遠征組と見回り組とに振り分けられた英傑たちが一斉にはけ、閑散とする社内。運よく免れたヤマトタケルは、社殿のよく日の当たる場所に横になった。この社は敷地が広く、日を遮るものもあまりないため、昼寝をする場所には事欠かない。ありがたいことだ。
 腕を枕にした途端、欠伸が出る。少し眩しいだろうかと思ったが、睡魔はそのぐらいではへこたれなかった。意識はスッと闇に沈む。その直前の微睡みの心地よさといったら。
 ーー邪魔するように、某かの気配が割り込んだ。すぐそこの花廊から、静かな足音。騒がしい者ならいざ知らず、これだけ静かなら本人も物静かなものだろう。気にせず寝入ろう。そうして、だが、ふと目を開けた。
 社内からはほとんど人はいなくなっているはずだ。いるとすれば御伽番や御庭番、厨番、あるいは暇をもらった者ぐらいか。彼らすらももしかすればどこぞへ出掛けている可能性がある。加えて花廊番は、すれ違い様に仕事を終えたと言っていたのを思い出した。となれば恐らく、と探せば案の定。
 御伽番のオモイカネが、花の咲き盛る生け垣を抜けて出てきた。花廊を見渡し何かを確認するものの、社殿には見向きもしないため、こちらには気付かない。ヤマトタケルは目が覚めて、身を起こした。
「オモイカネ」
 呼びかける。と、その背が小さく跳ねた。振り向き、束の間さ迷う視線がこちらを見つける。綻ぶ目元に風がそよいだ。
「また昼寝ですか? 飽きませんねぇ」
 呆れ顔でやってくる。だが、頬に乗せた仄かな色は、その心にはそれだけではないことを言外に知らせた。
「いいだろ、別に。仕事はないんだ」
「そうですけど。そういう意味ではなく」
 隣に腰を降ろしたオモイカネは、かといってそれ以上問い詰めるつもりはないらしく、そこで言葉を切る。置かれた、当たり障りない距離。さりげなく詰めて、問い掛ける。
「お前こそいいのか? こんなところで油を売ってて」
「区切りはついてますので。あとは各所からの報告待ちです」
「ここにいたら探されそうだな」
「今日の予定では、まだしばらく戻りはないはずです。が、そこまでいうのでしたら」
 オモイカネはそう言って腰を浮かしかけた。その手を掴んで、引き止める。腰に腕を回すようにして胸に抱き込むと、彼はなくなった距離に頬の色を濃くした。
「なら此処にいろ。邪魔が入るのは御免だが、ないのなら好都合だ」
 頬に吹きかけると、彼は戸惑いの表情を見せる。だが、隠しきれない喜悦は目に見えて滲み出しており、初な愛らしさを感じさせる。ヤマトタケルはその様子に目を細め、柔らかな髪に顔を埋めた。
 いとしい、いとおしい。そう言う心を戀と綴るならば、己のこの気持ちは恋に他ならない。自分の中にこんなにも甘い感情が湧くとは思わなかった。邪魔だと思えば親族すら手に掛けた己が、今さら他者への慕情を得るなど。
 しかも、一目惚れだった。彼を初めて見たときの情動は、今でもよく覚えている。凛然とした美しさに魅入り、その心を得てみたいと思った。どこまでも澄んだ表情の、喜怒哀楽に乱れる様を間近で見たいと。
 やがて強い興味は、彼の性質を知るに連れて執着に変わった。殊にままならない人心など得るも捨てるも面倒なのに、彼のものだけは欲しくて堪らなくなった。そして欲すれば欲するほど、壊れてしまうことを怖れるようにもなった。
 好きだから嫌われたくない。嫌われないようにと保身に走れば、近づくことすらできなくなって。まして彼の真面目な性格は、自分の怠惰な性質を嫌うところだろう。歩み寄れば歩み寄るほど、嫌われるような気がした。
 そうして強く欲していながらも手を伸ばせずにいた自分に、まさか彼から手を伸ばしてくるとは誰が予想するだろう。好かれていまいと思っていたところに、ほろりと落とされた想いの欠片。切なさに息の詰まるような心持ちと、恋の喜びに燃え上がる胸の内に心が沸いた。信じられない奇跡だと思った。
 実際、疑心暗鬼でもあった。だが、同じように恋に怯え、それでも思いの丈を零す彼が、幼気でいとおしくてならなかった。この手の内で、恋うているのだと頬を濡らし、恋われたいのだと身を震わす姿に、愛を見た気がした。
「――ここは」
 ふと零された声に、埋没していた思考が戻る。声の主はどこを見るでもなく、何かに感じ入るようにうっとりと目を細めていた。
「あたたかいですね」
 陽光を受けて、それこそ暖かに輝く髪。淡い色を宿した頬と、蜜のような眼差し。人の手にその身を委ねた彼は、こんなにも甘く柔らかになるのか。ただ恋慕の眼で見つめるだけの日々にあっては、知る由もなかった。
 喉で返事をする。腕の中の温かい想いをもっと抱き寄せると、それは小さく笑った。なんて愛おしいのだろう。まだ声に出して言えないけれども。いつまでもこうしていたい、ぐらいは言えるだろうか。






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