雲行きが怪しくて足早に帰路を歩いていたにも関わらず、無情にも雨は降りだした。傘を忘れ雨宿りを余儀なくされた多軌は、仕方なく近くにあったバス停の軒下へと潜り込む。いつになったら止むのやら。その気配のない空模様にため息を吐いた、その時だった。 「多軌?」 聞き慣れた声に驚いて振り向くと、一組の田沼が傘を差して立っていた。多軌の姿に首を傾げている。 「田沼くん。どうしてここに?」 「それはこっちの台詞だ。おれはバス通だから」 「あ、そっか。八つ原だもんね」 頷いた田沼は、傘を閉じて多軌の隣に立った。そんな温かな気配に、多軌は落ち込みかけた心を慰撫される。 「多軌もバス通だっけ?」 「ううん。雨宿りしてるだけ。傘忘れちゃったから」 ほら、鞄と空いている手のひらを見せ、傘がないことを示す。すると田沼は何だ、と言って、持っているビニール傘を差しだしてきた。 「ならおれのを貸すよ」 目の前まで来た傘と手に、多軌は慌てて首と手を振る。 「い、いいの!大丈夫!止むまで待つから」 「でも、しばらく止みそうにないぞ?」 「大丈夫よ、気にしないで。すぐそこだし」 多軌は自分の家の方を指差して笑ってみせた。田沼は聞かないと判断したのか、そうかと呟いて傘を持つ手を引いた。 彼の提案を拒否したのは、ただどうすればいいか解らなかっただけだ。異性から物を借りるという経験のない多軌に、じゃぁ借りてくねなどと軽口を叩けるほどの度胸はなかった。ありがとうと言って、後日さり気なく返せばいいだけのはずなのだが。 しとしとと降り続く雨音を掻き消すように、バスがゆっくりとやってきた。二人の前で停車すると、ぎこちなく昇降口が開く。 「じゃぁ、気を付けて帰れよ」 「えっ、あ……」 押しつけられた傘を返す間もなく、田沼はバスに乗り込んでしまった。窓際の席に腰を下ろした彼が、動きだしたバスの中からひらりと手を振る。多軌はそれに答えることができないまま、呆然とバスを見送った。 多軌は手元に残った傘を見やる。じわじわとくすぐったいような温かい気持ちが湧いてきて、誰もいないのをいいことに躊躇いなく笑みを零した。柄にもなく、惚れちゃいそうだなと呟いて、傘を開いた。 ‐‐‐‐‐ 格好良い田沼もいいなぁ。 |