「吊戯はさ、死ぬなら今が良いって思ったこと、ある?」 唐突なその質問に、吊戯はきょとんと名前を見返した。彼女は変わらず手元のコーヒーを啜りながら微笑むだけだった。その真意が、見えない。 「うーん、死にたくない、とか死ぬかも、って思ったことはあるけど、死ぬなら今、なんて思ったことはないかな…」 記憶をまさぐってみても、そのような経験はなかったように思う。そもそもまだ20年かそこらしか生きていないのだ。自分が到底、長生きのできる体であるとは思わないが、もう死んでもいい、と思えるほど何かを全うした覚えもない。 ちらりと名前の方をうかがえば、彼女は先ほどと変わらぬ表情でこちらを見返していた。自分の答えは彼女のお眼鏡にかなったのだろうか。そもそも彼女には、そんな瞬間があったのだろうか。 「…名前ちゃんはあるの?そう思ったこと、」 「あはは、あるから聞いてるんだよ、」 何も言わなくなってしまった彼女にそう問いかけてみれば、当然だとでも言いたげな口調で返事が返ってくる。さすが年の甲だね!と茶化してみれば、ようやく彼女は眉を顰めてみせる。 「…ちょっと、吊戯と2つしか変わらないんだから、やめてよねそういうの、」 「…はっは!やっと人間らしい顔したね!…それで?名前ちゃんがそう思ったのはいつなの?」 機嫌をうかがうように上目遣いで覗き込んでみたが、彼女には通用しないらしい。つん、と顔を背けられてしまう。 「そういうこと言う吊戯には教えなーい、」 「ええ、ひどいなあ自分から話振って来たくせに…」 年上のくせに、時々こうして頑固な面を見せる彼女はいじらしく、よりいっそう幼く見えた。だが、困ったように吊戯が笑えば、それで満足したらしい。気を取り直したかのように小さく笑いながら、今度ね、と言ってみせる。 「ええ〜今度っていつ?名前ちゃん割と適当だからなあ…」 「それ、吊戯には言われたくないなあ…じゃあ次会った時、ね。答え合わせするからちゃんとそれまでに考えてくるように!」 びし、とこちらを指差しながら、彼女はくっきりと笑った。 「名前ちゃん!!!!!」 何度か体を揺さぶれば、彼女はうっすらと目を開けた。そうして、信じられないものを見た、とでも言うように目を見開く。 「…あは、吊戯だ…」 彼女の体からはぬるりとした赤い液体が流れ出ていて、その量にまず愕然とする。その引き換えとでも言いたげに真っ白になった彼女の頬に指を這わせながら、そうだよ、オレだよ…とわけのわからない言葉を呟いた。 「…約束、ちゃんと守るよ、わたし、」 「……良いからもう喋んないで名前ちゃん…もうすぐ救護班くるから…」 「……吊戯に適当、なんて、言われたままじゃ「お願いだから黙ってて!!!」 柄にもなく大声で叫べば、彼女は力なく笑ってみせた。 「……答え合わせ、しないと、」 「………何の話かわかんないよ名前ちゃん、」 嘘だった。ちゃんと覚えていた。けれど、こんな時にそんな縁起でもない話はやめて欲しかった。そんな、死にそうな顔で、 「…初めて吊戯を見た時、」 「……え?」 「…綺麗な目だなって思って、それで目が合った瞬間、わたしは、」 ぼんやりと宙を彷徨っていた名前の視線が唐突に吊戯の瞳をとらえた。その言葉の意味を回らない頭で必死に考えていれば、彼女が笑みを深めた。まるで、いつもと何も変わらないような微笑みだった。 そうしてけほりとひとつ咳をした彼女は、疲れた、とでも言いたげにゆっくりと目を閉じる。 「…名前ちゃん?」 思わず揺さぶれば、また腹部からぬるりと血が溢れ出してくるので、その部分を必死に抑えた。目を閉じたままの彼女はやけに満足げな微笑みを讃えており、ぞっとする。もう喋る気はないようだった。 「…名前、ちゃ、」 そんな、言い逃げみたいなの、卑怯だ、と吊戯は思った。いつでも伝えられると思っていた。彼女が死ぬところだなんて、想像したこともなかった。 「オレ、キミのことずっと、好きだった、のに、」 遠くにサイレンの音が聞こえた。ようやく救護班が到着したらしい。ぼんやりとした頭でそう考えた。 ぽたり、 彼女の愛した金色の目から、一粒涙が落ちた。吊戯の言葉が聞こえているのか聞こえていないのか、彼女は満足げに目を閉じたままだ。 |