しとしとと雨が降る。静かで暖かな雨だ。雨に散る桜の物悲しさには何とも言えない寂寥を感じるが、それもまた風情というのだろうか。
 花廊のお庭番を任されていたアメノワカヒコは、傘を差して庭を見回っていた。ぬかるみに足を取られるのには眉を顰めるものの、雨だれの傘を打つ音の心地よさにその不快さもすぐに忘れてしまう。いつまでもその音を聞いていたくて、しばらくはただ庭を歩いていた。
「――アメノワカヒコさん?」
 不意に背後から名を呼ばれて振り向いた。聞きなれた声に想像した姿がそこにあり、アメノワカヒコは笑みを浮かべる。
「オモイカネ殿」
「やっぱり。今日の花廊のお庭番を任されていましたからね」
 小さく笑むオモイカネは、雨の中、傘の下にあっても華やかだ。おもむろに手を伸ばして触れた花も、彼の美しさを前に恥じらっているようにも見える。雫を滴らせて彼の指先を濡らす一瞬が、意味深長に見えてきた。
「いい具合に花開いてきましたね。そろそろ収穫できそうでしょうか」
「晴れていたら今日の内に収穫してしまってもよかったけれどね」
「そうですね。ですが、嵐ではないとはいえ、この雨では……」
 そう言って、彼はそっと空を窺った。薄墨を刷いたような空模様からは、晴れの兆しは見られない。天候も司る彼が今朝方、今日は一日雨が降り続くとも言ったことを思い出し、言う通り晴れることはないだろう。
「晴らすかい?」
 冗談めいて問うと、知った顔したオモイカネはいいえと首を横に振った。
「その力を持っているとはいえ、我々の一存で容易くどうこうしていいものではありませんから」
 傘から手を伸ばし、天の恵みをその手に受ける。薄暗い空にさえ慈愛の眼差しを向けるかのような横顔に、アメノワカヒコはただ見惚れるしかなかった。さんざん見惚れて、もっと傍に行きたいと思った。
 だがお互いの手には傘。その幅の分だけ、近づくことは許されない。もどかしい距離だ。雨が他を遮って二人きりの時間が作れているというのに、触れることもできないとは。
「――あ、お仕事の邪魔をしてしまいましたね」
 ふと気が付いたように、オモイカネが振り向いた。花廊のお庭番の仕事は、確かに今アメノワカヒコが承っている仕事だが。
「大丈夫、もう終わってるんだ。そういう貴方はここへ何しに?」
「用事という用事はないのですが、見回って歩くのが癖になっていまして……」
 オモイカネはそう言って苦笑した。独神のお伽番を長らく任されている彼にとって、社内の施設を見て歩くのはすでに習慣となっているようだ。多くの英傑が億劫がって本殿なり自室なりに籠っている中、わざわざ外に出て各施設を渡り歩いてきたのだろう。
 アメノワカヒコとて最初は億劫であった。ましてや雨の日の花廊のお庭番の仕事など、合って無いようなもの。わざわざ外に出てくることもなかったのだ。だが何となく使命を感じて出てきてみれば、この偶然である。
 もうどうしても触れたくなった。邪魔をするならばしまってしまうまでと、傘を閉じる。そうしてオモイカネの開く傘の中に潜り込んでは、その肩を抱き寄せた。
「ならオモイカネ殿は今、暇なのか?」
「……ええ。主さんからも、お暇(いとま)をいただきました」
 耳元の甘やかな声に、胸に充足感が広がる。その身を独り占め出来ているという事実は、俄かにアメノワカヒコを陶酔させた。自惚れも交えて彼の頭を抱けば、応えるように空いている手を肩に乗せてくる。なんと慎ましやかな情愛なのか。
 やがて小さく笑う声がして、どうしたのかとその顔を覗き込んだ。伺い見たその頬は淡い桜色。蕩けるような若葉色の眼が、幸せそうに細められていた。
「相合傘ですね」
 鼻先が触れ合いそうなほどの距離で見る彼の微笑に、アメノワカヒコは何も答えられない。代わりにその唇に唇を重ねた。彼への恋情が降り止まない。






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