第六話


 あの日以来、僕は今まで目を背けていきた彼女を目で追うようになった。

 自分が彼女を責める資格なんてないのに、感情に任せて酷いことを口にしてしまった。そしてあんな悲しい顔をさせたことをひどく後悔して、僕は彼女に謝ろうと決心した。けれど今更彼女を遠ざけていた僕が彼女に近づくこともできず、声を掛ける勇気すらない。ただ遠くから彼女を見つめて、一人寂しく居る彼女を眺めることしか出来ない。それが悔しくて、僕はぐっと握りこぶしを作る。

 見て見ぬふりをしてきた彼女の姿は寂しくて、心が痛くなる。あんなに花が咲くような愛らしい笑顔を浮かべる少女だったのに、今ではその影も無く、日陰で萎れている一輪の花のようだ。そんな彼女にしてしまったのは紛れもない僕で、それを改めて自覚すればただただ後悔に打ちひしがれる。

 自分に自信がないばかりに、散々彼女を遠ざけてきた。それもこれも全部僕が勝手に引け目を感じてしまったせいだ。そして今回、なにも悪くない彼女を泣かせてしまった。自分がこの上なく情けなく思えてくる。そしてそれを自覚しながらこの場から動けない僕はもっと愚かで情けなかった。


「声掛ければいいのに」
「っ、ギャレス!」


 そっと遠くから人気のない場所のベンチに一人座っているモーリーンを見つめていると、いつの間にか背後にいたギャレスがそんなことを言ってきた。驚いてギャレスに振り向けば、ギャレスは呆れたような顔でやれやれとため息を落とす。


「素直にならないと、彼女には何一つ伝わってないよ」


 その言葉に、僕はぐっと口を噤んだ。

 モーリーンには何一つ伝わっていない。ああ、そうだろう。僕は最初から彼女に何も伝えていない。伝える努力をする前に、僕は自分が恥ずかしくなって逃げ出したのだ。そして身勝手に彼女を遠ざけて、傷つけた。僕の心の内なんて、何一つ彼女は知らない。伝えるつもりもない。けれど。


「このままだと一生君たちはすれ違っているかもね」


 ギャレスはそう言うと、そのままモーリーンのもとへ向かって歩き出して行った。座っている彼女に声を掛けて、隣に腰を下ろす。そうして会話をする姿が、羨ましかった。でも、モーリーンの表情はどこか硬くて、悲しさを拭えていない。それもこれも、僕のせいだ。

 遠ざけていた僕を、彼女はなにも責めなかった。なにも聞かずに僕の後をずっと付いて来てくれて、そんな彼女を僕はついに突き放した。彼女は逃げずに僕に寄り添ってくれたのに、僕はそれを拒んだ。だからギャレスの言う通り、僕たちはずっとすれ違ったままでいるのだろう。それでいいとさえ今までは思っていた。けれど――そこで僕はあの日のモーリーンの姿を思い出した。

 そうだ。僕は決して彼女を傷つけたかったわけでも、悲しませたかったわけでも無い。最初から彼女にそんなことをしようと思ったわけじゃない。ただ、僕が僕を認められずにいただけだ。その結果、今まで彼女を傷つけさせて、今回彼女を泣かせてしまった。このままでいいわけがない。このままではダメなんだ。

 そっと深呼吸をするように息を吐いて、僕はぐっと拳を作りながらモーリーンのもとへ足を踏み出した。一歩一歩確実に近づいて、とうとう彼女の目の前までやって来る。

 僕に気づいたモーリーンは驚いて目を見開いて、そして表情を強張らせる。隣にいるギャレスはとくに興味を示さず、いつも通りの調子で僕の様子を窺ってくる


「っ、リアンダー……」
「やあ、リアンダー。どうしたの?」


 ギャレスは知らないふりをして言う。けれど僕はギャレスに構うことなく、真っ直ぐモーリーンを見下ろした。それに彼女は戸惑って、視線を彷徨わせる。そんな僕たちの様子を眺めて、ギャレスはぱっと腰を上げた。


「……じゃ、僕は席を外すよ。また今度ね、モーリーン」


 じゃあね、と言ってギャレスは手を振って早々に立ち去って行く。それをモーリーンは助けを求めるような眼差しで見つめたが、叶わずギャレスは立ち去ってしまう。

 二人だけになった空間で、気まずい空気が流れる。モーリーンはベンチに座ったまま身体を強張らせて、ただただ地面を見つめる。そんな彼女を見下ろしながら、リアンダーはそっと口を開く。


「……本当に仲がいいんだな」
「……ごめんなさい……もう近づかないようにするわ……」


 声音を沈めるモーリーンに、リアンダーは、違う、と心の中で呟く。このままではまた同じことを繰り返す。それではダメだ。

 リアンダーはそう心の中で決心をし、モーリーンの前に膝をついた。リアンダーはそのまま膝にある彼女の手にそっと自分の手を重ねる。ぴくりと動いた彼女の手をそっと取り、そのまま恭しく両手で優しく包み込んだ。

