夜中にふと目が覚めた。少しの間、天井を見つめて、おもむろに身を起こす。喉の渇きを覚えたフェイトは、水を飲もうと水差しを求めてベッドサイドのテーブルに手を伸ばした。
 すぐ傍にある窓からの月明りで、サイドテーブルくらいは簡単に視界に捉えることができた。グラス製の水差しが、月光を反射して薄ぼんやりと光るよう。その向こうのベッドで眠っているアルベルを起こさないように、そっと水差しを傾けた。
 コップ一杯を一気に飲み干して、一息つく。水は時に甘露だ。染みるように潤った喉に満足して、コップを元に戻す。
 手を放した先、その遠くにアルベルの寝顔。珍しく穏やかなそれを、フェイトはじっと見つめた。
(そういえば、寝込みを襲われたこともあったな)
 唐突に蘇った記憶に、フェイトは微苦笑を零す。まだ出会って間もない頃、敵ではなくなったが仲間でもなかった時のことだ。寝ているところに獲物を突き立てられ、宿泊していた宿屋の裏に呼び出されたものだ。
 襲われた、とはいえど、本気でなかったことは容易に知れた。彼ほどの実力の持ち主ならば、気配を殺したまま殺害することも容易いはずだ。それをしなかったのは、起こすきっかけ、話をする口実がほしかっただけだろう。フェイトはそう思う。
 相手が自分であれ、そうでなかれ、一度は憎しと思った相手の寝姿を見下ろして、アルベルは何を思っただろうか。心の奥底では、本当に殺してしまおうかと迷った瞬間もあったのではないだろうか。冷ややかな目の奥に激情を滾らせる彼が、その選択肢を選ばずとも考えないことはないと思う。
 今はもう当時の憎しみはないように思える。雰囲気が和らいだように感じたのは、こちらに背を向けているから。その背を預けてくれるまでに信頼してくれている。憎しみを抱いていたままでは出来ないことだ。
(僕は、憎しみを超えて寄せてくれるお前からの信頼に、応えられているか?)
 フェイトは自身のベッドから離れて、アルベルの横たわるベッド脇にそっと腰かけた。白い面差しは、目が閉じられているだけでひどく幼く見える。彼の瞳がどれだけ鋭く野心的かが察せられた。
 柔らかな前髪をほんの少し指先で梳いて、頬の触れるか触れないかの距離で体温を感じて、緩やかな輪郭を目でなぞる。いっそ不思議なくらい、整った顔だ。
「何の用だ」
 ぼんやりと見惚れていたところへ、予想外にアルベルの唇が動き出して、フェイトは手を引っ込めた。目が開いては、いつもの仏頂面が表れる。アルベルの覚醒に、フェイトは言葉を失った。
「……いつから起きてたんだよ」
「お前が水飲んでたあたり」
「最初からじゃないか!」
「知るか」
 にべもない返事に、フェイトは口を閉じる。フェイトの思う“最初”など知る由もないアルベルには、確かに知ったことではないのだ。反論のしようもない。
「で、何の用だよ」
 二の句が告げずにいると、アルベルは俄かに身を起こした。起きながらの言葉に、フェイトは首を傾げる。
「えっ?」
「さっき人の顔触ってただろ。くすぐってぇ……」
 言いながら、アルベルは頬を手の甲でこすった。ぎりぎりの距離が肌にもどかしかったのだろう。フェイトは咄嗟にごめんと謝った。
「特に意味はなかったんだけど……」
「意味もなく寝てる奴の顔触んのかよ」
 言い淀んだフェイトの言葉に返される、呆れ気味の声。気持ちは解らなくもない。フェイトもそれをした相手がアルベルでなかったら、同じことを思っただろう。呆れて、何を考えているのかと予想もせずに流すだろう。
「誰にでもってわけじゃないよ」
「あ?」
 包帯に巻かれた左腕を掴むと、彼の眠たげだった眼が完全に覚醒した。驚きと動揺に見開かれた瞳が、フェイトを凝視する。間近にまで迫ったフェイトを映す。
「言ってる意味が解らないわけじゃ、ないよな?」
 からかい気味に問うたものの、吐く息が震えたのは否めなかった。
 窓からのささやかな光を吸収して輝く、アルベルの紅玉のような瞳。熾烈な色を湛えた眼が、ふと泳いで戸惑いの隠し方を探す。フェイトの言葉を、フェイトの思う通りに理解したのか。伏し目がちになった様子が、いつにない空気をまとう。
 やがて短く舌打ちをしたアルベルは、先までの惑いが嘘のようにしっかりと目線を合わせてきた。覚悟を決めた眼差し。フェイトも、もう逃げ道は作れないと覚悟した。
 長らく目を逸らしてきた恋情に対峙する。今がその時だと悟った。互いに惹かれあうものがあるとは薄々勘付いていたが、ずっと気のせいだと、何かの間違いだと見て見ぬふりをしてきた。だがもう誤魔化しも利かないくらいに、確かな想いに変化している。
 掴んだ左腕を手放し、今度はそっと手に手を重ねる。寄せられる信頼に、愛情で返すのはおかしいだろうか。だがきっと彼には愛情が必要だ。アーリグリフ王にも、風雷の長にも担えなかった、与えられなかったもの。それを自分が担い与えることで、応えよう。
 閉じられた眼に、一入決意した。






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