第五話
肩を落として眉根を下げながらモーリーンはぐつぐつと煮込まれる釜をかき混ぜていた。その姿はどこからどう見ても落ち込んでいて、悲壮感が漂っている。それを横目で流しながらギャレスはいつものように世間話をするような軽い調子で口を開けた。
「引っかき回した僕が言う台詞じゃないけど、深刻そうだね」
「……」
釜を見下ろしてかき混ぜるギャレスに、モーリーンは黙り込む。
モーリーンはつい先刻リアンダーに責められたことを思い出していた。ギャレスに特別な感情はない。ただ気が合う友人ができたと言うだけ。だからリアンダーが疑うようなことは一切ない。けれど、許嫁という存在がいるのに他の男性と仲良くなるのはやはり慎まなければならないのではないだろうか。淑女として、許嫁として、自分は間違ったことをしてしまったのではないだろうか。もうこれ以上リアンダーに嫌われたくはないのに、怒らせてしまった。これ以上どうすれば良いか分からない。
そんなことをぐるぐると考えていると、ぽろりと瞳から雫が落ちて自分の手の甲に落ちた。それを自覚すると次々と目元から雫が零れ落ちてしまって、モーリーンはそっと息を吐きながら袖で涙を拭った。
「ええ、泣くのかい? 残念だけど、僕には慰め方なんて分からないよ」
「……貴方、本当に冷たいわね」
「もう君は知ってるだろう? 僕が魔法薬にしか興味が無い人間だって」
こちらが泣いているのに特に気に留めることも無いギャレスにモーリーンはそう言うと、今さら何を、とギャレスは笑いながら言った。
ギャレスは本人で言った通り、魔法薬以外に熱意を注がない。それ以外に興味を持たないギャレスは言ってしまえば薄情な人だった。でもそのさっぱりとした人付き合いがモーリーンには居心地がよく、だからこそ自分に好意を抱かないという信頼もあった。けれどそれは当人たちだけの認識で会って、はたから見る他人からは分からない。だかたリアンダーが誤解してしまうのも悪くは無いのだ。
涙を拭って釜を見下ろすモーリーンを、ギャレスは一瞥し、また釜に視線を落とす。
「リアンダーのことが好きなのかい?」
「……ええ」
ギャレスの問いにモーリーンははっきりと頷いた。それにギャレスは続ける。
「それは許嫁だから?」
「違うわ。許嫁とか関係なく、私はあの人に恋をしたわ」
ギャレスの問いにモーリーンは答える。
あの日、初めてリアンダーに出会った日のことを、今でも鮮明に覚えている。きらきら輝いていて、物語の中であるような運命の出会いを私はした。それをずっと胸に抱いて、今まで生きてきた。たとえリアンダーの心が離れて行ってしまっても、私の心は変わらない。いつまでも私はリアンダーに恋をし続けている。
「それを本人に言ったらいいんじゃない?」
「言ってるわ、昔から。でも……リアンダーは私のこと、きっと嫌いだから……」
自分なりにリアンダーに好意を伝えて来たし、幼い頃はそれこそ好き≠セと伝えていた。昔はその言葉にリアンダーは可愛らしく頬を染めて恥ずかしそうにしてくれていたけれど、いつしかそんな表情はしなくなって、むしろ眉を顰めることばかりになった。そうなると自分のこの恋心を伝えるのも怖くなって、自然と言葉は無くなり、距離も離れて行ってしまう。
そう言って俯くモーリーンに、ギャレスは手もとを動かしながら続けた。
「君、とても賢いのにそれには気付かないんだね」
「……どういうこと?」
「リアンダーのことになるとフィルターが掛かるのかな。恋は盲目ってやつ?」
ギャレスの言葉にモーリーンは訳が分からず眉を顰める。いったいギャレスがなにを意図してそんなことを言っているのか理解できなかった。
そんな不思議そうに首を傾げるモーリーンを見て、ギャレスはそっと肩を竦める。
「まあ僕は恋とか興味ないけど、嫉妬したから怒ったんじゃないの? 単純にさ」
「……私が、許嫁がいるのに距離を考えなかったせいよ。私が慎まなかったから」
「ふぅん、それなのに僕と一緒に居て良いのかい?」
「……前から約束していた用事だもの」
モーリーンにギャレスは「律儀だね」と返す。
モーリーンという少女は賢い。頭もよく、運動もでき、何においても優秀な生徒。いつも気を張っていて一人で居ることが多いけれど、本当は話すことも好きなどこにでもいる普通の少女。それが今までもギャレスからの印象だ。けれどモーリーンという少女は賢いくせに、リアンダーのことになるとどうにも視野が狭くなるらしい。それは恋ゆえのせいか、今までの複雑なリアンダーとの関係のせいか、それはここ最近付き合いだしたギャレスには分からないし、さして興味も無いが、言えることはただ一つ。
「君、レイブンクローのくせに勉強不足だね」
そう言うと、モーリーンは不満そうにムッと唇を尖らせて、そっぽを向くように釜へ視線を下ろした。それを見て、ギャレスは面白そうにフフッと笑みを零すのだ。