兄は美しい人だった。満月に照らされた夜空の色のような髪、寝覚めに見る降り積もった粉雪のような肌、澄んだ湖の底を覗くような眼、皮を剥いたあとの桃のような唇。まるで誰かに創られたかのように美しい兄だった。
 さらには織鶴としての類い稀なる才能を持ち、周囲から持て囃される、自慢の兄だった。疎ましいまでに良く出来た兄だった。どこまでも人の劣等感を煽る、悔しいほど心優しい兄だった。
 雪ばかりの故郷を思い浮かべながら、色とりどりの世界を眺める。自分の欲しかったあらゆるものを持っていた兄が、もはや得ること叶わないものを手に入れることができた。一生敵わないと思っていたあの兄に、この人生で初めて勝ったとも言えようか。その祝福の色が、今の自分の周りに広がっている。
 高らかと晴れ渡る青空。だが心は晴れない。この世に存在していると言えるのかすら怪しい、生き別れてしまった兄を思うと、握らされた幸福の種が虚しいもののように思えた。
 最後まで自分の幸福を願っていた兄。慣れない闘いに身を投じてまで、羽ばたけとこの背を押してくれた。好きだったよと、微笑んだその眼を潤ませるほどに愛してくれていた。
 あれほど疎ましかった兄の魂織りに自分は守られていたのだと、どうして失ってから気付くのだろうか。たおやかに美しい兄の腕に包まれて、どこまでも甘やかされていた。憎らしさに吐いた暴言すら許されて、誰よりも可愛がってくれていた。辛かっただろうと言った兄の元に、代えがたい幸福があったのだ。
 作り物の兄と、作り物の妹。だがそこにあった愛情は本物で、今はそれが無性に恋しい。もう触れること叶わないからこそ、なおさら淋しく愛おしい。劣等感に目を曇らせて見失っていたかつての自分に怒りを覚えるほどに。
 もう一度、あの腕の中に帰りたい。雪肌を染め、瞳を蕩けさせて微笑む美顔を見上げたい。夢のまた夢となってしまった望みが降り積もる。故郷は永久に雪の中か。機織る音の子守唄がだんだん聴こえなくなってきたことに、思わず唇を噛んだ。






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「見えない臓器の名前は」
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