第一話


「リアンダー、彼女がマーシュ家の一人娘――モーリーン。貴方の許嫁よ」


 母にそう言われて初めて会った少女は、可憐で愛らしい人だった。大人しそうな少女で、恥ずかしそうに少し俯きながらちらちらとこちらを窺う姿は小動物のようで、まん丸な大きな瞳が可愛らしかった。そう――僕は彼女に一目惚れをしたのだ。きっかけなんてありもしない。ただ出会って一目見た。それだけで、僕は可憐な少女に魅了されてしまったのだ。


「ご挨拶なさい」


 母に背中を押されて、少女に見惚れていた僕ははっとして一度彼女から目を逸らした。そうして深呼吸をしてから真っ直ぐ少女を見つめて、堂々とする勇気を振り絞って一歩彼女の前に出た。


「やあ、僕はリアンダー。よろしく」
「よろしく、リアンダー。私はモーリーンよ」


 僕の挨拶に、少女はにこりと柔らかい笑顔を浮かべながら返してくれた。少女の声は鈴の音のように愛らしくて、まるで春にさえずる小鳥のように思えた。

 少女は差し出した僕の手をきゅっと握って、握手を交わす。握った少女の手は小さくて、ふにふにとして柔らかい。肌は白くて、すべすべしていた。

 すべてが僕より小さく愛らしい少女は、まるで絵本の中から出て来たおとぎ話のお姫様のように思えた。それくらい少女は僕からすれば愛らしくて、魅力的だったのだ。

 互いの母たちが庭のベンチに座りながら話し込んでいる間、僕たちは二人で遊んだ。庭を駆けまわったり、咲いている花を摘んで花束を作ったりした。この時に僕は初めて彼女――モーリーン――の素敵な魔法を見た。まだつぼみの花を両手で救うように包み込めば、つぼみだった花はゆっくりと開き美しく咲き誇った。まだ上手く魔法が使えていなかった僕はそれに驚いて、思わずモーリーンを見つめた。彼女は恥ずかしそうにはにかみながら、ふふっと笑みを浮かべて、僕を見つめ返してきた。それが恥ずかしくて、幼い僕はそっと目を逸らした。

 それからは定期的にモーリーンと会うようになった。時にはモーリーンと彼女の母が僕の家に訪れて、時には僕たちが彼女たちの家に訪れた。そうして幼馴染兼許嫁としての関係を、僕たちは幼いなりに築き上げていった。

 仲は良好だったと思う。許嫁としての自覚は無かったとしても、僕たちは良き幼馴染の関係を気づき上げていたのだ。僕はモーリーンと一緒にいる時間が楽しくて好きだったし、きっと彼女も好きでいてくれたと思う。けれどそれが一変したのは、いつの頃だっただろう。

 モーリーンは何でもできる優秀な少女だった。勉強も出来れば社交ダンスも出来て、魔法もまだ学校に通っていないのにそれなりに使えていた。加えて少女は日々美しく成長していき、その魅力を発揮させた。才色兼備という言葉はきっと彼女のために在る言葉に違いないとさえ思えた。

 そんなモーリーンに、僕はコンプレックスを抱き始めた。彼女と違い、僕は勉強も得意でなければ運動も特別得意ではなく、魔法も上手く使いこなせていなかった。どれだけ努力してもなかなかそれは実らず、悩んでは落ち込む毎日だった。そんな僕は、何でもできる彼女が羨ましかった。僕も彼女のようになりたい。けれど現実はそうも行かず、僕は徐々に引け目を感じ始めた。

 美しく才能がある彼女が僕の許嫁であっていいのだろうか。彼女が許嫁であることは誇らしく思う。けれど、僕は彼女に見合う才能が無い。だから僕は彼女の許嫁であることに自信を無くして、それは幼馴染である事さえにも及んだ。

 そんな僕を知らずに、モーリーンはよく僕を慕ってくれた。何事も上手くできない僕を応援してくれて、一緒に取り組んでくれたりした。そうして僕が納得しない事実にも、彼女は自分の事のように喜んだ。最初の頃は嬉しかったのだ。けれどだんだんと嬉しい気持ちは無くなって行って、複雑な感情を抱くようになっていった。

