吊り下げられた数多くの提灯と、その下で人がごった返す大通り。夕暮れの都は、催された祭でその顔を一変させている。
 向かうは通りの突き当たりにある神社だ。アメノワカヒコは逸る気持ちを抑え切れず、急いて進む。気もそぞろで、何度人にぶつかったことか。そのたびにおざなりに謝罪を告げて去る。後にして思えば失礼極まりないことだが、それどころではなかった。何せそこではオモイカネが待っている。
 この昼過ぎのこと。午後の見回りに出かけようとしたところで、出かけていたらしいオモイカネと鉢合わせた。いわく、都で盛大な祭が開催されるとのこと。興味を引かれていると、彼から思いがけない誘いを受けた。よかったら一緒に見て回りませんか。などと言われては断れまい。何といってもアメノワカヒコはオモイカネを好いている。おおよそ一方的に。
 約束は夕刻。それまではそれぞれの仕事に従事しようということで、その場は別れた。別れてよかった。ずっと約束のことが頭から離れなくて、ついついぼんやりとしてしまっていたところを見られずに済んだから。
 果たして、鳥居が見えてくる。柱の袂に期待の姿。いや、期待以上だ。道行く者には目もくれず、こちらを認めて笑顔を見せる様は。
「アメノワカヒコさん。お疲れ様です」
 そしてかけられる労いの言葉に、表情が緩むのを抑えられなかった。
「ああ、オモイカネ殿。済まない、遅くなったかな」
「いいえ、ちっとも。そんなに息を切らすほど急いで来なくてもよかったんですよ」
 微苦笑される。アメノワカヒコの恋情など知らぬ彼は、アメノワカヒコがただ早く会いたくて走ってきたとは思いもしないのだろう。待ち合わせの時刻を気にした律儀な男としか見ていないに違いない。そんないい男ではないのに。
 気を取り直して、行きましょうかと促されるのに、胸が高鳴る。彼の様相は普段通りだ。だが、提灯の灯(あか)い光に照らされて、いつもと違う雰囲気を醸し出してくる。いつにない色気をまとったように見えて、そんな彼の隣を歩ける高揚感に息が乱れそうになった。
「さて、どこからどう見て行きましょうか」
「そうだね。オモイカネ殿は何が見たい?」
「そうですね……」
 きょろ、と周囲を見回すオモイカネの目が、ふと一点で止まる。視線を辿ると、その先には林檎飴の屋台。
 もう一度、彼の目線を確認しようとすると、その目はすでに他の場所へと移っていた。だが、今し方のような反応は見られない。恐らく彼の興味は少なからず林檎飴にある。が、何かを理由に流したのだろう。詳しいことはさすがに知れないが。
「ねえ、オモイカネ殿。林檎飴とか食べてみないか?」
「えっ?」
 オモイカネがやけに驚く。考えを見透かされた気になったのだろうか。反応の可愛さに吹き出しそうになるのを抑えて、アメノワカヒコは言葉を続けた。
「あそこの林檎飴がなんだか美味しそうに見えたんだ。どうだろう?」
「ええ、構いませんよ」
 微笑む彼の目元が、興奮で赤らんだように見える。少しでも喜びを感じてくれたのなら嬉しい。例えわずかでも、彼の幸福のためにできることがあるなら、何でもしてやりたいと思う。出来ることならば、彼に自分の持てる全ての愛情を注ぎ込みたい。
 だが、そうも行かないのが友人という間柄。恋仲ではない者に情を傾けすぎると、大概は気味悪がられてしまう。それだけは避けなければならない。ただでさえつかず離れずを強いられる仲でしかないのだ。これ以上の距離は持たれたくない。
 屋台に並ぶと、オモイカネはじっと林檎飴を吟味しはじめた。よくわからないが、こういったものにも出来不出来みたいなものがあるのだろう。アメノワカヒコには特にこだわりもないので、適当に指差して購入する。一足遅れてオモイカネも購入し、そこから離れた。
 ふふ、と彼が笑う。どうしたのだろうと見やれば、横目同士で視線がかち合った。
「実は、少し食べたいかなと思ったんですよ。まさか貴方から誘いかけられるとは思いませんでした」
「そうだったんだ」
「ええ。こんなことってあるんですね」
 うれしいです、と無邪気な笑みを浮かべられ、目が眩みそうになる。喜色を乗せた頬は灯りに照らされて色っぽく、飴に触れる艶やかな唇はなおのこと。周囲の浮かれた空気に汚されない瞳は楚々として潤み、アメノワカヒコを映す。蠱惑的な光景に生唾を飲み込むこともままならない。
 今すぐに抱き締めてしまいたい。腕の中に閉じ込めて、蜜色の髪を掻き上げて、その麗しいばかりの顔に思う存分唇を落とせたらどんなに良いだろう。何度も名前を呼んで、愛していると囁いて、どこまでも湧いてくる愛で溺れさせることができたら。
 ほとばしる想いを表にすることができない苦しさに、アメノワカヒコは飴に歯を立てる。林檎を噛み砕いて飲み込むも、どうにも喉に引っかかるかのような心地だ。吐き出せない恋情が喉につっかえている。
「――どうしました?」
 声をかけられ、はっとした。オモイカネが思わしげな目線を向けている。
「林檎が喉につっかえてしまいましたか?」
 言われて、無意識のうちに喉元に手をやっていたことに気付いた。引っかかるような感じはしたがそれは気のせいだし、強いていえば心理的なもので実際には何もなっていない。だが、誤魔化すためにもわざと咳をしてみたりした。
「うん……。ちょっと変なところに引っかかってしまったみたいだ」
「何か飲み物を買いましょうか。ちょうどそこに茶屋があります」
 指差し導く彼が行く。アメノワカヒコは涌いてきた苦い思いを林檎とともに飲み下して追いかけた。今はまだ本当の気持ちは言えないけれども、今この時の彼との時間は楽しまなければ。
 茶屋の前で振り返り、気遣わしく笑むオモイカネ。眩しさに少し目を眇めながら、彼に微笑み返した。






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