「バルドルと、一瞬でもいいから、デートがしたい」
 戦争最前線より程近い、空の民側の拠点。兵士達がひとときの憩いを享受する食事処の一角。向かい合って座る男女、マドルとコーナ。憂鬱を背負うようにテーブルに突っ伏すマドルの悲壮感すら漂う呟きに、コーナは自身の長い髪をただ手櫛で梳いた。
「一瞬でいいなら、今から行ってくればいいんじゃないかな」
 戦場でろくな手入れのできていない髪は指通りを許さない。よろしくない指触りに唇を尖らせるコーナは、マドルの言葉にあまり興味なさげだった。何故ならこの手の話は最近、耳にタコなのである。
 幼少の砌にバルドルと言う星晶獣と衝撃的な出会いをしてからというもの、別れて以降も思い出したように彼の名を話題に挙げるマドルに、コーナは最初こそ切なくも微笑ましく話を聞いていたものだった。だが、それはコーナが、マドル本人も気付いていなかった想いを知らなかったからできたことである。
 10年振りの再会を経て、募り募った恋情が爆発すると同時に自覚したらしい。それからというもの、この恋の話し相手はもっぱらコーナ専属になり、あれやこれやと取るに足らない話を聞かされ続けている。まるで押し引きのない一方的な片想いを。
「ちょっと人気のないところに連れてって、抱き締めちゃえばいいのよ」
「そんなこと!!」
「そのくらい頑張らなくてどうするのよ……」
 コーナは溜め息を吐いた。マドルは戦場での勇猛果敢な戦い振りとは裏腹に、色事にはどうにも消極的なようだった。おそらくバルドル相手にはとみに奥手、だと思うのは希望的観測か。綺麗すぎて手を出しづらい、と言い放ったマドルの男を信じたい。
 ともかく彼はことあるごとにバルドルを好きだという割りには、ただ手をこまぬくばかりなのである。そしてそれを毎度聞かされるコーナにしてみれば、一端の女子とは言えど疲れてしまうのは自明の理と言えよう。いい加減、何らかの進展がほしかった。
「バルドルは、星晶獣だからなのかわかんないけど、ちょっと鈍いみたいだし、少し強引に行かないと伝わらないと思うよ」
「うう……強引に行って、嫌われたりしたら、やだ……」
「大丈夫! バルドル、マドルには甘いから」
「……何でわかるんだ?」
 コーナの言葉に、マドルがおもむろに顔を見せる。その母犬からはぐれた子犬のような瞳に、コーナは苦笑をこぼした。
「そうね、子供の頃はマドルが一番懐いてたでしょう? そのときの名残みたいなのがある気がするの」
「でもそれって、バルドルには俺がまだ小さい子供のように見えてるってことじゃないか」
「だから、もう子供じゃないって言って聞かせなきゃ。男を見せなきゃじゃない」
「……別に子供のように見ているつもりはないが」
 突然、割り込んできた三人目の声に、コーナは驚いて、マドルは特に弾かれたようにそちらに目をやる。当のバルドルがその輝かんばかりの立ち姿をそこに見せていた。
「バルドル。聞いてたの?」
「マドルが、俺にはマドルがまだ小さい子供に見えているといったところから」
 コーナの問いにバルドルが淡々と答える。話の核心には振れられていない様子の答えに、さすがのコーナも安堵に胸を撫で下ろした。マドルなど再びテーブルに突っ伏している。いつまで木の板と仲良くするつもりなのかと言いたくなるぐらいに。
「マドルは具合が悪いのか?」
「ううん、大丈夫。なんか考え事してるみたい」
 はぐらかすコーナの返答を、そうとは毛ほども思わないバルドルは「そうか」と受け止める。この星晶獣は、いっそ不思議なくらい人の言葉を疑おうとしない。
「それより、どうかした?」
「哨戒から戻ったので、報告に」
「ああ、ごめん、俺が頼んでたんだっけな。どうだった?」
「周囲には星の民も俺以外の星晶獣の姿もなかった」
「そっか。じゃあまだしばらくは安全だね」
 コーナの安堵の笑みに、にわかに軍人の顔になっていたマドルも微笑む。最前線とは言え激戦区からはいささか離れたこの辺りは、現況は大きな戦闘もなく小康状態にあり、皆ひとときの安寧に身を委ねていた。
 だからこそ、マドルが恋の一人相撲に勤しんでいるわけだが。コーナは当事者ふたりに挟まれて思案する。マドルは幼馴染みだ。姉弟のように共に育ち、運命共同体のようにここまで一緒にやってきた。かけがえのない人生の相方だ。なればこそ、その恋を本当は誰よりも応援したいし叶えてやりたい。一番幸せになってほしいのだと。
「……あ、ねえマドル。外に敵がいないなら、気晴らしにちょっと歩いてきたら? バルドルと」
「んー……気晴らしかあ……バルドルと……えっ?」
「俺が一緒に?」
「うん、そう。敵はいないかもだけど、一人は心配だから」
「えっ、ちょっと、コーナ?」
「はい、じゃあ行ってらっしゃーい!」
 マドルを半ば強引に立たせ、バルドルと並ばせてその背を押す。押されるがままによたよたと歩くマドルとコーナを、バルドルは困惑気味に交互に見たが、やがて観念したマドルに連れられて行った。
 一仕事終えた心地で、コーナはふうと息を吐く。食事処には人が多く、先から人の声という声が絶えないのだが、急に静かになってしまった気がするのは致し方ないことか。
 送り出したとて進展があるとは限らないが、それでもコーナはどうかどうかと手を胸に願う。愛しい人と星晶獣に幸あれと。






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