目をあければ、瞼を縁取るアイシャドウに日の光が反射した。それを、綺麗だと思う。自分が化粧をする理由はこれだ、と思う。買ったばかりのアイシャドウを、さあ反対側にもつけようと意気込んで鏡を覗き込んだ瞬間、背後でかたりと音がする。 「…そんなに綺麗にして、何処に行くの?」 振り返れば、ドアの前に職場の上司が立っており、名前はぱくぱくと口をあける。いくらC3の社宅とは言えど、ここは自分の部屋だ。にもかかわらず目の前の男はそれが当然であるとでもいうような顔で部屋の入り口にもたれかかっていた。 「な、なにしてるんですか!!!」 「?鍵が開いてたから入っていいのかなって」 「駄目です!何言ってるんですか!!」 出てってください…とぐぐ。と吊戯を部屋の外へおしやろうとする。その様が面白かったのか小さく笑った彼はぐっと足腰に力を入れて抵抗する……子供か。 「かわいいねそのアイシャドウ、オレに塗らせてよ、」 「い、や、で、す!!!」 「ええ〜、オレ結構手先器用だよ?ほら貸してって!」 ああ!ちょっと!という叫び声虚しくひょいとアイシャドウを取り上げられてしまう。その拍子に吊戯の胸元に顔がぶつかってしまい、途端にドキドキする。わかっていてこういうことをするから、心臓に悪いのだ、この男は。 「…ほら、目瞑って、」 「………あのほんと、無理です…帰って…」 わざとらしく顔を近づけてくる吊戯にそう言えば、その様子が面白かったらしく彼は余計に距離を詰めてくる。どん、と背中に衝撃を感じれば、吊戯と壁の間に挟まれてしまったことに気づきさっと頬に熱が集まった。 「もう、観念しなってば、」 耳元で囁かれた呆れるようなその声に思わずぎゅ、と目をつぶれば、彼が満足げに息を吐く気配がした。 「ん、いい子、」 はからずも彼の言うことを聞いてしまったような展開に持ち込まれ、名前は情けない気持ちになる。自分の部屋だというのに、どうして主導権を握られてしまっているのだろう。 そうこう考えているうちに、瞼に何かが触れる気配を感じた。それが思っていたよりも優しい手つきであることに名前はほんの少しだけ驚く。 何往復かしたそれに、そろそろいいだろうか、と薄目をあけようとすれば、何やら柔らかく熱いものが瞼に触れる気配を感じた。念を押すように押し付けられたそれの正体を、一瞬の後に理解した名前はばっと目を開く。 「ん?どうしたの名前ちゃん、」 見やった吊戯の唇には、今しがた塗ったばかりの銀のアイシャドウがこびりついており、自分の予想と寸分違わないその様子に名前はまたぱくぱくと口をあける。わなわなと唇を震わせれば、その様子がおかしかったのか吊戯は小さく吹き出す。 その刹那、自分を拘束している力が緩んだことを察した名前は慌てて壁と吊戯の隙間から抜け出した。そうして、用意していた薄手のコートとバッグを引っ掴むとドアを目がけて走り出す。 「あーあ、逃げられちゃった。いってらっしゃい、名前ちゃん、」 思いがけない言葉が耳に届き、思わず振り返ればどことなく寂しそうな顔をした吊戯が部屋の中からひらりと手を振っていた。どう答えるべきか迷っていれば、「あんまり遅くなっちゃ駄目だよ〜」と彼がいつものようにへらり、と笑うので、名前は小さく頷く。開け放ったドアの外はほんの少し、春の匂いがした。 |