そうと決めたわけではないのだが、必然的に朝は本殿に集まるのが英傑たちの習慣になっている。暇(いとま)を与えた者や、指図されることを嫌う者などはその限りではないが、それはそれでもはや顔が割れているため、特段の不便はない。
 それ以外で顔を見せない者があるとすれば、単純な寝坊だったり、急な不満の訴えであったり。だが、それもそうそうあることではない。皆、素直で真面目な者たちだ。
 ここ最近、たった一人を除いては。
「タケル殿はまた寝坊ですか」
 ほとほと呆れたという体で、カァくんが言った。その隣で御伽番であるオモイカネが苦笑する。独神の目の前にいたアマテラスは、件の男の何がしでもないのに申し訳なさそうに眉を下げた。
「済みません、主さま。ヤマトくんが毎度毎度……」
「アマテラス殿が謝ることではありませんよ。後にも先にもタケル殿が怠惰なのが悪いのです」
 カァくんは怒りも露に翼をばたつかせる。落ち着くようにと背中を優しく叩くと、彼はころりと笑顔を取り戻した。
「休日ならば一向に構わないのですけど、今日は遠征に行ってもらうことになりましたので、いい加減、起きていただかないと」
 オモイカネが手元の計画表を見ながら呟く。今朝方、彼と練り上げた今日一日の英傑たちへの仕事の割り振り、その骨子だ。ほとんどが彼の提言によるものだが。
 指示を受け入れられる者たちには、大方これに則して動いてもらう。今ここにはいないヤマトタケルも含まれているため、できれば顔を出してほしいのだ。殊に生真面目なオモイカネなどはその気持ちが強いだろう。
「たまには私が起こしに行きます! いつもオモくんじゃ悪いから……」
 アマテラスが手を挙げて申し出る。心優しく責任感も強い彼女らしい発言だ。何も彼女だってヤマトタケルの保護者などというわけでもないのだから、気に病むこともないのだが。
「今日オネエサマが行ったって、明日からまたオモちゃんがやるなら意味ないわよ。オモちゃんにやらせときなさいって」
 それまで傍観していたツクヨミが急にしゃしゃり出てくる。出鼻をくじかれたアマテラスは、弱った顔でツクヨミに振り向いた。
「ツクちゃん、そんな言い方しなくたって……」
「でも、そうでしょ? たった一日交替してもらったってねえ」
「たった一日だとしても、しないよりはマシじゃない」
「どうかしら? 大体ね、寝坊した英傑を起こしに行くのなんて、主ちゃんの御伽番としてワタシたちの面倒も見ることになるオモちゃんの仕事よ。オモちゃんがやるべきだと思うわ」
 いつもの構図で言い争いが始まる姉妹。何だかんだ言って弟妹を持つ者らしく気を配り世話を焼こうとするアマテラスと、上に甘やかされてきたせいか自由気ままで自分本位なところのあるツクヨミとでは、反りが合わず何かと衝突しがちだ。それでもよく一緒にいるのだから、姉妹とは可愛いものだ。が。
 激化の気配を感じ取ったか、オモイカネが「まあまあ」と口を挟んだ。
「私が行きますから、大丈夫ですよ。ありがとうございます、アマテラスさん」
 オモイカネに微笑まれ、アマテラスはひどく申し訳なさそうな顔をする。助け舟を出してほしそうな目線をもらったが、独神は敢えて気付かない振りをした。
「いいのですか? オモイカネ殿。確かに御伽番として本殿の業務を監督するにあたり、英傑の管理も含まれることにはなりますが……」
 代わりにカァくんが問いかけた。ツクヨミの言い分には一理あるものの、必ずしも負わなければならないものでもない。無論、オモイカネも理解しているところであろう。
 こくこくと頷く健気なアマテラスに、オモイカネは笑みを零す。そうして計画表を丸める動作は、応の答え。
「構いません。ヤマトタケルさんにしっかり起きていただく策もいくつか立てておりますし、さっそく実践してみます」
