城で開催したパーティはまだまだ盛り上がりを見せているが、アーサーは外の空気を吸いたくなって、人目を盗んで抜け出した。マーリンにだけはそれを告げてきたから、何かあれば彼女が伝えてくれるだろう。 屋上へ出ると、満点の星空が目に入り、身を冷たい夜気が包んだ。胸いっぱいにその空気を吸うと、体の中の熱が冷却されて、宴の興奮が静まった気がした。 そうして辺りを見回すと、隅に人の姿を見つけた。ヴェールが宵闇の中で幽かに揺れ、長い三つ編みが垂れ下がっている。見慣れない姿。 (あれは……バビロニアの神の……) 今宵のパーティはありとあらゆる地域の神々を集められるだけ集めた、とても大規模なものだ。以前にも見たことのある神もいれば、初めて見る神もいる。無論、様々な理由があって来なかった神もいるが、出会いの場、見識を広める好機としては申し分ないだろう。 屋上で一人夜風に当たっている神もまた、何らかの伝手で城にきた他地域の神だ。バビロニアの月の神、シンといっただろうか。初めて見る神が多くて全てを覚えきれてはいないが、彼に関しては城内で浮かない顔をしていたので覚えている。 「パーティは楽しくないか?」 近付いて声をかけると、彼は少し驚いたように振り向いた。 「あぁ……、えっと、アーサー……といったかな?」 「うむ。君は確かシンといったな」 「覚えてくれたんだね」 彼は穏やかな笑みを浮かべた。だがどことなく人を寄せ付けたがらないような雰囲気がある。邪魔をしてしまっただろうか。だがこのまま引くもの変に思われかねないので、アーサーは一先ず一定の距離を置いて横から話を続けた。 「ケルト式のパーティは合わなかっただろうか」 「いや、そんなことはない。ただ僕は大勢で集まって何かを楽しむということが、どうも得意でなくてな」 気に病まないでくれ、と彼は答えて、それきり口を閉ざした。 彼の見上げるは、下弦の月。白銀の輝きは彼の髪と同じくして、なるほど彼は確かに月神だと思った。月の光を浴びて一層淡く輝くような、その姿。月の下では最初の印象以上に月らしく化身であった。 初めて対面したとき、共にいた少女の明朗快活な言動とは対照的な佇まいが印象深かった。太陽の神だと少女に自己紹介され、ならばと思ったが、案の定。少女を優しく見守るその陰で、憂いの色をそこはかとなく見せる様に、峡湾の水面に映る白い月が思い浮かんだ。だが、今はどうだ。 「――ここから見る月もいいな。いつでもどこでも、月の光は優しい」 呟いた彼の髪を、風が揺らす。月の恩恵を浴びる横顔は、その白光に焼かれて白い。三日月のように薄い唇は言葉を話す度に満ち欠けを繰り返し、清廉として伸びた背は闇の中で艶めかしい曲線も見せた。多くの男神の中で稀に見る美神。 神の有する美しさは、やはり人智を超えるようだ。地上に蔓延る数多の言語を掻き集めても、彼の持つ美しさを表現できまい。見ている者にただただ陶酔感をもたらす月花。月の魔力の空恐ろしさ。 視線を感じたのか、シンがアーサーに振り向く。そしてほんの僅かに苦笑のようなものを浮かべた。それすらも美しかった。 「パーティの主催者がいつまでも席を外していていいのかい? 気付かれたら興が冷めてしまうんじゃないかな」 その言葉にアーサーはハッとした。彼に見惚れるあまり、今なおパーティが続いていることをすっかり失念してしまっていた。「そうだった!」と声を上げたアーサーに、シンが小さく笑みを零す。 「僕のことは気にしなくていいから、早く戻るといい」 「そうしよう。君もよかったら戻ってきてくれ。皆の騒ぎに加わらずともいい。何かしら楽しんでほしい」 アーサーは手を差し伸べた。それはいわゆるパフォーマンスであり、誘いかけを体で表しただけのことだ。一緒に戻りたいわけでも、彼の手を取りたいわけでもなかった。が。 「――そうだね。シャマシュやアスタル様の様子も気になるし、戻ってみようかな」 肯定を示したシンは、伸べたアーサーの手に応えるように手を伸ばした。一瞬、重ねたか、撫ぜたか。どちらともつかない具合で手のひらが触れ合う。常に着けている手袋のせいで、それ以外のことが何一つ分からなかったのが惜しい。 傍をすり抜けて出口へと向かう後姿を、ぼんやりと見つめた。今は不思議と先のような強い魅力を感じない。文字通り月の魔力に狂わされていたのだろうか。否、彼は月の元にいてこそ本来の魅力が現れる。建物の影では光も満ち欠けも見ること叶わない。 「どうかしたのか?」 動かないアーサーに訝しんだシンが振り向き立ち止まる。それに何でもないと首を振り、足早に追いついた。 「君のところでは月はどんな風に見えるんだ? 一度行ってみたいものだな」 「君は、月は好きか? 月の表情は豊かだよ、きっと君が思っている以上にね」 階下へと至る階段の暗闇の前、シンが笑む。月の表情は確かに豊かなのだろう。その眼が、その唇が、感情の満ち欠けを顕わにする様を見てみたいと思った。 |