 そんなリアンダーの突然の行動にモーリーンは目を丸くして、戸惑いながらリアンダーを見つめる。


「……僕はギャレスが羨ましい」
「え……?」


 そしてぽつりぽつりとリアンダーは心に秘めていたことを語りだした。


「僕には秀でた才能が無い。名に誇れるようなものを何一つ持ってない。でも君は、名に恥じない淑女だ」


 勉強も得意でなければ、箒も得意ではなく、魔法も特別上手いわけでも無い。プルウェットという名に相応しい才能はなにひとつ持ち合わせていない僕だが、モーリーンは違う。なににおいても優秀で、愛らしく美しく、素晴らしい淑女である彼女と僕は違い過ぎる。


「だから僕には自信が無い。君の許嫁として相応しくないとずっと思っていた」
「そんなこと……」
「いや、本当の事だ。そのくせプライドだけが高くて、君を遠ざけて、傷つけるようなことばかりした。この間も……本当に素直に言えばよかった……すまなかった」


 そう言ってリアンダーは深々と頭を下げた。そんなリアンダーにモーリーンは慌てるが、優しく包み込まれた手は離してくれず、ミグ語気ができない。すると、顔をゆっくりと上げたリアンダーが真っ直ぐと眼差しを向けてきた。その眼差しがあまりにも真剣なもので、思わずモーリーンは息を呑む。


「モーリーン、僕は君を愛してる」


 その言葉に、はっとモーリーンは息を呑んだ。

 そんな彼女を真っ直ぐと見つめ、包み込んだ小さな手をぎゅっと握り込む。


「許嫁だからじゃない。初めて会った時から、僕は君が好きだった」


 モーリーンに出会った日のことを今でも鮮明に覚えている。目の前の愛らしい少女に、僕は恋をした。その瞬間は今でも忘れられない。そして今も、僕は変わらず彼女に恋をしている。


「なんの才能も無く、君を傷つけてばかりの僕をどうか許してくれ。君に相応しい男になると、今此処に誓う。だからどうか……僕から離れないで欲しい……」


 懇願するように、リアンダーは彼女に誓った。

 今まで散々傷つけ遠ざけてきた僕が言えることでは無いと分かっている。でも、どうか許してくれるのなら、僕から離れて行かないで欲しい。今度こそ、絶対に傷つけず、彼女に相応しい男になると心から誓う。この名に誓ってもいい。

 そう心から込めてリアンダーは彼女に誓った。モーリーンはその言葉に目を見開き、言葉を失う。そうして僅かに震えた息を零すと、その大きな愛くるしい瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちた。雨のように滴を落とす彼女を、リアンダーは眉根を下げて顔を覗き込む。


「どうか泣かないで欲しい……僕にはその涙を拭う資格が無いんだ……」
「っ……そんなこと、ないっ」


 顔を俯かせてモーリーンは首を振る。そして嗚咽交じりの声で続けた。


「相応しい人に、ならなくていい……っ、私はずっと、貴方がよかったから……っ」


 その言葉に、今度はリアンダーが目を見開いた。


「誰よりも努力家な貴方が好き……、むしろ相応しくないのは私でっ、だから必死に頑張っていただけなの……っ」


 モーリーンは決してリアンダーが思っているほど完璧ではない。苦手なものもあるし、嫌いなことだってたくさんある。でもリアンダーに相応しいように、嫌われないように、必死に努力をして隠してきただけだ。だからリアンダーと同じように、モーリーンも本当の自分を認め彼に知られるのが怖かったのだ。

 そんな彼女の心情を初めて知って、リアンダーは何とも言えない感情に襲われた。それが後悔か歓喜なのかも分からない。ただきゅっと眉根を寄せて、唇を噤む。そして感情が溢れてしまわないように気を付けながら慎重に口を開く。


「……今此処で君に申し込む。親の口約束ではなく、僕自身から。どうか僕を選んでくれるのなら――僕と結婚して欲しい」


 いつか、彼女に相応しい男になってから言おうとしていた。生憎まだ僕は彼女に相応しいとは思えない。それでも、今此処で誓いたかった。

 どこか不安を滲ませながら、それでも逃げずに真っ直ぐと眼差しを向けてきたリアンダーに、モーリーンはまた涙を流す。でも口元には笑みが浮かんでいて、その瞳も嬉しそうにそっと細められた。それは花が咲くように愛らしい笑顔だ。


「ええ、喜んで。私はずっと、貴方がよかったの」


 そう言って、モーリーンはリアンダーの手をそっと握り返した。リアンダーは一瞬目を見開き、そっと安堵したように息を吐いて、柔らかく微笑む。その眼差しには堪らない愛しみが含まれている。


「ありがとう、モーリーン。誰よりも、君を愛してるよ」
「ええ、リアンダー。私も貴方を誰よりも愛しているわ」


 二人は向き合いながら、まるで幼い頃に戻ったかのように微笑み合う。

 こうして長い時間のすれ違いは幕を下ろした。二人は自分たちを繋ぐ曖昧なものが確かなものに変わる瞬間を感じただろう。それは確かに、その手で繋がれているのだから。









――『salad days』完結

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