいいのかさえ…」 頭の中はぐしゃぐしゃなのに、驚くほどするりと言葉が湧き出た。わたしでないなにかが、わたしの自由を奪っているかのようだった。 「きっとわたしは、どちらでもありません。そんなに物分かりが、よくないのです……」 割り切ることなどできないのだった。そうしてきっと、最後まで答えは出ないのであろう。それが簡単にわかるような世界ならば、わたしはきっとこの男のとなりになどいない。もっと安全な世界から、彼の人生の歯車がカラカラと回るのを眺めているだけであったはずだった。けれど、出会ってしまったのだ。 臨也に愛された思い出だけで生きて行けるような気もするし、臨也なしで生きてゆけるとも思っていた。けれどきっと、本当はどちらでもない。一度愛されればそれでいいと思っていた。その思い出を抱えて生きてゆけると思っていた。 「……出会ってしまいました。わたしは、どうすればいいですか、臨也さん。いつかきっとあなたが消えて、わたしはあなたを忘れようとするために生きてゆくでしょう。違う人を愛そうとして、事実愛して、けれどふとした瞬間、思い出すあなたの思い出にしばられたまま生きてゆくんでしょう。それが分かりきっていて、なぜ手放さなくてはならないのか。けれど、いつか手放さなくてはならないこと、手放されてしまうこともわかっています。」 らしくもなく、臨也は困ったような顔を浮かべていた。いつも人形のように感情を殺し続け、いつかくる終わりの日に備えるように生きていた自分が始めて核心に触れたのだ。ただ夕食の準備をしていただけなのに、どうして。 「………いつまでもそばに置いておくつもりだよ、って嘘をついた方がいいかな。それとも、今ここですぐに君を手放した方がいいかな。ねえ、名前はどっちが愛だと思う?」 その言葉にさらにごぼりと涙が溢れる。そうして思い知る。心のどこかで自分は期待をしていたのだ。もしかして、折原臨也の特別になれているのではないかと。彼と離れずに一生生きてゆくことができるのかもしれないと。けれどそうではないことを知る。知ってしまう。 叶わないのなら、このまま氷漬けになってしまいたい。わたしの愛を、彼のわたしに向く愛、のようなもの、それらを全て綯い交ぜにして、このまま折原臨也と冷蔵庫で、仮死状態のまま愛しあえたならいいと思うのに。そんなことを考えていれば、不意に臨也の唇がぐっと押し付けられる。思考を放棄させようとするようなそれに、彼の思惑通りわたしはまた何も考えられなくなってしまうのだ。けれど意識の底、チリリと痛んだ感覚は消えない。ああ、こんなことを思ってしまうのは愛のせいかのでしょうか、それとも。 |