「そうですか。では、お願いします」
 オモイカネに「お願いします」と計画表を渡され預かると、彼は静かにその場を後にする。何とはなしに誰もが黙って見送る中、小さな笑い声が不意に響いた。
「ふふっ、行った行った」
 ツクヨミが楽しそうに笑っている。それにアマテラスは眉をひそめ、カァくんは溜め息を吐いた。
「何を笑っているのですか、ツクヨミ殿! もっともらしいことを言ってオモイカネ殿を働かせて……」
「心外ね! 働かせたくて言ったワケじゃないわよ。トリちゃんもオネエサマも気付いてないの?」
 謗りを受けたツクヨミが、頬を膨らませながら言う。内容もなく問われた二人は、要領を得られずく揃って首を傾げた。
「鈍いわねえ……。モチロン主ちゃんは気付いてるわよね!」
「ええっ? ど、どういうことなんですか、主さまっ?」
「ワタクシにもサッパリです。ツクヨミ殿が妄想を語っているとしか……」
「トリちゃん、聞こえてるわよ」
 怒れるツクヨミがカァくんの首を絞める。「ぐえっ」と呻いたカァくんが翼をばたつかせたるが、アマテラスはそれにはあまり反応を示さなかった。
「あのね、タケルちゃんのアレはワザとよ。オモちゃんに起こしてもらいたくてやってんの。だからオモちゃんが行かなきゃダメなのよ」
 やがてツクヨミからもたらされた答えに、カァくんとアマテラスが目を丸くして互いに顔を見合わせた。
 信じられないといった顔の二人が、本当なのかと視線で問うてくる。独神は首肯の意味も含めて笑う。するとカァくんは驚きの表情に顔を固め、アマテラスは愛らしく頬を淡く染めた。
「あのタケル殿が!?」
「ヤマトくん、オモくんのこと、す、好きなの……?」
 各々の反応にツクヨミは得意げに胸を反らせる。色恋沙汰に大いに興味関心のある彼女としては、今この状況がとても楽しいことだろう。水を得た魚のように、意気揚々と続けた。
「オモちゃんに起こしてもらった朝は、だいぶ機嫌が良いわよ。まあ、最近はオモちゃんばっかだから、違いが分からないかもだけど」
「言われてみれば、最近、朝の不機嫌な顔を見ないですね。以前は悪霊と見紛うほどのひどい顔をしていたものですが……」
「オネエサマに行ってもらってもよかったかも知れないわね。そしたら分かるわ、きっと」
「行かなくてよかったかも……」
 寝起きのヤマトタケルの機嫌の悪さを思い出してか、アマテラスは安堵の表情を見せた。ヤマトタケルがそれで人に当たるなどといったことをするわけではないが、あれだけ顔の整った者に凄まれるというのはなかなかに肝が冷えるものである。独神も見たことがあるが、あれは見る者が見れば怯えるのも無理はないだろう。
 ツクヨミのどこか意固地な反抗の理由が分かったところで一段落していると、話題のヤマトタケルが姿を現した。その後ろにオモイカネもついている。独神の前で立ち止まったヤマトタケルを追い越し、「ただいま戻りました」の一言とともに隣に戻った。
「おはよ、タケルちゃん。今日も機嫌良さそうね?」
「は? 普通だ」
 からかい声のツクヨミに、ぶっきらぼうに答えるヤマトタケル。だが、表情は穏やかで、ツクヨミはクスクスと笑った。
「さて、タケル殿。本日は遠征に行っていただくのですが……」
 と、説明をしようとしたカァくんを、ヤマトタケルは手で遮った。
「聞いてる」
「私がここに来るまでに説明いたしました」
「そうでしたか。さすがオモイカネ殿、話が早いです!」
 オモイカネの手際の良さは毎度のことだが、カァくんは嬉しそうに翼を広げる。独神も計画表を広げてはいたが、オモイカネの頭にはこの内容は全て入っているのだろうとは考えていた。知の神だけに、彼の記憶力は随一だ。
「じゃあ主、行ってくる」
「お気を付けて」
