以前から田沼家とは親交があった的場家は、幼くして母を亡くした要を預かることにした。彼の父は何かと多忙な身で、仕事を抱えながらまだ小学生低学年の子供を見るのは難しいと判断したからだ。 ちょうど静司は近隣の高校に入ったばかりで、詰まらない慌ただしさの渦中にいた。入学したてで右も左も解らない学生のために、至る所で教師たちの口頭説明のオンパレード。充実した高校生活を送るつもりのない静司には、喧しい以外の何物でもなかった。 そんな中に飛び込んできた要の存在に、静司は少なからず困惑した。見たことはあるが関わったことのない少年を、いきなり弟のように思えなど、戸惑わないほうがおかしいだろう。加えて静司は自分自身には一匹狼的な性質があることを理解していて、この先馴染めることはないだろうと考えていた。 かといって兄的存在になる立場として要の世話を放棄することはできず、親に頼まれて仕方なく、しばらくの間、送り迎えをすることになった。通り魔が出るからとの学校のお達しを、やはり仕事で手を空けられない親の代わりにだ。今朝だけは親の手が空いたので親が送っていき、帰りの迎えからはじめることとなった。 「あ、あの……」 小学校の校門より少し離れた場所で待っていると、要が緊張した面持ちで駆け寄ってきた。まだ成長期を迎えない子供の身長は、静司の腰辺りまでしかなく、とてつもなく小さな存在に見えた。 「来ましたか。では帰りましょう」 当然のように小さな子供の面倒など見たことのない静司は、ひどく困った顔をした要をどうすることもできず、淡々とその言葉を放った。嫌われてもいいという考えがあったせいか、やや冷たさを孕んだようにも思う。 小さく返事をした要を一瞥し、帰路へとつく。彼は確か小学三年生だから、まさか本能のままどこかへ勝手に行ってしまうほど幼くはないだろう。特に気に掛けなくても、ちゃんとついてこれるはずだ。静司はそう判断し、歩を進めた。 ぱたぱたと小刻みに立つ足音に気休め程度に耳を傾けながら、自分の調子で歩き続ける。かつては足繁く通った道だが、たまに歩くことはあっても、二度と通うことはないだろうと思っていた。ましてや高校から小学校を経由しての帰路はやや遠回りで、これがしばらく続くのかと思うと憂鬱になる。 親も面倒なものを預かってきたものだと、静司は溜め息を吐いた。隣下を見やれば、その“面倒なもの”が忙しなく小走りしている。こんな矮小で脆弱で、その癖、身のほど知らずで自分勝手な生きものを、どうして自分が面倒見なければならないのか。自分の身の上を恨みたくなった。 そこまで考えて、ふと不可解なまでに静かなことに気付いた。全ての子供が、今自分が考えたような存在ならば、隣を行く少年は何なのだろうか。ただ無言で、ひたすら静司の横を歩いている。否、走っている。大人に近しい人間の歩幅に、小さな子供が合わせている。静司は思わず足を止めた。 急な静止に要はきょとんとして静司を見上げる。その息は若干上がっており、小さな歩幅で懸命に、文句も言わず静司の後に付いていたことを示していた。 「疲れませんか」 身勝手なのは自分の方だったことを悔やみ、しかし子供への対処を何一つ知らない静司は、ただそう問うことしかできなかった。問われた要は再び困惑の色を顔に表し、小さな口をぱくぱくと動かした。 「え、えと……」 疲れたのならば素直に子供らしくそう言えばいいのにと思いつつも、言ってこない子供の配慮に安堵してしまう。こうなってはどちらが子供だか解らなくなってしまうが、仕方がない。静司は本当に“子供”と“子供を前にした大人”を知らないのだ。自分自身が幼い頃から、孤独とともに育ってきたものだから。 両親ともに仕事に専念していて、構ってもらったことなど殆どなかった。日々の生活の世話は家政婦任せ。決して乳母ではない彼女たちが自分にかまけることはなく、静司は幼い頃から自分でできることは自分でしなければならなかった。子供が好きでないのは、自分より恵まれて育っている彼らへの僻みもあるのかもしれない。 だがそれは親にぶつけるべきものであって、隣の少年にぶつけるものではない。どうしたものかと要を見下ろし、だが解決策か見つかるはずもなく、静司はとうとう困り果てて目線をあげた。 視界に入った、一組の親子。同じく学校からの帰りらしい。親と一緒に楽しそうに歩く子供の背には、ランドセルが揺れている。静司はその親子の繋がれた手に、今更のような閃きを覚えた。 「手を繋ぎましょうか」 手を差し出すと、要は驚いて静司の手と顔を交互に見上げた。どうするべきかと、まだ経験少ない頭で必死に考えているようだ。この子供はどこまで思慮深いのだろうと静司は思う。 やがて恐る恐ると言った風に、そっと手のひらに乗せられた手。あまりに小さく、そして酷く温かいその感触に、静司は心を揺さ振られる心地がした。唐突に湧いた庇護欲が、静司の中の感覚という感覚を全て一新させていく。 思わず強めに握ると、要はびくりと体を跳ねさせ、ふわ、と頬を薔薇色に染めた。その反応の意味は静司にはまだ理解できなかったが、嫌がっていないことだけは理解できた。 「帰りましょう」 愛しさが込み上げて、微笑みかける。すると要も嬉しそうに微笑んで、小さく頷いた。小さいながらも、ようやく得た繋がりを放すまいと握ってくる手が、何だか嬉しかった。 その手を取った瞬間、 世界が変わった 小さな手のひらに宿っていた愛情を、誰が知っていただろう。 |