第二王子の場合

「エーデル・モーゼル! 私ミュラー・フォン・アウスレーゼは、今ここにお前との婚約を破棄し、このカッツ・ラント男爵令嬢との婚約を宣言する!」

 広いホールに、低めの通りの良い声が轟く。
 その瞬間、舞踏会の会場は水を打ったように静まり返った。
 私は、ぽかんと開いていた口元に気付き、さっと扇を開いて覆った。

 今声を発した男はミュラー・フォン・アウスレーゼ、このアウスレーゼ王国の第二王子だ。
 少し輝きを抑えた金髪を撫で上げ、日に焼けた肌に、ことさら目を惹く生命力溢れた大地の眼。鍛え上げられた体躯だけでも威圧があるのに、常に寄せられた眉間のしわが近寄りがたさを増長している。
 その見た目通り、国内で武を振るう第二王子は、各所で敵をちぎっては投げちぎっては投げの大活躍で、『アウスレーゼの獅子』として名声を諸外国にまで轟かせている。

 そんな彼には、三人の王子で唯一婚約者がいる。いや、いた。それが今婚約破棄された私、モーゼル侯爵が娘、エーデル・モーゼル。容姿は父譲りの燃えるような赤い髪と赤銅色の目で、見た目は派手な方。
 そして、つい今ほど婚約者となったのは、彼の後ろに怯えたように隠れている、黒髪に金色の目のか細い庇護欲をそそる少女のようだ。
 カッツ・ラント男爵令嬢−−はて聞いたことがないと首をひねりながら彼女を窺ってみると、彼女は睨まれたと思われたのか、びくりと肩を震わせる。そして第二王子の服を縋り付くようにぎゅっと掴む。
 その庇護欲をそそる小動物のような様子に、私は扇を握る手にさらに力を込めた。

「……理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 震える口でなんとか絞り出した声は、上擦ってか細くなってしまう。

「理由? そんなもの、分かっているだろう」

 第二王子は更に眉間のしわを深め、男爵令嬢の肩を掴む。
 ふと敵意の視線を感じて目を向けると、件の男爵令嬢が勝ち誇ったような顔を向けてきていた。
 ホールの皆の視線が彼らに集まっている。私も固唾を飲んで、第二王子の言葉を待った。

「ここの男爵令嬢が、俺がお前と婚約破棄をしなければ殺すと言ってきたからだ!」

 再び、水を打ったような静けさが会場を覆った。

 第二王子以外の全員の目が、男爵令嬢に向けられる。彼女はこの世に存在しないものを見たかのように目を見開いて硬直していた。
 しばらくすると、すぐにひそひそ声があちらこちらから聞こえ出す。
 ああ、なるほど。
 私は今の彼の言葉で、今回の婚約破棄の理由に思い至った。どうやら周りも同じようで、恐ろしい女だとか、おいたわしい第二王子殿下だとか、色々な言葉が飛び交う。
 男爵令嬢にその言葉が届かないはずもなく、彼女は顔を真っ赤にしつつ、第二王子に向かって口をぱくぱくして何かを伝えようとしている。

「第二王子殿下。その、殿下を弑する、とその男爵令嬢が脅したとするなら、反逆罪となるのではありませんか?」

「誰が、俺が殺されると言った。お前だ」

「まあ、私ですか」

 ひそひそ声がどんどん騒がしくなる。衛兵を呼ぶような声も聞こえるが取り敢えず今は置いておこう。
 彼女にちらりと目をやれば、顔が真っ青になっており、絶望的な顔をしている。

「脅されたとしたなら、このような衆目を集める場で暴露してもよろしいのですか?」

「ああ。誰かに漏らしてもお前を殺すと言っていたからな。先程の宣言も含め、この場ならば証人が不足することはない」

 第二王子は、また眉間のしわを深めた。
 その様子に、私は長い髪を払ってふぅと息を吐く。その瞬間会場に衛兵が飛び込んできた。甲冑や武器を鳴らして男爵令嬢を取り囲む。もう、彼女は立っていられず、膝をついているけれど。

