中秋の名月とはよく言ったもので、冷え始めた秋の夜陰に浮かぶ月は、その色を冴え渡らせて美しい。生い茂る木々も見惚れて赤くもなるか。紅葉の縁取りに、望月は殊更に輝くかのよう。
 隣で同じように満月を見上げるオモイカネも、負けず劣らずの美貌だ。その麗しい横顔は、見ているだけで陶酔に赤くなってしまいそうである。秋の風情と重ねるには、己はあまりにも浅ましい気がするが。
「どうかしましたか?」
 視線に気が付いて振り向きながら小首を傾げるのに、アメノワカヒコは熱が上がりそうになるのを抑えた。何気ない所作も、想い人のものとなると途端にとてつもないものになるのだから始末が悪い。惚れた弱みという奴か。
「いや、月が綺麗だね、と言おうと思ってね」
 思い付きの適当な言い訳でもって視線を避ける。少しわざとらしかっただろうか。だが、あながち全くの嘘でもないのだ、と己にも言い聞かせる。みっともない正当化だと知りつつ。
「――……今、何と?」
 オモイカネからのまるで見透かすような問いに、アメノワカヒコは思わず「え?」と振り向いた。真っ直ぐに見つめてくる彼の瞳は、こちらの心を見通しているかのように澄んでいる。戦きすら覚える美しさに縫い留められた。
「もう一度、今、何と言おうとしたのですか?」
 尚も問うて言葉を引き出そうとしてくる。嘘と見抜いて怒りを覚えたか? いや、まさかだ。彼がその程度で感情を荒げる人ではない。真摯に見つめてくる眼からは、怒りに類するものは一部も見えない。
 ならば、彼が求めているものは何であろうか。この静けさで聞き損じたとも思えない。分かっていて言及する、その意図は、欲しているものは、一体。
 考えあぐねて、しかしながら答えは出ず。そうして簡単な問いにいつまでも黙しているものおかしいだろう。とにかく答えねばと口を開けかけて、すぐに引き結んだ。そうだ、そういえばそんな言葉遊びもあったなどと。
「……月が、綺麗だね」
 万感の思いを込めて告げると、彼は表情を綻ばせた。大輪の花の開花を見るような景色に、胸がかっと熱くなる。何て恋しい人なのだろう。
「今なら手が届きますよ。如何なさいますか?」
 慕わしい唇が、そう紡ぐ。ゆかしい手が、取ってくれと言わんばかりに差し出される。まるでこの心を恋うているかのように。
 堪らず手を掬って抱き寄せた。腕の中に舞い込む体を囲っては、その髪の香を聞く。己の血の沸き立つ心地に反して、彼はおとなしくこの胸にその胸を重ねた。
「それは、こういう意味に捉えていいんだよね……?」
「……ふふ。どうだと思いますか?」
 一抹の不安を口にすると、オモイカネは小さく笑ってそんなことを言う。覗い見た顔は、ほんのりと赤く染めつつも悪戯っぽく目を細めていた。
「……あなたがそんな意地悪だったなんて思わなかったな」
「済みません。ですが、貴方がいつまでも手を伸ばしてくださらないからですよ」
「ああ……。あなたには敵わない」
 アメノワカヒコは眉尻を下げた。八百万界きっての知神に敵うはずもない。ましてや懸想人に勝つなど夢のまた夢。惚れた弱みを持ったままでどうして勝てようか。
 だが、それでも構わない。彼がこの腕の中にいるのだ。これ以上の誉れなどありはしないだろう。そう思えるくらいの幸福を抱き締める。






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