○わん | ナノ

22.にがくてあまい



名前はシャクタ、と言うらしい。聞き覚えのない響きに、おそらく生まれた土地がまったく違うのだろう、どこか顔立ちも見慣れない感じだ、とナマエは勝手に納得する。


「…シャクタさん、嘘ついたでしょう?祓ったらキャプテンについちゃうかもってアレ、」

探るようにそう問いかけると、彼にとっては予想外の言葉であったらしく目を見開いた。

「…どうしてわかったの?」

とりあえずお茶でも…という昨日の彼と同じ誘いを今度は呑み、ナマエとシャクタは港からほど近いカフェに座っていた。運ばれて来たコーヒーは温かそうに湯気を立てている。大人ぶってわたしもコーヒー、と言ってみたは良いが自分が紅茶派であったことをナマエは思い出す。どうぞ、と差し出されたそれをナマエが一口啜れば、案の定それは苦々しく、慌てて口を離す。その様子にシャクタは君、意外と子供なんだねと砂糖とミルクを差し出した。その様子にむっと彼を睨みつける。

「…なんとなく、話し方に根拠がなさそうだったから。それに今、こんなに人がいるカフェにいるしね。ここでお祓いなんてしたら、誰かに乗り移るリスクが高いでしょう?」
「…そんな男についてくるなんて、君も案外怖いもの知らずだね、」

言いながらシャクタは目の前のコーヒーを啜る。ローを介さずに対面で話せば、目の前の男は案外落ち着いて話すことができるらしい。昨日との様子の違いに、ナマエは内心でほんの少し申し訳なくなる。初めからひとりでくればよかったのかもしれない。

「大丈夫です。いざとなったら顔面に眠り薬ぶっかけて帰るつもりなので、」
「…コーヒーに何も入れてないよね?」

ナマエの物騒な言葉に、彼は心配そうにマグを覗き込む。ハートの海賊団でいうと、少しシャチににているかもしれない、と思うと自然とナマエの表情は柔らかくなる。


「それじゃ、本題に入ろうか、」

マグカップの中身をソーサーでくるくるとかき混ぜながら、シャクタは唐突に切り出した。その雰囲気に気圧され、ナマエもまた彼を真っ直ぐに見返した。

「…結論から言うと、君についてるのは害のある幽霊ではない、とおもう。君の船、もしかして北の海から来た?随分と暖かそうなコートを着た男が君についてるよ。うーん、家族って感じではないかな、背が大きくて金髪の男、」

思いがけない話にナマエは言葉を失った。正直、疑い半分だったのだ。まさか、本当に自分に幽霊が?それにそんな風貌の男に覚えもない。

「…どうしてわたしに?」

とりあえずは、単純な疑問を投げかけた。正直、見ず知らずの誰かに取り憑かれるような覚えはなかった。

「それは単純に、君が引き寄せやすい体質をしてるから。たぶん大丈夫だと思うけど、今後もいろいろ気をつけたほうがいいよ、」
「ええ、気をつけるって何を…」

その言葉に目を伏せる。そもそもホラーの類は得意ではないのだ。それなのに引き寄せやすい、だなんて困る。

「…それについてはちゃんと考えてるから大丈夫。あとでまた話すから、」
「はあ…」

すっかり出鼻を挫かれてしまった。シュンとしたナマエを見て、シャクタは些か慌てたように大丈夫だからね!と声をあげる。

「…害がないなら、どうしてキャプテンと引き離したりしたの?」

加えて、ナマエがそう問いかければシャクタは一瞬だけ言葉に詰まる。その瞬間をナマエは見逃さない。やっぱり本当は怖い幽霊なんだ…!と眉を下げる。

「ああもう!違くて!そうじゃなくて!!君をここに呼んだのはそのなんていうか、その、あの船長が君のことを大事にしてるのがわかったからで…」

ごめんなさい意地悪しました、とナマエの方を見るシャクタはバツが悪そうな顔をしていた。思わぬ言葉に、ナマエはきょとんとした表情を浮かべる。

「…やっぱりわかってないみたいだね。俺、最初に言ったでしょ?」

『おかしな男に好かれてない?』

「俺の恋愛占い、結構当たるんだよね、」

その言葉の意味を理解したナマエは、顔に熱が集まるのを感じた。そんなことあるわけがない。確かに大事にされてはいるが、それはおそらく、彼の言うような意味ではないのだ。