 ヤマトタケルの挨拶に独神は頷き、カァくんが言葉を返す。アマテラスやオモイカネなどはただ見守るだけだったが、ツクヨミが何かを思い付いたようで、オモイカネの服の裾を軽く引っ張った。
(オモちゃんも何か言ってあげて)
 身を屈めたオモイカネに、ツクヨミがそう耳打ちしたのが辛うじて聞こえた。オモイカネが戸惑って「えっと……」という声も、ヤマトタケルは気付かずに踵を返す。独神はさりげなく二人を交互に見遣った。
「あの、ご武運をお祈りしております」
 オモイカネがそう言葉を投げかける。ヤマトタケルは思いもしなかったのだろう声に足を止め、横顔だけで振り向いた。
「……ん」
 満更でもない、どころか、無表情を装いながらも背中からは喜色を滲ませるヤマトタケル。与えられたのは特別な意味合いが含まれているわけでもない言葉だが、声をかけてもらったのが単純に嬉しかったのだろう。
 ヤマトタケルは颯爽と本殿を出ていく。可愛らしくすら見える後ろ姿を、オモイカネ以外が温かく見送った。
「何て言うか……、恋って人を変えるわね……」
 まるで知ったような口振りで呟くツクヨミに、つい笑みが零れる。だが、同感だ。相手が相手なだけに、良い影響を受けているように思える。正反対の性格をしているとも言える二人だ。きっと上手く噛み合えば、互いの短所を補い相和す組み合わせになれるだろう。
 何やら意気投合している姉妹と、それをほのぼのと聞いているカァくん。そんな和やかな空気に満たされる本殿で、オモイカネが黙々と計画表に何やら書き込んでいる。そしてふと「ああ、そうだ」と声を発した。
「ヤマトタケルさんに策を試していただこうと話をしたのですが、策よりも私に起こしてもらったほうが早いと言われしまって、私が引き続き彼を起こすことになりました」
 ヤマトタケルが出立したかという頃か。オモイカネのさりげなくもとんでもない報告に、先ずツクヨミが「あら」と声を上げた。
「ヤマトくんに頼まれたんですか?」
「ええ。下手な小細工はいらないとまで言われまして」
「言ったわねー、タケルちゃん」
「下手な小細工ではないんですけど……」
 オモイカネは眉を下げる。気にするところはそこか。もっと注意すべきところがあるだろうとは思うものの、彼としては己の策を否定されたことのほうが大きいようだ。
 他の者たちも、オモイカネの大真面目な、しかしどこか見当違いと思える言い分に、どこか曖昧な相槌をそれぞれ打った。
「私は構いませんが、それにしても他に好い方はいないんですかね。好いた者の声だと、スッキリ目覚められると言うではないですか。私が起こすよりよっぽど良いと思うのですが」
 そう呟くように言ったオモイカネに、他一同がそれぞれ顔を見合わせた。そこまで考えておきながら、自分がその対象だとは毛ほども思っていないらしい。これまでを鑑みて、頼みやすいという事実はあるものの、好意を向けられている可能性すらその頭には過ぎらなかったのか。
「オモちゃんってホント鈍いのね……」
「えっ?」
「もう少しヤマトくんの気持ち考えてあげてください……」
「き、気持ち……?」
「ワタクシ、タケル殿に同情してしまいそうです。少しだけですけど」
「わ、私、何かしましたか……?」
 憂いや溜め息といった一同の反応に不安がるオモイカネに、独神はゆっくりと首を横に振った。オモイカネは何もしていない。この調子では何らも始まっていない。
 お開きとばかりに掃けていく面々に、取り残されたオモイカネがしょんぼりとした。独神は気にするなとその背を叩いてやる。急ぐ必要はないことだ。そう遠くない未来に、仲睦まじく肩を並べる二人の姿が、独神には見えていた。






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