『止めろ』

 私と第二王子の声が被る。
 衛兵がピタリと動きを止める。まだ連行されるには早いのだ。
 男爵令嬢ははっとした顔で第二王子を見上げている。

「ミュラー様……! やはり私のこと愛してくださっていますのね……」

「愛? なんだそれは」

 にべもない言い方だ。
 ビクビクしながらも、縋る彼女は流石だ。

「で、ですが今、兵を止めてくださいました。エーデル様と婚約破棄をしてくださり、私を新しい婚約者に……」

「当たり前だろう」

 男爵令嬢は喜びを浮かべ、すぐに困惑が混じったぎこちない笑みを浮かべた。それでも、私に対する敵意は膨らませている。
 そろそろ、と思っていると、第二王子から目で合図された。
 よし、と思い、髪を払い精一杯胸を張って息を吸う。

「カッツ・ラント男爵令嬢」

 ……確かこんな名前だった。
 きつい目線の割に弱々しい声で返事を貰えたので、間違っていなかったらしい。

「あなた、そこにいらっしゃる第二王子殿下を脅迫したというのは本当ですか?」

「ち、違います! 私はそのようなことはしておりません!」

 身を乗り出してくる彼女は、まだ衛兵に囲まれた中で、すっかり当初の元気を取り戻したらしい。
 これは大変期待できそうだ。

「私は、ただ、ミュラー様をお慰めしただけです……! 婚約者は恐ろしく、優しくない、認めてくれないと嘆かれるミュラー様に、私は認めておりますと、側におりますとお伝えしただけです! 御心が離れたのは、ミュラー様を理解しないエーデル様のせいです!」

「それでは、殿下が仰る、私を殺すというのはどちらから出た話ですか?」

「殺すなんて……私言ってません! ただ、余りにもエーデル様に怯えるミュラー様に、例え話としてエーデル様が婚約者でなければとか、お家の事情で遠くに行かれたらとかはお話してはおりました。それが、ミュラー様の中であなたへの怒りや鬱屈から、殺意になってしまったのかもしれません!」

「分かりました。もう結構です」

 なるほど、この騒がしい子猫はそもそも、第二王子の婚約について知らなかったらしい。
 良いように言い繕って、第二王子の心が婚約者にないと迫ったところで、なんの意味もないのに。
 しかし。その勢いや良し。
 私はぱちんと閉じた扇で手を打った。

「私を殺したければ、さっさと差し向ければよかったのに」

「え?」

「暗殺でも毒殺でも、なんでも。私が気付かないうちに私の存在を消しさえできれば、あなたが殿下の婚約者になったんだ」

 ニッとカッツに笑いかけてやる。
 常に侍女に悪役の笑みだからいつも扇で隠せと言われていたけれど、もう良いだろう。貴族令嬢風の言葉だって口の端が震えて止まらなかった。
 また殿下め、眉間のシワが深く寄っているじゃないか。その喜びの時の癖、昔馴染みにはすぐに分かるから直した方がいい。
 急な私の変化にカッツは、少し後ずさっただけだった。素晴らしい。最近の子は笑顔を向けただけで尻尾巻いて逃げていったものだ。

「本性を現しましたね、エーデル・モーゼル! こんなあなたのせいでミュラー様が!」

「ところで、その殿下を名前で呼ぶのはやめてくれないか。私でも呼んでないから、違和感がひどい」

「なにを、もう私はミュラー様の心の支えで婚約者、あなたは元婚約者です!」

「あ、そうだったね」

 折角第二王子がこんな舞台を用意してくれたんだから、乗っかってあげようと決めたんだった。
 私は無駄に豪華な手袋をさっと外すと、カッツの目の前に投げた。

「じゃあ、決闘だ」

「な、にを。……っ、ミュラー様! エーデル様がっ、私に嫉妬して! こんな、ひどい……」

 まだ彼に縋りつこうとしたカッツは、さっと避けられた上に、私の手袋を拾われて渡されていた。
 またぽかんとした表情を見せている。見事な隙だらけの構え。

「ミュラー様……?」

「婚約破棄で脅したことを、あいつに伝えれば、あいつを殺すと言ったな。負けないのであれば、戦え」

「……あっ、あれは冗談だったのです! そんな、私がエーデル様に害を与えるなんて」

「御託はいい」

 おや珍しく第二王子の口の端が上がっている。愉快でたまらないようだ。
 まあ私も口の端が上がっているけどね。

「俺は一番強い女が良い。お前はあいつを殺すと言った、それだけで婚約を乗り換える程。俺は強さを愛している」

 相変わらずなんの色っぽさもない告白だ。ただ、カッツには効果は抜群だったようだ。固まって動かない。

「最近は『アウスレーゼの赤竜』が娘でなく、父のモーゼル将軍のことだと勘違いする者共もいなくなり、こいつに挑んでくる者も減ってきていてな。そこにお前が殺すと宣言してくるものだから、愉快で堪らない。どうも身は鍛えられていないようだが、能ある鷹は爪を隠すと言う。どのようにあいつを翻弄するか、楽しみにしている。勝った暁には反逆罪を取り消そう、婚約者殿」

