長期の遠征の帰り、その道すがらの都で子供たちがたむろっているのを見かけた。別段、興味などはなかったが、そこから散っていく子供の手にある物に気が付いて、つい足を止めた。陽の光に煌めくような金平糖。店の軒先で好々爺が量り売りをしていた。
 甘味を見て思い出すのは愛しい姿。だが、愛しさのあまりの暴挙をしでかして、苦々しい思いが胸を濁した。今考えても何をしているのだと思う。しかし、同時に、どう考えてもあれだけの衝動を抑えることなどできなかっただろうとも思う。好きだと自覚した瞬間に、見えていなかっただけの積もり積もった欲求が一気に弾けたのだから。
 あれから謝る暇も与えられず遠征に駆り出された。想いを振り切るようにがむしゃらに戦ったが、ただ疲労を積んだだけに終わったように思う。どれだけ剣を振り下ろしても切り捨てられず、幾度と炎を放っても焼き払うことができなかった。むしろ振るえば振るうほど、想いが心深くに刻まれていくような気さえした。どうしようもなく好きなのだと諦念するしかなかった。
 食べたいわけでもない金平糖を買う。手のひらにざらざらとした感触を持て余して、社への砂利道を歩いた。足元で小石の擦れ合う音。手の内で金平糖が擦れ合う音。同じく遠征を共にしていた仲間たちが早々に社へ向かうのに取り残され、重い足を引きずる。雑音だけを耳に拾って、鳥居の足を視界の端に捉えた。
「――ヤマトタケルさん」
 足下の嫌に刺々しい音を擦り抜けて、耳に届いた柔らかな声。ヤマトタケルは文字通り弾かれるように前方を見た。そして、焦がれた姿を見た。
「……オモイカネ」
 呼ぶだけでも舌に甘い名前を呟く。恋い焦がれて仕方がない姿を、数日ぶりに見つめた。いつ見ても美しい男だが、恋情を自覚した今となっては殊更愛おしい。だが、表情に差す翳りの色は彼から普段の精彩を欠かせた。
 皐月の緑の色をした眼が、戸惑いに揺れている。そうさせたのは紛れもなく自分だ。そんな表情をさせたかったわけではなかったのに、なんて愚かだったのだろう。蕩けて煌めく瞳が、白桃も斯くやの頬が、無邪気な弧を描く唇が、好きだったのに。
 オモイカネは視線を遣るだけで黙しているヤマトタケルにぎこちなくも微笑んでみせた。その気丈さに、さらに胸の痛む思いがした。
「皆さん、主さんの元に集まっていますよ」
「……ああ」
「貴方が大将でしょう? 貴方が行かなくては部隊を解散できませんよ」
「ああ」
「お疲れなのは分かりますが、ご報告はしっかりなさってくださいね」
「ああ」
「……では、私は所用がありますので」
 そう言って、横を擦り抜けていくオモイカネ。なおも何も言えず、ただ見つめたその横顔。努めて冷静に平生を装おうとして、返って強張った表情を見て、心の奥の熾火に火が点いた。
 自分勝手だと言われても、どんな風に罵られようとも、もう止められない。舌に乗る甘さ、それを凌駕する彼の笑顔を愛しいと想う心。人知れず重ねた他愛ないひと時を喜ぶ幼気さが好きだ。その胸の内が欲しい。それさえあれば、それを守るためならば、いくらでも戦える。いかな敵にも挑める。そうなりたい、なってしまいたい。
 堪らず掴んだ腕。はっとして振り向くオモイカネと、しっかりと目が合う。彼が取り繕えず頬を淡く染めるのに、息ができなくなりそうなほど胸が締め付けられた。愛おしい、なんて愛おしい色なのだろう。
 好きだ、と言いかけたのを、腕を掴んだ手に手を添えることで彼が止める。拒絶するかのように押し止められた感情に眉を寄せると、彼はさらに首を振った。
「まだ、遠征中でしょう? 主さんにご報告を。私は、都に行ってますから」
