小さな想い (遊郭)


「主様とはもう何度目の夜でありんしょうかぇ?」
涼やかな声色で女は問うた。
薄暗く行灯の頼りない灯り。
年の頃は二十そこそこ。
しかし、この郭という非日常的な空間では彼女の年齢などあまり関係ないかもしれない。
若ければ若い程よいというわけでもないのがこの郭の世界だ。そりゃあ見目がいいことに違いないのだけれど。
泡沫の夫婦の契を交わした目の前にいる女を見つめながらぼんやりとそんなことを思った。
「そんな郭言葉なんか使わずいつものように話してくれよ。息が詰まりそうだ」
笑いながら言うと女、沙耶は柔らかく微笑む。
「ふふふ……哲さんはおかしなお客さんだわ」
「何がおかしいんだい?」
「だって花魁の私に郭言葉を使うなって言うんだもの」
「俺は本当の沙耶が好きなんだ」
沙耶はその言葉にきょとんとする。
「私は私よ?」
「そうじゃない。花魁の沙耶じゃなくてただの女の沙耶だよ」
哲は優しく沙耶の頬に触れ撫で、沙耶はその手の感触にうっとりと目を細める。
「そんなこと言ったって私はここから出られやしない籠の鳥なのよ」
さして悲しげでもなく淡々と放つ言葉に哲はいらっとした。
「じゃあ、俺が身請けする」
「馬鹿ねぇ。哲さんには私を身請けするだけのお金がないじゃないの」
事実をずばり言い当てられ哲は面白くない。
なんて色気のない女なのだろうか。しかし、そんな沙耶のことが嫌いではないのだ。他の手練手管を使って金を貢がせる遊女とは違う。
嫌なことは嫌。嬉しいことは嬉しいとはっきり言う沙耶の性分は清々しいものだった。
「沙耶は俺に何も強請らないね。どうして?他の客にもそうなのか?」
「だって哲さんに何か強請ったらその分、会える日が減っちゃうもの。そうでしょ?」
「それは嫌味か?」
「あら、ヤダ。私は哲さんに会えるだけで嬉しいの。つまらない贈り物なんて要らないって言ってるのよ」
「沙耶……」
哲は思わず沙耶を抱きしめた。
「沙耶、好きだ」
「今更よ。哲さん……私はもっと前から貴方が好きだったのに」

何度もこの部屋で肌を重ねたというのにまるで初めてのように心臓が高鳴った。

「嗚呼、沙耶。好きだ、好きだ」
「私も哲さんが好き」
花魁の唇は千両万両。どんなに金を積まれたってそれだけは譲らない。どんなに褥を共にしていたとしても。
それなのに沙耶はあっけなく哲の唇に塞がれた。
最初は触れ合うだけで何がもぞもぞとした感情が溢れた。次第に哲の唇は大胆になる。
まるで噛み付くような口付け。
息が出来ない。
「て、つ……さん」
やっとの思いで声を上げる。
しかし、哲が口付けをやめることはなくて。
でも沙耶はそれが嬉しかった。
自分を求める哲の唇が心地よかった。

「悪い……」
「なんで謝るの?」
「沙耶を身請けするだけの力がない」
「それなら、足抜けしましょ」
あっけらかんという沙耶に哲はぎょっとした。
足抜けなんてそうそうできるものではないし、見つかれば哲はもちろんのこと、沙耶だって見せしめに酷い折檻をされるのは目に見えている。
「大門をね。男の格好をし出るのよ。どうかしら」
沙耶は新しい玩具を見つけた子供のようにはしゃいでいる。
「沙耶、本気じゃないだろうね?」
「私は本気よ」
ニコニコと笑い沙耶は男物の着物が必要だとかブツブツ言っている。
「それは千草がやって男衆に捕まってたじゃないか」
哲はびっくりを通り越して呆れてしまった。
あまりにも浅はか過ぎるこの計画に乗ることは出来ない。
そもそも自分に甲斐性がない故に少女のような心をした沙耶にこんな危ない考えをさせてしまっている。
そのことに気付かされ、哲はがっくりと肩を落とした。
「哲さん、哲さん。そんなに落ち込まないで私は大丈夫よ」
「そうは言っても俺に甲斐性があればな……」
項垂れた哲を抱きしめながら沙耶は幸せを感じていた。
好きになった男が自分のことを好きになってくれて真剣に自分のことを考えてくれている。
それだけで他のことはどうでも良くなった。
「いいのよ。年季が明けるまで待っててね」

自分の借金が全て返済出来たらその時は私を迎えに来て。それまで私以外の人のものになんてならないで。
叶うだろうか。
叶う前に自分が病気になって死んでしまうかもしれない。

「いや、俺が今の仕事で成功してお前を迎えに行くよ」

嗚呼!そうだこの人はいつも私の不安なんか吹き飛ばしてくれる。そんな言葉をいつもくれる。
だから愛したのだ。

「哲さん、あのね。私、哲さんが好きよ。大好き」
沙耶が抱きついた拍子に2人で布団の上に倒れ込んでしまった。

「おかしなことを言う沙耶だな」
「ええ、私、おかしいんだわ」
抱き合いながら、笑いながら明日の幸せについて2人は思いを馳せる。




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