意識が現実を認識した。目を閉じたままであるが、眠りから覚めたのだと理解する。
 柔らかく暖かな布団の感触と、それよりも確かな温度を宿す何か。あるはずのない、湿度をも感じられる異物に、オモイカネはまだ夢現つながら眉をひそめた。これは確かめねばなるまい。オモイカネはまだ重い瞼を無理矢理持ち上げた。
 ぼやけた視界にまず入ったのが肌の色。数度の瞬きではっきりした目には、男の剥き出しの胸元が間近に映った。何者かと思い目を剥いて頭上を見やれば、ヤマトタケルがすやすやと寝ているではないか。あまつさえ抱き込むようにして腕枕までされている。理解に苦しむ状況に、オモイカネは思わずその寝顔をまじまじと見つめた。
 その彼の唇には、うっすらと赤い紅の跡。そこから芋づる式に昨晩のことを思い出し、一気に体温が上がった。己の身体を意識し、そこで今現在も裸体のままでいることに気が付いて、なおのこと顔に血が巡る。
 こういうときはどうしたらいいのか。気が動転して上手く頭が回らなかった。そもそも同性に抱かれて気を失った翌朝の対処などという、この世のどこにも記されていない事件においての身の振り方なんて分かりようもない。ましてや閨事の経験自体もなく、想像すらもしなかったのに。
 ここは取り敢えず抜け出すべきか。何が好手で何が悪手か全く分からないが、そう判断した。何にしろ動き出さなくては始まらない。まずは己の背に回っている腕を、持ち主が起きないように外さなければ。
「ーー何をしている」
 退かそうとしていた腕に力が入り、再び、今までよりも強く抱き込まれた。はっとしてヤマトタケルの顔を見ると、目を閉じたまましかめっ面をしていた彼が、ゆっくりと目を開ける。
 寝ぼけ眼ではあるが、真紅の瞳にじっと見つめられ、オモイカネは唇を戦慄かせた。何か言わなければと思うのだが、返事に適した言葉が出て来ない。喘ぐように「あ、あの……」と発するのが精一杯だった。
 やがてヤマトタケルが何を思ったか顔を寄せてきた。打つ手のないオモイカネは、脈絡の分からない口づけを受けるしかなく。ただ触れ合わせるだけのそれを、長らくじっと受け止めた。
「……やっぱり綺麗だな、お前」
「え……?」
 まだ眠たげな顔で、それでいて満足げに笑むヤマトタケル。おもむろに持ち上げてきた手の親指で唇をなぞってきて、覚えさせられた愉悦が身に走る心地がした。
「それでいて可愛いとか、反則だろ」
「な、何を言って……」
 予想しない言葉を立て続けに並べられ、オモイカネは思わず混乱を零す。ヤマトタケルからはその返事はなく、代わりに口づけを与えられた。
 優しく、ゆっくりと繰り返し唇を吸われる。何故そんなにも唇を求めてくるのか。声を荒げて問いたい気持ちが湧いたが、次第に心地よさに頭の中が白んできた。脳の奥のほうから蕩けていくような感覚。何も考えられなくなる。
「ん……は……ぁ」
 やがて息継ぎのために開けた口からぬる、と舌が入ってきた。唾液の絡み合う音とともに、舌の輪郭を丁寧に重ねてなぞられる。その流れで上顎を撫でられると、どういうわけか腰の辺りがぞくぞくした。
 じゅる、と舌を吸われる。意識まで吸われるような感覚がして、堪らず目の前の男に縋った。身体の奥に熱が灯って、思考が焼けていく。腰周りを這っていたものが、背筋を伝い登っていく。
「ぁ……ふ……」
 いつの間にか腰に回っていた腕に強く引き寄せられ、身体がなお密着した。それにより深くなる口づけ。体温が混ざり合って、互いの舌がどちらの口にあるか分からない。分からないけれど気持ちが良くて、自分では止められなくなっていた。
 夢中になって舌を絡めあった。ひとしきり唾液を混ぜあって、ようやく唇が離される。その間で、いやらしく糸を引くそれ。切れて口の端に落ちる感覚が、何かとてつもないものに感じられた。
「ん……。お前、口の中、舐められるの好きだよな」
「……しり、ません……」
 ヤマトタケルが微かに笑うのに、震える息でどうにか答える。何を言われても反論できない。それぐらい頭が蕩けてしまっていた。
 まだ唇が触れそうなほど近くで、じっと見つめられる。焔より苛烈な色をした、それでいて焔よりも優しい揺らめきを宿す瞳。見入られて、同じだけ見入った。溜め息が出そうなほど綺麗で、熱くて、胸に染みた。
「なぁ」
「はい……」
「好きだ」
「……は?」
 唐突の告白。口づけの心地良さと熱い眼差しに陶酔していた頭が、さすがに覚醒した。今はその流れだっただろうか。確かに甘ったるい空気の中にいると、今になってじわじわと自覚するが。
 そもそもそんな惚れた腫れたの話以前に、特別な関係でもないのにすることをしてしまっている。致してしまっただけならば酔った勢いの一夜の過ちとして片付けられたが、そういうわけにもいかない、拗れた状況になってしまった。
 開いた口が塞がらない。だが、ヤマトタケルは意に介さず、固まるオモイカネの頬を優しく撫でた。
「お前が本殿に来た頃から気になってはいたんだ。割りと好みの顔立てだったからな。そのときはそれだけだった、お前に初めてじっくりと触れた、あの夜が来るまでは」
 また、唇に触れられる。紅を差した、あの薬指で。記憶をなぞるように。
「迷っていたが、ここまで来たらもう誤魔化しも利かない。だから、俺はお前を手に入れることにする」
「えっ……、え……?」
「明日から」
「……、……明日?」
 思わず鸚鵡返しをしてしまった。仕事を後回しにする、何かとだらし無い人がよく使う言葉。彼によく似合いの、どころかよく使ってもいる当てにならない言葉。
 柄にもなくときめきかけた心が凪いで沈む。僅かに一瞬でも彼ならば良いかも知れないと思った自分が悲しい。いつになく真剣な眼差しに、ああも簡単に絆されるとは。
 断ろう、と思っていた頭を抱き抱えられる。抵抗する間もなく、頭頂部に顔を埋められた。
「今日、というか今は、まだこのままでいたい……」
 腕の中に閉じ込められて、甘えられる。それきり黙ってしまったヤマトタケルは、きっとまた眠ってしまったのだろう。オモイカネは呆然として、彼の胸元に額を置いた。
 穏やかな鼓動が聞こえる。密着した肌からの体温はすっかり身に馴染んでしまって、抜け出す気力を奪われた。もういいかと思ってしまう。このまま彼に委ねてしまっても、そう悪いようにはなるまい。彼も彼なりの誠実さを持っているのも確かだ。
 明日から、彼はどういった手でこの身この心に触れてこようとするだろうか。怖い、と同時に期待が湧く。早くも触れられたいと思っている。何も始まっていないのに。






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