 オモイカネはそう言って腕の手を解くと、そのまま去っていく。速くもないが遅くもない速度で振り向かずに行く背。しばらく見つめてから、ヤマトタケルは踵を返して本殿へと駆け出した。

 急いでいるときに限って、何かと手間取るものである。独神への説明もさることながら、説明の仕方に対して他英傑にごねられ、苛立ちも露に報告を終えた。途中、訳知り顔の独神に宥められたときはさすがに大人気なかったかと思ったが、焦りで取り繕う余裕もなかった。
 詫びのつもりで、ずっと持っていた金平糖を独神に渡した。オモイカネのことを考えながら買ったものではあるが、オモイカネに渡そうと思っていたわけではない。そもそも持て余していたものだ、それで少しでも相手の気が紛れるなら、それに越したことはない。
 さながら押し付けるようにして、本殿を飛び出した。都までの道のりがやけに遠い。ましてや都のどこにいるか分からないオモイカネを探すなど、至難の業。だが、それでも探さずにはいられない。会いたくて仕方がない。自分の中にこんなにも能動的な部分があったとは、と他人事のように思いながら。
 第一、去り際のオモイカネの言い方がどこか思わせ振りだった。そう言えば分かるだろうというような口振り。分かるか、と悪態を心の中でつきつつ、思考を巡らす。
 例えば交わした約束。約束などする間もなかったが。
 でなければ一等のお気に入り。彼の口からそのような言葉はついぞ聞かなかったが。
 あるいは通う順番。その日の気分で決めると言っていた気がする。
 何一つとして思い当たらない事実に打ちのめされるばかり。行き詰まりの思考は鈍り、目線だけが逸って周囲を見回す。やたらと脳裏を過ぎるのは、衝動的に口づけをしたあの店。
 他に何も思いつかず、縋るように件の店に足を運んだ。そのときの一度しか行ったことはないが、おおよその位置は覚えている。付近まで行けば分かるだろう。路地を入り、迷い込むような奥深く。
 苦い記憶のそのままの暖簾をくぐると、見覚えのある店主にぶっきらぼうに迎えられた。顎で店の奥をしゃくられる。指図されるままに向かうと、いつかの席にオモイカネが静かに座っていた。
「オモイカネ……」
 名を呼ぶと、オモイカネはゆっくりと振り向いた。その表情は存外、穏やかだった。
「お待ちしておりました」
 向かいの席を手で案内される。ヤマトタケルはそれに従い、腰掛けた。
「めちゃくちゃ探したぞ」
「それにしては早かったですね」
「……ここしか、思い浮かばなかった」
「探したのでは?」
「頭の中で」
 オモイカネが小さく笑った。そして「そうですか」と独り言のように言った。
 彼はまるでいつも通りの様相で話している。だが、それは取り繕っているものだとは、ヤマトタケルには容易に知れた。彼は本来ならば相手の目をしっかり見て話す。だのに今は殆ど目が合わない。始終俯きがちで、表情にはうっすらと陰りが差している。
 憂いを帯びた顔すら美しいと感じてしまう。しかし、見たいのは百花すら霞むような微笑に綻ぶ花顔だ。あの顔が何より愛しいのだと身に染む。そしてそれを奪ったのが己だというのであれば。
「この間は悪かった」
 思えばこそ、謝罪の言葉がするりと出た。頭を机にこすりつけるほどに下げる。
「嫌な思いをさせた。俺もいきなりあんなことをするつもりはなかったんだが……その……」
 二の句が継げず、ゆっくりと口を閉じた。誤解を解こうと言葉を連ねれば連ねるほど、詰まらない言い訳になっていく気がする。これではまるで保身に必死になっているようではないか。
「……いいえ。私は、嫌な思いはしていません」
 どう言えばと考え倦んでのヤマトタケルの無言に、オモイカネは答えて先の言葉を振り払った。凛とした声だった。
