誰もいない室内。たった一匹だけの“友達”とともに、無作為に時間を流す。満ち足りることなど決して無い日々。鼎はただ飼い猫のキリィの体温を人生の糧とするかのように、生きていた。
 他に欲しいと思うものなど、この世にはなかった。最も欲したものは傍を離れ、他の場所を選んでいってしまった。得られぬならば、望むまい。だから欲しいものなど、何もなかった。
 母でありながら母ではないような血縁者は今、自分ではない誰かをその腕に抱いているのだろうか。考えて、嫌になった。自分がどれだけ愛したとて、伝わらなければ意味がない。彼女は初めから、この声の届かない場所にいるのだ。

(……寝よ)

 死んだように倒れ伏した畳の上。焦げたような藺草のにおいと、猫の毛の感触。窓からの夏の日差しは、どこか遠くに感じた。全てが現実味を帯びず、心の痛みと傍らのキリィの体温だけが確かで、虚無感に蝕まれる。虚無は些細な記憶すらも掻き消して。
 横でキリィが寝返りをうった。それと同時に数日前の妙な出来事を思い出す。名も知らない、だが母であるリサの知り合いだと言った男。リサと自分を連れて行くと、馬鹿な戯言を放った男。
 もしそれが本当となるならば、何かが変わるだろうか。リサを取り返せるのだろうか。この虚無感から解き放たれるのだろうか。新しい生活を始めて、もっと充実した時間を送り、毎日を確かなものにして。理想的な人生。

(馬鹿みてぇ)

 鼎はキリィに手を伸ばした。尽きゆく気配を見せはじめた命の温もり。これほど確かなものなどありはしない。母を取り戻したとて満たされはしない。この手に残るキリィの命だけが、今の自分の全て。だから、未練など残さないから、往くならともに往きたい。
 ふと見た玄関に人の気配はなく、室内はやはり誰もいない。この世でたった一匹の“友達”を抱き、鼎は目を閉じた。





虚無と酸素を貪る獣






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