見渡す限り赤茶けた色ばかりの町を、フェイトは歩いていた。この町特有の埃っぽさには慣れたつもりだったが、馴染みの文明から帰ってきた後となると、やっぱり少し居心地が悪いかなとも思う。
 とはいえ愛着も湧きつつあるこのカルサア。ふと思い立って仲間を探しているのだが、どこに行っても最後の一人の姿がなくて、フェイトは首を傾げた。よく見かける場所は勿論、町の隅々までを隈なく探したのだが、あの目立つ姿が見当たらない。
 一体どこへ行ったのだろうか。カルサア修練場へと続く門前に佇み、思案。他にどこかあっただろうかと考えて、ハッとした。背後を振り向けば、開け放たれている門扉。この先にも彼、アルベルの居場所があるじゃないかと、フェイトは歩き始めた。
 町と修練場の間に跨る丘陵は、魔物がうろつく危険な道のりではあるが、アルベル程の力量ならば問題のない一路だ。フェイトでさえ、己の武器の一振りで払える魔物を、あのアルベルが手こずるわけがない。一瞥の間に終わるはずだ。
 剣に、碌に血糊もつかないうちに、修練場に辿り着く。内部のひんやりとした空気に触れながら、そういえばここに来るのは件の事件以来だと気付く。父・ソフィアとの再会、それを喜ぶ間もなく訪れた父の死、ビウィグ率いるバンデーン兵との戦い。そこに一閃を投じるのは、たった今探している人物。
 奇異な巡り合わせだと思う。敵同士として遭遇し、戦い、その後の話の流れで一時的に仲間になったかと思えば、未だに仲間としてともに歩んでいる。まるで架空の物語のシナリオを辿っているよう。
 終幕はどのように降ろされるのだろう。修練場の最上階を照らす太陽を仰ぎながら、フェイトはふと息をついた。
「アルベル」
 目的の人物の姿をようやく見つけ、フェイトは声をかけた。呼ばれたアルベルは、壁の上から横目で一瞥だけを寄越し、また向き直る。彼のうなじあたりで結われた二本の髪の束が、尻尾のように揺れた。
 そういえばこの星の猫は二股の尾をしていたなと思いながら、アルベルの元へと壁を登る。咄嗟に猫を思い出したものの、彼は猫ではないだろうと思った。猫とするにはあまりにも爪が鋭すぎる。
「隣いいか?」
 壁を登り切り、傍らにて問う。紅い瞳が睨めつけてくるが、彼の目付きが悪いのは今更、怖くもなんともない。
「ダメだっつったら退くのかよ」
「うーん……、いや、退かないな」
「なら聞くんじゃねェ」
 拒絶しているようで、その実、端からその気もないという、ただの揚げ足取り。好きにしろという暗なる意思表示に、フェイトは小さく笑んで隣に腰を降ろした。
 足を降ろした先は、断崖絶壁。眼下の遠く遠くで、波が岩壁に当たって白く砕ける様が見える。よく耳を澄ますと、潮騒が微かに聞こえた。葉擦れの音にも似たそれに、心が凪いでいく。
 思えば、この場所に良い思い出はないのだ。先だって、件の事件を思い出しては心が重くなるのを感じていた。それなのにこの落ち着きようは何なのだろう。居心地の良ささえ感じる、穏やかな空気。
「……何しに来たんだ」
「え……?」
 不意の問いに、フェイトはきょとんとした。立てた膝に頬杖をつくアルベルが、顔をほんの少しこちらに向けて見ている。それをじっと見つめ返しながら、問われた言葉を反芻して答えを探した。
「……特に、何も」
 そうして導き出した答えがこれである。言い訳も何もない、考えてみれば確かに探していた理由など何一つなかった。強いて言うなら、気になったからであろうか。
 アルベルは案の定、呆れたような眼差しを寄越した。溜め息を吐かれなかっただけマシだろう。再び顔を正面に直して、呟いた。
「用もねぇのにこんなところまで、ご苦労なことだな」
 溜め息代わりの皮肉を、フェイトは受け止めた。皮肉屋の彼の可愛げのない台詞はいつものことだから、もう怒りだの呆れだのは浮かんでこない。ただ同じように立てた膝に肘を置いて、苦笑を零した。
「まぁね。でもそんなこと言ったらアルベルだって、用もないのに来たんだろ?」
「俺がどこで何しようが勝手だろ。大体、今日は一日自由行動なはずだ」
「そうだよ。だから僕も同じ、な?」
 誰がどこで何をしようが個人の勝手なのだから、フェイトがアルベルを探して修練場まで来てしまっても、何ら問題はない。暗に問い返すと、アルベルは舌打ちで返事をした。上手く言い包めたことを咎め、肯定を渋々ながら遠回しに表現する音で以て。
 もう文句はないと言わんばかりに黙したアルベルに倣って、フェイトも正面を向いた。果てしなく続く海と空を望洋と眺めながら、ずっと感じている居心地の良さを思う。久しぶりに感じるような安寧が、ここにはあるような気がしてならない。取り囲む豊かな自然からではない、それ。
 思案して、視線が辿り着いたのは隣の存在で、フェイトは心中で感嘆の息を吐いた。どうしたって彼しかいない。フェイトの足をここまで運ばせた人物。
「お前の隣って、何だか居心地がいいや」
 思わず呟いた言葉に、アルベルが振り向いた。その呆然とした顔に吹き出しそうになりつつも、どうしたことかと首を傾げる。
「あれ、何か変なこと言った?」
「お前……、チッ、何でもねェ。勝手に言ってろ」
 何かを言いたげに開いた口は、結局言葉が見つからなかったのか、舌打ちと憎まれ口だけを吐いて、また閉ざした。言葉にならなかった思いを誤魔化すように頭を掻き毟り、俯く。その顔色は髪に隠れて見えないが、その隙間から覗く耳は仄赤く染まっていた。
 アルベルは意外と解り易い。心根は素直だから、思っていることが時に態度に現れたりする。そういう時の彼の幼気さをも感じる表情は、見ていて親しみを感じられた。いっそ愛らしささえ感じる雰囲気に、こちらの心が綻ぶ。
 出会った当初は思いもしなかったことだ。劇的で荒唐無稽な運命を辿っているとしか思えない。まさしく何者かに作られたシナリオなのだろうかと思うと、まだ自分の中で消化しきれない遣り切れない思いに、胸が苦しくなる。だがそんなシナリオの先にも彼がいるならと思うと、恐れや不安はふっと軽くなった。
「全部が終わったら、お前とゆっくり旅でもしたいなぁ」
「何だそりゃぁ」
「いや、何となく。いいだろ?世界中の強い奴と戦い歩く旅とかさ」
「……まぁ、悪かねェな」
 予想通りの反応に、フェイトは笑みを零す。アルベルは咎めるように目線を寄越したが、その眼差しは存外に穏やかだった。



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