何故、遠征という大きな仕事を終えたにも関わらず、報告書などという最も頭の痛くて面倒な仕事をしなければならないのか。ダイダラボッチは苦手な、いっそ嫌いと言ってもいい作業に頭を抱えていた。
 紙を広げたはいいものの、何をどう書けばいいのか全く分からない。筆に墨すらつかない状態のまま、長い時間を無為に過ごす。我ながら馬鹿だと思う。馬鹿だからこそ、こんなに馬鹿げたことしかできないのだろう。本当に嫌になる。
「苦戦しているみたいですね」
 そこへ現れたオモイカネが、大量の書物を抱えて向いに座った。
「もう何かいたらいいか分かんねぇよ……」
「難しく考える必要はないと思いますよ。主さんも言うほど重要視してはいないみたいですし」
「なら何で書かすんだよ」
「字を覚えて書く練習、ですかね? 妖族の識字率が些か低いことに懸念を抱いておられるのでしょう」
「しきじ……?」
 難しい話は分からない。オモイカネが何を言っているのかも理解できず、どうにか聞き取れた音を拾ってはみたが、何が何だかである。オモイカネは案の定、苦笑を零した。
「識字率。文字の読み書きができ、理解できる者がどれだけいるか、ということですよ。妖族は神や人とは少し違った文化の元に生きていますから、仕方ないのでしょうが」
 噛み砕かれた説明に何となく言っていることが分かった。だがいまいちピンとこない。文化と文字なんて字が似ているだけで何の関係もないように思えるが、自分には計り知れない深い関係があるのだろう。
 そんなことよりも目の前の報告書である。識字率とやらが高ければ報告書が書けるというなら、あやかりたいものだ。ダイダラボッチは引き続き頭を抱え、真っ白な紙を睨んだ。
 オモイカネが小さく動く気配がした。そして紙を広げて硯を置き、筆を持ちながら大量の書物の中の一冊を開く。慣れた手つきで筆に墨をつけて何やら書き始める動作は、滑らかでとても綺麗だった。
「アンタってほんと何から何まで綺麗だよな……」
 しみじみと呟くと、オモイカネは困惑も露わに顔を上げた。
「何ですか、突然……」
「いや、だってさ、顔もいいし動きも品があるっつーの? 綺麗だよなぁって」
「そんなに褒めても何も出ませんが……、手伝ってほしいのなら、そう言ってくだされば手伝いますよ」
「えっ、いや、そんなつもりで言ったわけじゃねぇよ」
 思いもしないことを言われ、ダイダラボッチは慌てて手を振って否定した。目の前の仕事に頭を悩ませていたのは紛れもない事実だが、現実から逃避しかけただけで、甘い言葉で釣ろうなどとは微塵も考えていない。釣られてくれるのならば有難い話だが。
「ふふっ、冗談ですよ。ですが、お手伝いしましょう。いつまでもその状態ではいられないでしょう?」
 そう言って、オモイカネは筆を置いて身を乗り出してきた。机の幅はそれほど広くなく、少し身を乗り出しただけで近くなる距離に、思わずぎくりとする。端正な顔が近くにあるのは、どうにも目の毒だ。
 だが手伝ってくれるのは有り難い。まさかとは思ったが、本当に乗ってくれるとは思わなかった。殊にこういった書き物については、彼がついててくれるのであれば、これほど心強いものはない。
「本当か? 助かる!」
 オモイカネは小さく笑った。間近で唇が愛らしく緩む。可愛いという言葉が口を突いて出てきそうになって、慌てて飲み込んだ。






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