「…わたしとキャプテンは、なんていうかそういうのじゃなくて、家族みたいなもので…」
「……うーん、まあ君がそう言うならいいや、それで。でもね、知ってるかなナマエちゃん、」

そこで初めて彼女の名前を呼んだシャクタは一瞬だけ冷たい目をした。その表情にナマエはほんの少しだけびくりと体を震わせる。

「言霊っていうのは本当にあってね、案外侮れないものなんだよ……わかるよ、楽しいよね。色んなものを盾にして何も知らないふりして自分のことを守るのは、」

その言葉は抽象的なようで的を射ていた。
痛いところを突かれた、という気持ちで一杯だった。
わかってはいた。自分もローも、お互いを見ているようで本当は最大限目を逸らしているだけだということは。
すっかり形勢は逆転していた。ナマエはじんわりと涙が自分の目に溜まるのを感じた。その様子に気づいたらしいシャクタがはっと我に返る。

「ごごごごめん、泣かせる気はなかったんだけど、」

しかし彼は最後まで弁明の言葉を告げることができなかった。2人のテーブルの上に突然巨大な石が降って来たからである。

ひ、と声をあげたのはシャクタだった。ナマエの方は突然の衝撃に目をぱちくりと開け閉めすることしかできずにいる。

「…何だ、うちのクルーを泣かせるほど酷いことでもしたのか…?」

店中がなんだなんだと2人のテーブルに集まる中、迷いのない動作でこちらへ歩み寄って来たのは見慣れた長身の男であった。その表情から、彼が大変ご立腹であるということが窺える。
ろーさん、と力なく呟いたナマエをちらりと見据えたローは、そのままひょいと、樽のように彼女を担ぎ上げた。それから、用事は済んだとでも言いたげに立ち去ろうとするローを、慌ててシャクタは追いかける。

「ナマエちゃん、これ、」

ローの肩にかつがれたナマエは突然の出来事に混乱している様子であった。その手に、シャクタはひとつの手鏡を押し付ける。

「これはなに「お守り!それがあれば大丈夫だから、」

きょとんとした表情でナマエはシャクタを見返す。大人びた外見をしているくせに、今日何度も見せたその無防備な表情に、シャクタは敵わないなと息を吐く。だが、そんな彼におかまい無しにローは歩みを止めない。

「ちょっと、下ろしてキャプテン、」

身を捩ってみても、ローはびくともしない。当然だ。腕力で彼に敵う筈もない。ローは無視を決め込むことにしたらしい。すたすたとナマエの発言に耳も貸さずに港を目指している。
何か言わなければ、と、ナマエは段々小さくなっていくシャクタを見つめた。ふと見れば、騒ぎを聞きつけた海軍が集まって来たらしい。港に着けば即出航だろう。その前になにか、彼に。

「あの!!!」

人目も憚らずに声をあげた。その大声にシャクタだけでなく多くの人々が顔をあげる。いたぞ!という声が聞こえ、ローが舌打ちするのを感じた。

「ありがとう!!手紙を書きますね!!!!!」

段々と、加速していく。ローの肩の上から、小さくなっていくシャクタに向かいそう叫ぶと、ぽかんとした表情の彼が小さくなっていった。その顔が、最後にほんの少し微笑んだように見えた。

シャンブルズ、という声とともに、浮遊間。気がつけば眼下には見慣れた黄色い潜水艦が2人を待ち構えていた。

「…幽霊とやらは大丈夫なのか、」
「…うん。心配いらないって、」

船に着地するまでの刹那、ローがナマエに問いかけたのはただそれだけだった。そうか、と一言呟いたローがふと後ろを振り返る。さっきまでいた島が小さくなっていた。
でも、さよならだけじゃない。とナマエは思った。自分がほんの少し、行動するだけで、いつもどこか物悲しい船出が、少しだけ優しいものになるのだ、ということをナマエは噛み締めていた。

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