逢魔が時。異形の者が、そのおぼろげな姿を見せ始める時。的場はこの宵の口の時間帯が好きだった。
 道行く人はなく、的場一人だけがその帰路を歩む。図書室に長く居座っていたお陰で、道同じくする若年層どもがいなくて清々した。特に高校生の小生意気な姿がなくて、歩きやすいことこの上なく。自分も同じ年代であることを、棚に上げることなど容易い。自分が他と違うことは、疾うに理解していた。
 ざわざわと異形の者どもがさざめく中を、的場は行く。物心がついた時から聞き続けてきた声だ。恐ろしくなどない。ただそこはかとない煩わしさが、的場に溜め息を吐かせた。今日は一段とざわめきが大きかった。

「うるさいですね」

 唐突な横からの呟きに、的場は思わず身を固める。振り向けば、最近見慣れてしまった姿があった。

「名取……」

「こんにちは、的場さん」

 にこりと微笑む顔は整っている。文句なしに美形と言える顔立ちだ。だが的場はそれに好意というものを抱いたことは終ぞなかった。

「何の用です、こんなところまで。貴方の通う学校も、貴方の家も、こっちではないでしょう」

 関わってくるな、と態度であからさまに示しながら、問う。一度は止めてしまった歩みを、名取に構うことなく再開させた。

「会いたくなったので、来てしまいました」

 照れ笑いをしながらついてくる名取に、的場は自身の中で煩わしさが倍増したのを感じた。やがて苛立ちに変わりゆくその感情を、発散させることができず溜めこむ。
 何が『会いたくなったので、』だろう。似通った異質さをお互い抱いていることを知り、若干の親近感は湧きはしたものの、的場にそれ以上も以下もない。それは相手も同じ事とは言えないが、これまでの何度かの対面で示してきたつもりだ。言葉にだってした。だのにまるで好意を持っているような言い方は、解せない。
 黄昏時とはよく言ったもので、この時間帯にこの何を考えているか解らない人間のとの遭遇。夕日に染まる名取の横顔が、どこか気味の悪さを感じさせた。

「的場さん?」

 何も言わない的場に、名取が名を呼ぶ。声質のせいか、どこか甘さを帯びるそれに、的場は悪寒を感じるしかなかった。そんな風に名を呼ばれる覚えなど、微塵もない。

「帰りなさい。僕は貴方に構っている暇などない」

 取りつく島もなく告げれば、隣で吐息。耳障りな呼吸に眉を寄せた。早く家に帰りたい。空は燃えるような赤から、闇の色を滲ませた紫に変わろうとしていた。

「解りました。今日はもう帰ります」

 名取の一言に、的場は胸中でほっと安堵の息を零した。居心地の悪さからの解放感に、僅かに気が緩む。これで穏やかに帰路へつける。
 ぐ、と肩を掴まれ、的場ははっとした。何事かと思う間もなく、力任せに振り向かされ、名取と向かい合う。何をそんなに真剣な目をと思った時には、唇を唇で塞がれていた。

「――――ッ、何を?!」

 突き飛ばそうとしたが、肩をがっちりと捕まえられていて、距離が取れない。未だ近い位置にいる名取が、緩く微笑んだ。その愛おしいものを見るような眼差しに、かっと羞恥が燃え上がる。
 同年代よりも達観していると言われる的場だが、高校生だ。まだ十と余年しか生きていない。突然の予想だにしない出来事に、取り乱さずにはいられなかった。

「は、放せ!何のつもりだ!」

「済みません、つい」

「つい?!」

 苦笑いする名取に、的場は柄にもなく声を荒げた。ついで男が男に口付けをする馬鹿が、どこにいるというのだろうか。ここにいるか、なんて問答は言いたくない。
 とにかく距離を置きたくて藻掻くが、名取は放してくれず。片手が離れたかと思えば、その手が頬を触れてくる。経験したことのない、経験するとも思わなかった相手からの所作に、的場はただ身を固める。対処の仕方など解らず、どうしようもできなかった。






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