日が傾きはじめている。都で馴染みの酒屋で例のごとく梅酒を買った際、偶然にも出会ったオモイカネと書店を探っていたら、予定よりも長く都に居座ってしまったようだ。 己は書店に用はなかった。だが、巡り会わせたオモイカネと会話を重ねるうちに、付き合ってやろうという気持ちが芽生えた。彼とは話が合う。おおよその人間には理解されない話にも、彼は理解を示してくれる。長らく厭世的であった己に、それは思っていた以上に心地好かった。 誰もが己の知識に釣り合わなかった。かつての己の周りには低脳な輩ばかりが蔓延っていた。たまにそれなりの頭脳を持った者が現れたかと思えば、低俗な欲に塗れた薄汚い人間であることが多かった。今思い返しても嫌気がさす。 奇妙なものである。全てが過ぎ去った今になって、彼のような者と巡り会おうとは誰が予想しただろうか。もっと早くに出会いたかった、とは叶いもしない我が儘か。そもそもが違いすぎる存在。神と人。本来ならば近づくことすらままならないのだ。 そんな彼と余暇が噛み合ったとなれば、付き合いたくもなるだろう。手伝おうかと申し出た際の、お願いしますとの返事には、僅かな高揚感を覚えた。独神にしろ彼にしろ、誰かに必要とされることは、こんなにも満たされることだったのか。今更になって気付く。 「ーー済みません、こんな時間まで付き合わせてしまって」 赤らみはじめた太陽の光を受け、道中が黄昏時の様相を呈して来る。申し訳なさそうに謝罪したオモイカネの髪も、赤金に燃えていた。 「気にするな。最後まで付き合うといったのは俺のほうだからな」 「ありがとうございます」 「礼もいい。そのかわり、今夜の晩酌に付き合ってくれよ」 「ふふ、私でよろしければ」 微笑んだ彼の瞳が柔らかく光った。その緑は初夏の新緑よりも鮮烈で、芳春の萌芽よりも神秘的である。例えようのない美しさだ。果たしてこの美を形容する言葉など存在するのだろうか。 空は赤みを増し、景色を赤く焼く。隣を歩く神の肌をも赤く染め上げる。斜陽を、目を細めて見つめる姿に、己も同じように見つめてみる。沈み行く夕日。夕景が夜景に移り変わろうとしている。 「日が沈んでしまいそうですね」 「そうだな」 「ああ、もうあんなに」 見る間に空は夜陰の色を抱きはじめ、夕日を見るのも残り僅か。じりじりと姿を隠していく太陽に、ふと期待にも似たものを思い出した。 緑閃光。太陽が沈む刹那に見られる奇跡の緑。様々な気象条件が重なった一瞬にしか見られない幸福の光。 もしかしたら、という気持ちが微かにあった。だがそう簡単に叶うものではなく、日は沈みきり、辺りは完全に夜となった。先までは見えなかった星星が姿を現しはじめ、遠くに月も見える。幸い社はもう目と鼻の先にあるため、迷う心配はないが。 「貴方ならご存知だとは思いますが」 呟くような声。遠くを見ていた眼差しが、おもむろにこちらを向く。その目には幽玄なる緑。 「緑閃光。見れるのではないかと、一瞬ですが、期待してしまいました」 そう簡単なことではないのにね、と苦笑を零した彼に、胸が淡く踊る。同じものを見ながら、同じものを夢見た。ほんの些細なことであるのに、どうしてこんなにも温かな気持ちになるのだろうか。 もっと早くに触れていれば、違う人生を送れていたかもしれない。御霊として畏れられ、挙げ句に天神として奉られるという哀れな末路を迎えることもなかったかもしれない。彼と慎ましやかな幸福に満ちた人生を送ってみたかった。 だが、やはり今更なのだ。むしろそんな人生を送ったからこそ、こうして出会えたのかもしれない。だからとて受け入れられるものでもないが。 「俺も同じことを考えていた」 「おや、奇遇ですね」 淡く微笑む彼の眼が、社からの光を吸って幽かに光る。その瞳にかの光を見た気がして、この身に訪れている奇跡を噛み締めた。 |