天候としては穏やかな次元城も、高層に至ると風が強い。背中を押してくる風に戦闘を左右されることもままあり、足場が突然消えることもあるこの空間は、とても危険だ。
 とはいえ、敵さえいなければ平穏そのもの。大の字になって寝る仲間さえ出る始末で、スコールは幾度となく空を見上げた。呆れながら、諦めながら。
「うおおお……。た、たけぇ……」
 後ろで壁にくっついているバッツも、よくここで寝転んでいた仲間の一人だった。だが今では広がる空に震えるばかり。記憶とはかくも人を変えるものかと、ジタンと目配せし合った。
 記憶がないままにこの世界に集められた自分たちだが、僅かながらも記憶を取り戻す手段はあった。それによって皆、少しずつ元の世界での記憶を取り戻し、バッツは思い出す。思い出す必要は欠けらもなかった、高所恐怖症の事実。
 詳しくは語らなかったが、幼少の頃のトラウマらしい。かつては無邪気に芝生を楽しんでいたのが嘘のように、青白い顔で壁にしがみ付いている。ジタンが隣で「しょうがねぇなぁ」と頭を掻いた。
「ここは足場がなくなったりしねぇから、大丈夫だよ」
 ジタンに手を引かれて、こちらまでやってくる。バッツのいたところはちょうど足場の狭い場所で、すぐそこに見える空中に足を竦ませていたのだ。スコールのいる場所は足場が広いため、バッツは安堵したように肩を落とした。
「怖かったぁ。今まで平気でいたのが信じらんないぜ……」
 冷や汗を拭うバッツに、ジタンがやや呆れ顔で尻尾を揺らす。
「おいおい、しっかりしてくれよ。ここで戦闘になったらどうするんだ」
 気合いを入れるつもりなのか、ジタンはバッツの腰を(本人は背を叩きたかっただろうが、如何せん身長が足りない)叩いた。思いの外、小気味いい音。未だ膝の笑うバッツは、簡単によろけた。
「う、わわ!タンマ!スコールはなさないで!」
 壁の反対側、足場のないほうへと足をふらつかせたバッツが、泣きそうな声でスコールにしがみ付く。はなさないで、などど言われたが、スコールは決してバッツを掴んではいない。勝手にしがみ付いてきて、離れないだけだ。しかし高所への恐怖で震える彼には、言っても聞こえないだろう。スコールは黙って腕を組んだ。
 重症だな、と言わんばかりにジタンが肩を竦ませる。スコールは同感だとの返事代わりに、首を横に振った。
「仕方ない。へっぴり腰のバッツくんのために、俺はちょっくらその辺、見回ってくるわ。スコールはバッツよろしくな」
 言うだけ言ってバッツを置いて行ったジタンを、スコールは眉間にしわを寄せながらも黙って見送る。未だに離れようとしないバッツ見る限り、ジタンの判断は非常に正しい。だがこのまま戦力になりそうにない、むしろ足手まといになりそうなのを残されるのも、正直困る。誰かを庇いながら戦うのは、スコールは苦手だ。
 しかしひらりと壁の向こうへと消えていった仲間を、今更呼び止めることもできず。スコールは仕方なくバッツを見下ろした。
「いつまでそうやっている気だ」
「ふぇ?」
 情けない声を出しながら、バッツは顔を上げる。その距離は超至近距離で、スコールは慣れない距離感に少し顔を反らせた。
 いっそ吐息が感じられそうな近さで、見つめられる。潤んだように光る、ミルクティーの色をした瞳。血色を失くした頬はただ白く、シルクのよう。色気など微塵もありはしない。なのに目を離せない。
 スコールは無理矢理目を閉じることで、バッツから顔を背けた。代わりに彼の手を掴んで、壁のほうへと歩みを進める。力なくついてくるバッツを手に感じながら、心中で溜め息一つ。調子が狂う。予期せぬ方へ、意思が曲がっていく。
「ここなら、怖くないだろ」
 壁に押し付けた体躯。バッツは一度、背後の壁を見遣ると、ほっとしたように表情を緩めた。視覚から宙に浮いているという情報を取り除くだけでも、気持ちは随分と違うようで、白かった頬には血色が戻ってくる。
「わりぃ……。ほんと、足がすくんじゃって、ダメなんだぁ……」
 恥ずかしそうに笑う様子には、いつもの彼の空気が伺えた。それに安堵する自分がいて、相手の意図しない言動にいとも容易く左右されていることに悔しさを覚える。加えてその相手がバッツだからということを自覚していることにも、言わずもがな。
 今のこの体勢に何の疑問も抱かない、無防備に安心しきった顔。その表情ひとつひとつに様々な形の歓喜を覚えていることを、彼は知らない。だからこそ、掴んだ手に手を重ねて笑う。
 寄せられる信頼に、スコールは耐えられないと思った。
「バッツ……」
 呟く名前に甘さが乗るのを抑えられない。返事も待たずに唇を重ね合わせれば、その柔らかさに理性が揺さぶられた。堪らず押さえた後頭部の、髪のふわりとした感触にも指先が震える。
 音も鳴らない微かな接触。柔らかさの余韻だけが、甘やかな痺れを身体に来たす。前髪の擦れあう感覚すら愛しい。思わず零した吐息が熱を持つ。
 伺うようにバッツの顔を見てみれば、白い頬には先ほどとは打って変わって赤い色が咲き乱れていた。矢庭に潤んだ瞳はミルクティーよりも甘く揺らめく。その艶やかさの衝撃たるや、魔女の悪意も及ばない。
「す、スコール、おれ……」
 バッツが何かを言いかけた。だが言葉にならず、逡巡した後に顔を肩へと埋めてくる。ジャケットにしがみ付いては、強く身を寄せる彼。いっそ気の毒なほど赤くなっている耳を見下ろしながら、その痩躯を腕の中に仕舞いこんだ。
 そろそろジタンが帰ってくる頃だろうか。身軽な彼の帰還は早い。だがどうか今だけは遅くなってはくれないだろうかと、切に願った。






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