short | ナノ




ビア(笹塚)





「笹塚さぁん、いいところに!」

疲れた体を引きずって帰った先におかえり〜と笑う想い人、とだけ言えば聞こえはいいだろう。だが、笹塚はそのために彼女の周りに転がるビールの空き缶に目を瞑らなくてはならなかった。

「ちょっと…なにしてんの…」

彼女の元に辿り着くまでに、3本の空き缶を拾った。
普段は進んで酒を飲もうとしない彼女を思うと、些か不思議な光景である。

「いやあ…笹塚さんが来るまでまってようかと思ったんですけど、ついつい夏の夜のビールの言い訳に負けてしまいまして…」
「そうじゃなくて、なんで俺の部屋でビール飲んでるのって話。明日別に休みとかじゃないでしょ?仕事で何かあったの?」

確かに合鍵は渡しているものの、彼女は大抵連絡を寄越してからしか、此処に来ることはなかった。ましてこの部屋で彼女が酒を飲むなんて、初めてのことかもしれない。

「いやあ、仕事してれば勿論、嫌なことのひとつやふたつありますけどね?なんていうかそうじゃなくて、」

ここで彼女はこちらに向き直って座り直す。酔っ払った顔と礼儀正しい正座は、なんだかアンバランスだ。

「なんていうかこう…朝起きた時に一番に目に入るものが、笹塚さんがいいなって思った次第なんですよ、」
「は?」

全く予想だにしていなかった返答に笹塚は面食らう。

「いやいや、そんな可愛いものじゃなくてね、あれなんですよ、わたし、ずるい女なんで、」

酔いのせいか、碌に笹塚の話も聞かない彼女はつらつらと語り続ける。

「…笹塚さんの重みになりたいなあ、なんて、」

彼女の発言に、しばし言葉を失う。意味をはかりかねたのだ。彼女はいちいちこういうことを言ってくるタイプではないから、尚更。

「そしたらちょっとは、死ぬのが惜しくなってくれる?」

あは、と笑みを崩さないままに彼女はそう告げる。そして一瞬だけ目を細めて笹塚を見据えた。それは射抜くようにも、責めるようにも、慈しむ様にも見えた。しかしそれはほんの一瞬で、彼女はすぐにああ〜と声をあげながら後ろへ倒れ込む。

「酔っぱらいなので、わたし、寝たふりしますー、おやすみ、笹塚さん、」
「…ちょっと、風邪ひくってば、」

寝たふり、と言い切ってしまう彼女の浅はかさに苦笑を落とす。それと同時に罪悪感のようなものがわき上がったこともまた、事実だ。

本当ならば、君の入り込む余地のぶんだけ、ほんの少し、心臓をあけておきたいんだ。

ぎしりと床を軋ませて、そっと彼女に覆い被さると、寝たふりをしていたはずの彼女が嬉しくてたまらない、といいたげに口角をあげる。詰めが甘いな、とその頬にキスを落とした。ビールの匂いがする。

[ 47/57 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -