やけに風が吹き荒れる。嵐というほどのものではないが、まだ青い葉が舞い上がる程度には強い風が吹いていた。妙だな、と倭音は首を傾げた。見上げる空は良好そのものである。 それはそれとして、倭音は神籬を探していた。どこぞへふらりと出かけて行ったぞ、とは六合談である。ここ最近の彼は行動範囲を広げて遊んで(いるつもりはないのかもしれないが)歩いていた。塞ぎ込んで引き籠るよりは遥かにマシではあるが、誰にも何も言わずに出かけるのはどうなのだろうか。束縛じみたことを強要するつもりはないが。 (まあ、人のこと言えへんけどな) 倭音とて誰にも何も言わずに出かけることなどざらにある。彼の放蕩を責められようがない。言ったが最後、片眉を吊り上げて人のことが言えた義理ですかとの反論が来るのは目に見えた。 お互い様、の言葉が過り、無意味に頭を掻く。強風のあおりを受けて、何やの、と誰に言うでもなく呟いた。 さて、辿り着いた先で、倭音はとんでもないものを見た気がした。千鳥足で歩いてくるのは、探していた男。風に乗って酒精の匂いを感じる。どこからどうみても相当泥酔しており、よくぞ無傷で無事だったと拍手を送りたい気持ちになった。 「おや、倭音殿じゃないですかあ」 ひどく上機嫌で手を振り、間延びした言い方で倭音を呼んだ神籬に、違和感が全身を駆け巡った。酒とはかように怖ろしい飲み物であったかと思い知る。 「な、何でそんなに酔っとんの?」 「ん〜? ちょっとそこで、ねえ」 (うわ、これアカンやつや) 全く以て話にならない。詳しい話を聞くにしろ聞かないにしろ、これは引きずってでも連れて帰るしかないなと倭音は決心した。このまま放置しては何が起こるか、はたまた彼が何をするか分かったものではない。 「まあええわ。はよう帰るで」 「ええ? もう帰るんですか?」 「帰るわい。つかこの風もお前のせいやろ? 酔って制御が利かなくなってんとちゃうんか」 「そんなことないですよう」 「そんなことあるて。ああっ、吹かすな、吹かすな!」 ごう、と一際強い風が辺りを渦巻きだして、倭音は慌てて自身の笛を取り出した。風に音をぶつけて相殺を図る。やがて鳴り止む風。安堵ともに笛から口を離すと、神籬は口を尖らせた。 「もう吹かないんですか」 「……聞きたいん?」 うん、と頷いた(はい、ではない)神籬に、ちょっと嬉しい気持ちが湧く。だが今ここで応えてやるわけにもいかないだろう。 「帰ったら聞かしたるわ」 「本当ですか?」 おう、と返事をする間もなく、ぎゅっと抱き付かれる。何が起きたのか咄嗟に理解しきれず、倭音は神籬に抱き付かれたまま固まってしまった。 「ありがとうございます、倭音どの……」 「え、あ、ちょ、神籬さん!?」 大胆過ぎるんじゃないかとかまだ早いんじゃないかとか色んな事が豪速で脳内を駆け巡った。それはそれとして比較的冷静な自分が、どうかしたのかと神籬の肩を叩く。だがこれと言った返事はなく、妙な静寂が辺りを包んだ。 周囲の静けさに合わせて落ち着きを取り戻した倭音は、まさかと思い耳を澄ます。規則的な呼吸が耳に届いた。顔は見えないが、体を揺らしてみても反応がないことを見ると、導き出せる答えは一つしかない。 (この体勢で寝れるん……?) え、まじで? どうすんのこれ? 珪孔雀石さん来ないかなー? などとちょっと大きめに呟いても何も起きない。心地よさそうに寝ている(と思われる)神籬を抱えて、倭音は途方に暮れた。彼の頭から落ちた烏帽子を拾うこともできない自分の不甲斐なさに泣きたくなった。 どうにか神籬を揺り起こし、烏帽子もちゃんと拾って、帰ることができた。道中、知人と会うことがなかったのが不幸中の幸いというべきか。布団の上に神籬を座らせて、倭音はようやく一息ついた。 神籬は戻るまでの間ずっと離れたがらず、抱き付いたり腕を絡めたりなどして身を寄せてきた。普段とは全く違った言動に、倭音は困惑を隠せず。嫌だという気持ちは全くと言いていいほど無いのだが、かといってこの様子を誰かに見られたくはなく。しかし離れてくれと言っても、泥酔しきった彼は聞いてくれなかった。 どうしてもくっつきたがる彼に、妥協案として手を繋ぐことを提案すると、まるで蕩けるような笑顔を浮かべて差し出した手を取った。夢でも見ているのかと思った。改めて酒は怖いと悟った。 (あの神籬がこんなんなるなんてな……) 手を繋いでからの神籬は妙におとなしく、引かれるままにここまでついてきた。だが依然として酔いが醒めないのか、ふらふらとして落ち着きがない。そして繋いだ手は放してくれず、仕方なく隣に座る。 (一体どんだけ呑んだんや……) 赤らんだ頬に、どことなく焦点の合わない眼。時折少しだけ吹く風に酒精の気配。酔いが醒めたら、この状況をどう思うだろうと悪戯に考えた。 そう思いながら眺めていると、視線に気が付いた神籬が倭音をじっと見つめ返してきた。食い入るような目線に、妙な予感が胸を過る。 (あっ、何かこのままじゃアカン気がする。寝かしつけるとかしとかんと) そう思い手を放そうとするが、一足遅かったようで。ずい、と身を寄せてきたことに怯んだ隙に押し倒されてしまった。 状況が状況なだけに、開いた口も塞げない。動揺に目を丸くしているうちにも神籬はのそのそと動き、倭音の上に跨る。着ていた狩衣を脱ぎ捨て、あれよあれよという間に肌襦袢一枚と成り果てた。 「ちょ! ちょ! タンマ、タンマ!」 堪らず制止をかけようと手を伸ばす。すると神籬はその手を取って、自身の頬へと持って行った。 「いつまで待てばいいですか?」 「へ?」 「早く、倭音殿に、触れてほしいのに」 ちょっとよく分からない。 倭音は神籬に対して吝かない感情を持っている。はっきり言ってしまえば恋情を抱いているのだが、それを誰かに露呈させたことはなかった。ように思う。泥酔した時とかは言ってしまったかも知れない。それにしてもこのことを誰かに揶揄されたりしたことがないので、おそらく言ってないし言ったとしても覚えてないのだろう。ありがたいことだ。 正直のところ、この吝かではない気持ちが恋情なのかは些か自信がない。何故ならば彼に対してはっきりとした欲情を覚えたことがないからだ。彼には大事にしたいとか可愛がりたいとか庇護欲的なものがあって、でもちょっと独り占めしてみたいとか彼も同じ気持ちであればいいのにとかいう思いがあって、大体その程度だ。 我ながら煮え切らないものだが、だからこそ誰に言うでもなく自分の中でこっそりとその意味を考えていた。今はまだその段階だというのに。 「ずっと、早く触れてほしいって、思っているのに」 酔った勢いのくせに、そんな切なげな声を出してよくも言ってくれるものだ。 だが、早くと事を急く神籬が矢庭に開いた胸元の、奥に見える白い肢体に目が眩んだ。摺り寄せてくる腰つきに、はっきりとした欲情を覚えた。捉えられた手に唇を押し付けられるのに、心に火が点いた。 「っ、神籬――」 「――倭音殿、俺は、倭音殿が、ほしい」 |