「殿下、すぐに果たし場の準備をしてくれないか。流石にここではできないし、私はこの鬱陶しい長いかつらとドレスを一刻も早く脱ぎたいんだ。カッツ令嬢も準備があるだろうし。それで、本気で構わないね? どうせ彼女、負けても反逆罪で厳刑なんだろうし、衛兵を待たせるのも悪い」

「無論」

 カッツが倒れた。
 この場を三度目の沈黙が襲ったが、私は興奮で全く静寂が分からなかった。



***



 翌日。
 私は元婚約者で、現婚約者の第二王子の部屋で寛いでいた。
 まあ昨日の決闘は、言うには及ばない結果だった。
 カッツは決闘よりも反逆罪で極刑にと喚いていたらしいが、当時の婚約者である第二王子殿下の強いご意向により強行。私が愛剣をご挨拶程度に軽く振るっただけで倒れた。あの傷なら死にはしないだろうが、瀕死の状態がしばらく続くだろう。

「期待外れだった」

「こちらもだ」

 むすっとした声で言えば、同じような不機嫌な声が返ってくる。
 殿下はどんと腰を下ろしたソファーで足を組んだ。

「この俺に、お前のことで脅してくるからさてはと思ったが、とんだ腑抜けだった。お前を超える猛者がいたかと期待したのに」

「私もやっと骨のある者と剣を合わせられるかと思ったさ。なんせ殿下が婚約破棄と婚約宣言までするんだから」

 殿下の向かいのソファーに掛けて、目の前に入れられた紅茶に、せっせと持ってきた毒粉をティースプーンで混ぜる。ごくごくと飲んだところで、殿下は喜びではなくて本当に眉を顰めた。

「まだ毒を飲んでいるのか」

「多角的に攻められるからね。それに竜は毒なんて効かないイメージだろう?」

「……獅子も平気そうなら慣れなければ」

「獅子は毒で死にそう」

 なぜか項垂れる殿下を尻目に、毒杯を飲みきる。お腹がポカポカして、襲ってくる倦怠感がたまらない。この生と死の境目の感覚が私の好きな感覚だ。
 生死といえば。

「ところで殿下。もしも、私がカッツに負けたらどうするつもりだったんだ?」

 ばっと顔を上げた殿下に、少し眼を見張る。
 殿下は眼を見開いて、弱った獅子のように唸り声を上げた。

「……それは、困る。まだ俺は、お前と出会った時からの果し合いで勝ち越していない。勝ち逃げは許さない」

 出会った時か。懐かしい。
 城内で周りに遠慮されて天狗になったこの殿下を五歳でボコボコにしたところ、いつかお前に勝つと求婚されたんだった。
 当初は圧倒的に私が強かったが、最近では流石に鍛え上げられた男性の力に押されている。しかしまだ私の勝利のプールが多いので勝ち越しているが。いつか負け越すのも時間の問題だろう。
 しかし今の言い方は、私が負けた時を考えていなかったということか。

「恐ろしく、優しくなく、認めてもくれない婚約者なんて嫌じゃなかったのか」

「我が『アウスレーゼの赤竜』である婚約者殿は、恐ろしく、優しくもなく、認めてくれないのは当たり前だろう」

 当たり前。そう当たり前。
 私は常に、『アウスレーゼの赤竜』の名を持つ、第二王子ミュラーの婚約者として、恐ろしく、優しくなく、彼を認めない強い者でなければいけない。
 彼が愛している強さそのものであり続けなければ。
 もし彼に負けてしまった時は、そうだな、ひとりの女性に一時戻るのもいいかもしれない。
 ばんと机を叩いて立ち上がる。目だけで様子を伺う殿下に、手を差し伸べた。

「果し合いを続けよう、殿下。ただし今日は先日の件もあるし、私が勝ったら−−」

「なんだ?」

 私の手を取った彼に、ニッと笑顔を向ける。

「昨日初めて呼んだように、私をエーデルと名前で呼んでもらうよ」



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