「地上は不浄なものと思っている地域もあるそうだな」
 バビロニアにて月を司る神は、そう呟いた。月の神と言えば大概は女神を思い浮かべるだろうが、この地域では違う。それでも見目麗しい男神、シンは唇に儚いほどの微笑を湛えて先の言葉を零した。
 私と言えば、そんな彼の元を甲斐甲斐しく通っては、その語らいに耳を傾ける。別れ際の「待っている」と言いながら、決してまた来てくれとは言わない妙な恥じらいに、いじらしさを覚えてしまうのだから仕方がない。恥じらっている、とするのも、きっと私の誇大な妄想だろう。惚れすぎたのだ。
 神殿の台座に腰かけるシンは、なおも続ける。
「神は地面に足をつけてはいけないらしい。面白いな。僕らは平気で地面の上を歩いているから、彼らからしたら、僕らは不浄な神なのだろうか」
 とはいえ、不快に思った様子もなく、淡々としている。他愛もない四方山話に興じているだけ、と言った風だ。私は黙って聞いていた。
 すると彼はふとこちらを振り向いた。その唇には、先よりも深い笑み、悪戯に輝く淡い色の瞳。何か企みごとをしていることを隠さない、子供のような顔。
「ねぇ、君はどう思う? 僕は穢れている?」
 シンの生白い足が、不意に持ち上げられる。それは私のほうまで来て、するりと頬を撫でた。些細な悪戯から香る僅かな色気には、目が眩みそうになる。そんな女の婀娜な誘いにも似た行動に、思わず動揺した。
 咄嗟にその脚を掴んだ。私の動きは、彼には予想し得ていたものと見えて、余裕を崩さない。別段、崩すつもりもないし、崩したいとも思わない。ただ、問いには答えなければと思う。
 何か何かと言葉を探すも、湧いてくるのは陳腐でどこか嘘くさい単語ばかり。私は自分の額のなさに辟易した。戦いに身を投じているばかりで、勉学を遠ざけていた罰か。
 答えない私に、シンもさすがに首を傾げた。こちらを窺うような眼差しすら美しい。私の心の在り処を捜しているのだろうかという自惚れと、そう思わせる目線に陶酔する。ああ、言葉がないのであれば、何をどうすればこんなにも美しい彼を微笑ませることができるだろう。
 窮した私は掴んだままのシンの足を見下ろし、恭しくその爪先に口付けを落とした。言葉より行動で示すほうが相手に伝わりやすいとは言うものの、それはやはりありきたりで詰まらないものに思えた。だが、何もしないよりはマシだろうか。
 顔を窺い見れば、彼は白い頬を赤く染め、口を閉ざしている。動揺も隠せない様子で、眦を下げていた。
「君は馬鹿か……、答えになってないじゃないか……」
 やっとのように絞り出された返事。赤面した顔を隠そうと背く様に、目を奪われる。いっそ目の毒だ。






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