 顔を伺い見れば、差していた影が色に変わっている。俯きがちではあっても、変化は火を見るより明らか。甘やかな変わりように目が釘付けになった。
「私のほうこそ、逃げ出すような真似をしてしまって済みません。その……初めてでしたので、動揺してしまって……」
 毅然とした物言いが、理由に至ると恥じらって口籠もった。初な反応が可愛らしくて息が詰まりそうになる。なんて純朴な男だったのだろう。そんな彼の心の柔らかな部分に、身勝手に触れてしまったことを今更ながら後悔した。
「自ら逃げ出しておいて、身勝手ながら貴方と金輪際になるのは嫌だと思いました。許されるなら、私はまだ貴方との時間がほしい……」
 だが、オモイカネは続ける。ヤマトタケルと在ることを希って、無機質な言葉に清らかな思慕を乗せて。まるで恋うような思いの丈は、初めて触れる心模様だ。
 だから、と彼は伏せていた顔を上げる。仄かな慕情を溶かした色の瞳が、ヤマトタケルただ一人を映した。甘い眼差しに縫い止められて、目が眩む。血が沸く。想いが湧く。
「俺はッ、ーー」
 言いかけて、どん、と目の前に器を置かれた。二人の前に、それぞれ一つずつ。突然のことに、オモイカネとともに虚を衝かれたようにそれを見やる。わらび餅だった。
 振り向いて見れば、置いた当人は早くも店の奥に引っ込んでいく。相変わらず無愛想な店主だ。今は正直、助かっているところだが。
「……頼んだか?」
「い、いえ……」
 戸惑い気味に小さく首を振るオモイカネ。であれば、あの店主のお節介だろうか。奥にこもったまま物音すら立てない、あの。
 しばし呆然としたが、じわじわと愉快な気持ちが込み上げてきて、ついに噴き出した。声を上げて笑っていると、口を引き結んでいたオモイカネも耐えかねて笑い出す。二人して笑い合うなどいつ振りだろう。久々にこんな軽やかな気持ちになった気がする。オモイカネの笑顔も、ようやく見られた。
 ひとしきり笑ったことで、無意識に張っていた肩の力が抜けた。背もたれに背を預け、ふと息を吐く。黒蜜が多めにかけられたわらび餅を見つめた。
「食い直せってことかな」
「ええ、おそらく」
 ならばと互いに匙に手を伸ばす。オモイカネが手を合わせるのに倣い、ヤマトタケルも食前の挨拶を済ませた。
 オモイカネの、溶けそうな餅を掬い口に運ぶのを見る。いつかに見た甘い表情に、こちらの表情も解けた。これが見たかったのだと、どれほど願っていただろう。見飽きない愛おしさに頭が一杯になりそうだ。情愛が無限に湧いてくるかのようだ。
「――……俺も、お前との時間がほしいと思うよ。もっと色んなことをして、お前のことが知りたい」
 ヤマトタケルの呟きに、オモイカネが手を止めた。ひたと見つめてくる瞳が、どこまでも澄んでいて美しい。そんな全てを見透かすような色を見つめ返す。ああ、その眼にいつまでも映っているためには。
「だから、何かあるときは呼んでくれ。いくらでも付き合うから」
 告げて、何か恥ずかしいことを言ったような気がして、誤魔化すようにわらび餅に手を付けた。それに集中して他を見ないようにする。柄にもなく顔が熱い。
「……はい、是非」
 やや遅れての返事に伺い見ると、蕩けるような笑み。ヤマトタケルの熱が移ったかのように頬を淡く色付かせて微笑む。その色は恋情と見ていいのだろうか。今はまだそこまで触れようなどとは思わないが。
 淡い期待に胸が高鳴る。口の中で解ける甘さが、頭にまで染み入るようだ。目眩く時間が終わりそうにない。






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