深い森の暗がりに差し込む光の先に横たわる姿を、最初に何と見たか、もう覚えてはない。豪奢な鎧に身を包みながらも形容しがたい傷と血を見せるのに小さな悲鳴をあげるコーナのそばで、マドルはその神々しいばかりの麗しい相貌に息を飲んでいた。そのときのことだけは、やけに覚えている。 バルドルは星晶獣だ。かつては多くの空の民を屠っていたらしいが、今はその空の民である自分達の側についた男だ。苛烈なまでに強く、鋭利なまでに美しい、戦場に舞う剣閃そのもの。 いつだって見惚れそうになった。陶然としそうになる自分を叱咤して剣を握り直したのも、一度や二度ではない。ことあるごとに己は兵器だ獣だと彼の唇は宣うが、それならば何故、彼はこんなにも美しいのだろうと思う。 星の民が恨めしい。ただの兵器だというのなら、獣だというのなら、どうしてこんなものを造り出したのか。情を理解しない言動を取りながらも、剣を掴まぬ間は憂いを帯びた表情で戦場の先を見つめ、だが戦争が始まれば決意の光を滾らせて戦う。その壮絶な美しさが――。 「――コーナと結婚することにしたんだ」 マドルが告げると、バルドルは目を瞬かせた。 「結婚、とは?」 「うーんと、ずっと一緒にいるのを約束すること、かな」 「今までもずっと一緒だったじゃないか」 「そうなんだけどさ。なんていうか……、そう、家族になるんだ」 「家族……」 解ったのか、解っていないのか。判然としない反応で言葉が終わる。おそらく正しくは理解していないのだろうが、そもそも生まれ方も育ち方も(成長という過程があるのかも分からない)違う相手には、どう説明しても理解しがたいだろう。マドルのほうとしても、上手く説明できる自信がない。 「良いことなんだろ。ならば、祝福する」 しばし思案げだったが、どこか納得したように言う。淡々として、いつものようにあまり表情を変えないが、眼差しは柔らかだ。マドルは息を詰まらせた。 ――初恋だった。空の営みを知らぬバルドルから、マドルは恋を教わった。これほどに美しい生き物を見たのは初めてで、幼いマドルの胸を焼くのに時間は要らなかった。深い傷にかすかに喘ぐ横顔すら美しい人がいるとは思いもしなかった時分のこと。 長い別れを経て再会してもなお美しい、永遠の美を体現するかのような彼に、忘れかけていた恋は燃え上がり、焼け、焦げつき、今の自分はその成れの果て。本当ならば彼にもコーナにも顔向けできない罰当たりなのに、ずるい自分は隠すことで今の居場所を手に入れた。最低な男だ。 何度も忘れなければと思いながら、諦めきれない意地汚さに奥歯を噛んだ。だが、それも今度こそ終わりにしなければ。コーナと夫婦になる。コーナのことを間違いなく愛している。今まではバルドルに後ろ髪を引かれていたが、もう断ち切るのだ。何よりも大切なコーナだけを愛する自分になる。 「……ありがとう」 祝福するとの言葉に礼を言いながら、距離を詰める。僅かに下になる瞳。そうだ、初めて会ったときは見上げなければならなかった彼は、実はさほど大きくないことに再会して気が付いた。鎧の下の身体は戦場での強さが嘘のように華奢で、目の眩む思いがした。 その痩躯を掻き抱けたらどんなに良かっただろう。肌を知れたらどれだけ満たされただろうか。そうは夢想しても、彼は星晶獣で、男で、どれだけ近づいても交わることはできない。許されない。 完璧という言葉が口から零れ落ちそうになる端麗な顔。その頬を両手で包み込む。兵器だというのに、しっかりと体温を持って柔らかで。 「マドル?」 「ごめん。最初で最後にするから」 謝りながら重ね合わせた唇は、泣きたくなるくらい甘い感触がした。 |