オモイカネの部屋を訪れると、彼は机に向かって何やら書類整理をしていた。今朝からずっとあの様子でいるように思う。確かに頭脳労働を好む人であると理解しているが、それにしてもよく飽きないものだ。 「何だか忙しそうだね」 「アメノワカヒコさんですか? ええ、遠征が立て込んだもので、こちらが疎かになってしまいましたので」 作業の邪魔にならない程度に声をかけると、彼はこちらを見ずに答えた。言いながらの手は速い。時折取る筆の運びさえためらいがなく、次から次へと書類を振り分けていく。ちゃんと分かってやっているのだろうかと不安を覚える速さだが、彼のことだからきちんとやれているのだろう。そもそも何をしているのか分からないから、心配のしようもない。 さて、オモイカネの元を訪れたのは他でもない。手の中にある器を落とさないように、後ろ手に障子を閉めた。 「主さんから、さくらんぼを分けてもらったんだけど、一緒にどうかな?」 「さくらんぼを?」 「うん。今朝から作業をしているだろう? 休みがてらに、どうかな」 「そうですね、もう少しでキリのいいところまで行くので……」 なおも手を止めないオモイカネに、アメノワカヒコは苦笑して隣に腰を降ろした。 黒漆を塗り重ねた木製の器に、淡く輝くような桜桃の実が盛られている。桜桃らしく何とも可愛らしい実だが、八百万界でも最高級品らしい。どれほどのものか想像もつかない。 それを一粒摘まんで、彼の口元まで持って行った。 「はい、あーん」 彼はキョトンとして実を見つめた。さすがに作業の手が止まる。瞬きが数度繰り返される。 やがて目線がアメノワカヒコに向いた。瞳が言わずとも問うてくる。それに食べないのかと首を傾げて答えて見せれば、彼は仕方ないとばかりに苦笑した。 実を持つ指に、彼の慎ましやかな唇が寄せられる。小鳥が木の実を啄むかのごとき愛らしさで、指先に柔らかな感触を残して実を取っていく。彼の愛らしい唇に甘く食まれる木の実。その様の幼気でありながら色気をも孕む雰囲気。 間もなく咀嚼が始まる。ほぼ同時に顔に広がる笑みに、アメノワカヒコは喉を鳴らした。 「ん……美味しいです。甘味が濃厚で……」 「うん、美味しそうだね」 桜桃のことなどは頭になかった。果実の甘みに満足げな唇のほうが、よほど甘そうに見えた。 こくりと飲み込む。その瞬間の無防備な唇を、自分の唇で塞いだ。驚きに小さく跳ねる肩も厭わず、その唇を吸う。 何度も吸い付き、触れ合わせる柔らかさは甘美だ。繰り返す口付けの合間に零される吐息ほど甘いものもない。微かに香る桜桃の香にも、思考が蕩けそうなほど。 唇の隙間から舌を滑り込ませて、まだあるであろう種を探る。そうして舌の輪郭を丹念になぞると、彼は嬌声じみた吐息を溢れさせた。紙の散らばる音とともに、肩に縋るように掴まれる。このまま押し倒してしまおうかと思わせる仕草だった。 種を彼の口から奪い取りながら、ゆっくりと唇を離す。名残惜しげに唾液が糸を引くも、すぐにふつりと切れた。 「急に、やめてください……」 オモイカネは口を手の甲で拭った。手こそ拒絶の動きを見せるが、潤んだ瞳や紅潮した頬は快楽の兆しを如実に示している。 「オモイカネ殿の唇が可愛らしいから、つい、ね」 「貴方はすぐにそれだ……、もう……」 どこか拗ねたように唇を尖らせ、手放した書類を集めて作業に戻ろうとする。少し背を向け気味に再開するのに、アメノワカヒコは声に出さずに笑った。 |