田沼の部屋の天井の片隅には、ある時間になると波紋が浮かび上がる。彼には見えない外の池の反射、つまりは影だ。彼が初めてそれをおれに見せたときの、彼の愛しげな目が今でも忘れられない。
 田沼は池を、そして魚を、影ではなくそれ自体をちゃんと見たがっているようだった。天井の波紋をしばらくじっと見つめた後、池のある場所に視線を落としては少し寂しげな光を目に宿した。遊びに行くたびに見る姿だ。きっとほぼ毎日、繰り返していることだろう。
 見せてあげたいと思った。助言してみようかとも思った。池の大きさとか、魚の色とか、教えてあげれば少しは彼の思っている寂しさが和らぐかと思った。だが、おれは出来なかった。おれの中の良くない感情が、それを邪魔した。
 天井に映る魚の影に、愛しいものを見るような眼差しを向ける田沼。その目をおれは真正面から見ることができない。見られるのはあの魚だけだ。実際に向けられているのは影にであって、魚自体には向けられてはいない。けれど羨ましかった。
 魚が何を思っているか、田沼の目を盗んで耳を澄ましてみたことがある。彼に何かを訴えていたりしないかとドキドキしたが、聞こえるのは微かな水の音ばかりで、何者の囁きも聞こえなかった。聞こえてもきっと、おれは聞こえないふりをしただろうけど。

「綺麗だな」

「あぁ」

「あの魚、一匹だけで寂しくないのかな」

「……なぁ、夏目」

「ん?」

「……いや、悪い。何でもない」

 言葉を濁した田沼は、きっとあの魚のことを聞こうとしたに違いない。おれはそれを解っていて、でも知らないふりをした。醜い嫉妬がおれの喉を塞いで、彼の求めている言葉が出るのを阻むのだ。なんてひどい、おれ。
 ゆらりと尾鰭を揺らめかせた魚に、田沼が目元を緩めた。羨ましい。真正面から見てみたい。魚よ、おれはお前になりたいよ。おれがお前なら、彼の優しい表情を独占できるのに。横顔しか見ることの叶わない悔しさ、お前には解るまい。
 おれは堅く口を閉ざした。魚に関することを言わないのは、おれの馬鹿みたいな抵抗。お前のことなんて、教えてやるものか。自分の怨恨に愛しい田沼を巻き込んでしまって申し訳なく思うけど、ごめん、どうしようもなく羨ましいんだ。あの名もなき魚が。





波紋に映る羨望






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