雨音が酷く五月蝿い。体を打つ雫の感触も煩わしい。何もかもが邪魔だ。
 田沼が消えたと聞いて、全身が凍り付いた気持ちになった。まさか、という思いに目の前が暗くなったのを覚えている。すぐに妖のせいだと決め付けるのは良くないと思ったが、つい先日、嫌な気配を感じたばかり。気持ち悪い考えばかりが頭を過る。
 田沼は決して、誰にも何も言わずにどこかへ行ってしまうような人間ではない。誰にも心配させまいと、必ず一言を残していくような男だ。そんな彼が急に何も言わずに消えるなど、少なくとも夏目には考えられなかった。
 傘もささずに飛び出した外は、ぞっとするほど誰もいない。土砂降りだから、ということもあるのだろうが、それにしても静かすぎた。地面を叩く雨音すら無音のように感じる。押し寄せる恐怖は、何を感じてのものなのか。
 無我夢中で入り込んだ雑木林。無意識に妖のいそうな場所へと足を運んでいた。それは逆に人の立ち入る場所ではないことを指すが、夏目にはもはやそれを考える冷静さはない。僅かな希望を胸に田沼の名を呼ぶばかり。
 だが、返事の有ろうはずがなかった。

「ッ!田沼……!」

 大きな木の根元に、全身を雨でぐっしょり濡らして田沼が倒れていた。考えたくもない嫌な思いに、鳥肌が立つ。全身が震えるのは、雨による寒さのせいではない。如何ともしがたい恐れからだ。
 慌てて駆け寄り、ぐったりとした痩躯を抱き上げた。黒髪の張り付いた顔は、死者を思わせるほど青白い。震える手で頬に触れたが、雨に濡れてやはり冷たい。だが生きているという左胸の鼓動に、安堵の息が零れた。

「早く、帰らないと……!」

 気が付けば、いくつもの妖の視線がこちらに注がれている。これ以上ここにいるのは、色々な意味で田沼に良くない。雨に打たれて体温が奪われている上に、免疫の無い妖の気に当てられたら彼がどうなってしまうか。それこそ最悪な事態になりかねない。
 妖たちが遠巻きに見ているうちに早く立ち去ろう。そう思って前を向いた瞬間だった。

「待て」

 何者かに腕を捕まれた。腕自体は田沼のものだが、それは語弊ではないと確信する。

「……おまえ、誰だ」

 考えられない握力で腕を掴んでくる田沼の目は、普段の彼からは想像も付かない色でぎらついていた。

「友人帳を、持っているだろう」

 田沼の口から出た友人帳の単語に、全身の毛が立った。倒錯する思考。それを加速させる恐怖や不安が、夏目の精神を追い詰める。

「寄越せ」

 田沼の声は柔らかくて優しい。聞いているとどこか安心する声を持っている。なのにたった今ささやかれた声は何だ。同じ声のはずなのに冷たくて鋭くて、優しさの欠けらもない。悪意に満ちた、それ。

「や、めろ……」

「寄越せ」

「やめろ……ッ!」

 夏目は耳を塞いだ。妖の支配下に置かれた田沼は、自力で立ち上がっている。夏目は後ろへ下がった。田沼は近づいてくる。田沼の顔で、なのにいつもと全然違う顔つきで。

「ヒトの分際で拒絶するか。良いだろう」

 田沼の歩みが止まった。中途半端にこちらへ伸ばされた彼の手は、手近な枝へと行く手を変える。彼は見開いた目で笑っていた。

「貴様が友人帳を寄越さないというのなら、そうだな、この子どもを」

 田沼は枝を折る。先の鋭く尖った、太めの枝。その切っ先は自身へ向けられた。妖の言葉を聞かずとも解る、凶器となりえる枝が貫かんとするのは、たった今も生きていると囁いている田沼の心臓。

「殺すまでだ」

「やめろーーー!!」

 笑んだまま死のうのする田沼の腕を掴んだ。すがり付くように胸から枝を離そうとする。全て無意識に、何も顧みず、田沼に掴み掛かった。あとに口から零れるのは、恐怖で引きつれた声で叫ぶ懇願。

「頼む、友人帳ならくれてやるから、田沼を……、おれから田沼を奪わないでくれ!」





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田沼を奪わないでくれって叫ぶ夏目を書きたかったためだけのネタ。






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