──恋人遊びをしよう。
善意の欠片すら無い言葉だった。当然だ。滅茶苦茶に傷つけて、二度と立てなくしてやろうと思っていたから。男子校とも言える学校にただ一人女子がいる、その状況に酷く腹が立ったからだ。
男は、甘い言葉さえ囁けば簡単に落ちる。
守れ、と告げれば騎士はいくらでも現れる。
それらが当たり前のこととなる環境。さぞかし気分がいいことだっただろう。邪魔をする者などいない。多少一人二人を傷つけたとしても、この学校に於いてその罪は軽い。
守られるのが当たり前。
愛されるのが当たり前。
恐怖も死の淵も知らない。
だから、壊してやろうと思った。彼女だけ愛されて、あの人だけは苦しいまま終わるだなんて、不平等じゃない。
僕の言葉に、彼女は一瞬虚を突かれたような表情をした。今まであった世界が壊された時のような顔。何故自分の世界に関わったのかと咎め、同時に、甘えていた自分を恥じるかのような。
いい気味だと思った。
綺麗なものしか知らない子供には、大人の穢い感情を見せつけてしまおう。絶望さえ与えれば、あとは立ち上がれなくなる。それでも好きだと告げたりするならば、それはただ、彼女が愚かなだけ。
彼女は辛抱強く、僕の彼女を演じ続けた。
街中で似合いの二人と呼ばれる度、彼女の顔は苦痛に歪む。それを見て楽しむ僕。好きでもない相手といれば、不快感しか覚えないのは当然の話。当人が素直であれば素直であるほど、苦しさというものは増していく。
小さなカフェで、氷をストローで混ぜながら思う。
素直になったって、騙されるだけだ。痛い目を見るだけ。苦しむくらいなら、初めから歪んでいた方がいい。どうせ軽い関係ばかりなのだから、僕を咎める人間なんていない。
そう思いながら、僕は小さく顔を上げる。
正面にちょんと座った彼女は、呆れるほど真っ直ぐな目で僕を見ていた。両手には、冷えたコーヒーカップを持って。
『なに? 僕の顔に何か付いてる?』
問えば、彼女は時を挟まず答える。
『郁はいつも難しそうな顔をしてる』
彼女の目に浮かんでいる、憐憫。僕はそれを嫌忌し、同時に、愛しいと思った。
何故だろう。
彼女は疎ましいことに、遠慮も無しに、僕の領域に土足で上がり込んできた。
一人たりとも足を踏み入れることを許さなかった、僕の心の世界。弱さを知られたくない、虚勢の裏の感情を笑われたくない。ただそれだけの理由で隠してきた場所。
いつだっただろう。もしかするとただの妄想だったのかもしれない。弱さを知られ、馬鹿にされる怖さを知ったのは。人は信じてはならないもの、心を開いてはならないもの。気付かないうちに根付いた観念さえをも。
彼女は無断で。
絶とうとしていた。
「恋人遊びはもう、お終いだよ」
月が雲に隠れ、尚も空を照らしている夜。
屋上庭園で、まるで星の話でもするかのように僕は呟く。
「分かっただろう? 恋愛なんて、所詮ただの遊び。駆け引き。ただの騙し合いだ」
「……郁、気付いてない?」
「何が」
的外れな返答に、僕は怪訝な顔で振り返る。出会った頃とは違う、彼女の真剣な双眸と目が合う。銃を突きつけるような眼差しだ。
「あなたの声、感情がこもってない」
「……」
「あなたはもう、恋愛をゲームとしてなんか見ていない。私、分かる。出会った頃と違う。今の郁は、とっても優しい目をしてる」
「……へえ?」
何も無ければ嬉しい言葉だったかもしれない。だが、彼女の言葉は僕の神経を逆撫でした。思わず目を細め、僕は、彼女の首ごと壁に押し付ける。
「──ッ!」
「これでも、同じことを言うのかな? 優しいね。吐き気がするよ」
「……」
「そのとおりだよ。よく分かったね。僕は君にたくさんのことを教えてもらった。君が僕の固定概念を取り払ったのも事実だよ。でもね」
「……」
「恋人ごっこはお終いなんだよ。今更何を告げたって変わらない。お終いなんだ。違う?」
彼女の首から手を離せば、彼女は地に崩れ落ち咳き込む。そんな彼女に構いもせず、僕はそっと背を向けた。
冷たい風が、髪を揺らす。
「……」
彼女と会うのは今日が最後。元々その予定だったし、予定変更出来るほど僕は柔軟じゃない。初めから終わるものだった。
終わるものだった? 自分の紡いだ言葉に納得がいかないのは何故なのだろう。否、本当は知っている。ただ、認めれば、負けを認めてしまうような気さえする。
「……っ、それなら!」
彼女の割れた声に、不意に、足を止められる。
「それなら、新しく始められるってことでしょう! 偽物の恋人じゃなくて、本物になれるということでしょう!」
「……」
「それなら……恋人ごっこは終わりにするわ。私はもう、あなたを今までみたいに扱わない。新しい形で、嘘なんか吐かずに、あなたのそばにいたい」
「……そう」
「……」
「……面白いね、君って」
関係を壊すために、遊びは終わりだと告げたつもりだったのに。逆に真意を掴まれたのが悔しくて、腹立たしくて、その怒りすら心地良かった。
滅茶苦茶にしてやるつもりだったのに。
滅茶苦茶にされたのは。
「……さよなら、郁」
背後から聞こえる彼女の声。決別と歓喜を孕んだ言葉。望まぬ結果を迎えたというのに、どうして晴れやかな気分なのだろう。雲に隠れていた月が現れたからか。実習が終わるからか。
彼女は関係ない。関係ない。
彼女との恋人ごっこはもう、終わったのだから。
星降る空の下、声を出さずに言葉を紡ぐ。
彼女は何となく、姉さんに似ている。僕の良い所も悪い所もきちんと言ってくれるから。馬鹿みたいに素直で、人を疑うことを知らないから。
彼女は僕にとって、酷く落ち着ける場所。
だからもし、関係を壊すことがあるなら。
せめて、君の手で──。
−−−−−−
郁が嘘くさい。。
企画『さよなら』さまに捧げます。お粗末様でした!
(08.JAN.12)
← →