 そうやって僕が変わって行く間も、彼女は変わらず僕に笑顔を向けて声を掛けた。聞き上手で話し上手な彼女だった彼女は、徐々に彼女と話さなくなっていった僕の代わりにたくさん話をしてくれてきた。それを僕は鬱陶しく感じてしまっていた。

 酷い話だ。勝手に落ち込んで、勝手に引け目を感じて、僕は何もしていない彼女を遠ざけたのだ。きっと彼女も気付いている。だって彼女は賢いのだから。それでもモーリーンは変わらず僕の隣にいた。


「リアンダーはなにが好きなの?」
「好きなもの?」
「うん」


 何気なく彼女が問いかけてきた言葉。それは何ら複雑な話題でも無かったのに、僕は上手くそれに返答をすることが出来なかった。僕にだって好きなものはある。でも彼女を目の前にすると全てがくだらないものに感じてしまって、自分の好きな物すら分からなくなってしまったのだ。

 なにも返さない僕を気遣ったのか、彼女は一人で話し始める。


「私は花が好きよ。自分でも育てているの」
「へえ」


 知っている。彼女は出会った頃から花が好きで、よくその話を聞いていた。モーリーンが好きな花の種類だって知っている。けれど彼女が自身で花を育てていることはその時に知った。けれど特別驚くことも無く、僕は興味なさげにその話を聞き流した。

 そんな僕に、モーリーンは苦笑を浮かべる。何処か寂しそうで、そっと眉根を下げて笑う彼女。そこにぱっと花が咲くように笑っていた彼女の姿は無かった。そういえば、いつから彼女のそんな笑顔を見なくなったのだろうか。それさえも、僕は分からなかった。

 そんな関係を続けた僕たちに、ついにホグワーツから入学許可証が届いた。世界一の魔法魔術学校であるホグワーツから入学許可証が届くのは当たり前だとも思ったが、どこか安堵している自分も居た。

 当然モーリーンにもそれは届いた。当たり前だ。僕に届いたのだから、彼女にも当然届くだろう。


「リアンダー、貴方にもホグワーツの入学許可証が来たのね」
「ああ、当たり前だ」
「ふふ、一緒の寮になれたら嬉しいね」


 そう微笑む彼女に、僕は内心、きっと違う寮だろう、と思っていた。僕はきっと血筋もあってグリフィンドール寮だろう。けれど彼女はきっとレイブンクロー寮に違いない。なにしろ彼女は優秀で、探求心がある。だから僕とは違う寮のはずだ。

 それは現実になって、彼女は予想した通りレイブンクロー寮に入寮し、僕はグリフィンドール寮に入寮した。僕より後にレイブンクロー寮に選ばれた彼女はどこか残念そうにしていたが、レイブンクロー寮の席に着けばそんな表情も消えて笑顔を浮かべていた。それを見て、僕は遠く感じていた彼女の存在がさらに遠く感じた。

 もともと才能の差もあって、彼女は追いつくべき存在であって、遠い存在だった。けれど幼馴染で許嫁である関係に甘んじていた僕は、まだ彼女と近しい存在であると心の中で思っていたのだ。けれど寮が違って、僕以外の人間と仲良くする彼女を見て、その肩書が曖昧な存在であることを思い知った。たかが幼い頃から一緒にいる関係。たかが親が口約束した許嫁。そこにはなんの確固たる存在は無い。それを思い知った僕は、ますます彼女が手の届かない存在のように思えた。

 けれど彼女は寮が違えど、僕との関りを止めなかった。僕を見つければ彼女は僕に駆け寄ってきたし、時間が許せば僕と一緒に居ようとしてきた。それを不思議に思う反面、僕は優秀な彼女に付きまとわれるのが鬱陶しくなって、ますます彼女を遠ざけ始めた。なんだか彼女が近くにいると僕が惨めに思えてきたのだ。


「リアンダー」


 そうやって僕の名前を呼ぶ彼女の声が鬱陶しくて、僕は次第に耳を塞いだ。

 そうしてモーリーンを突き放せば、彼女は寂しそうな顔をする。でも彼女はなにも言わずに、ただ寂しそうに笑うだけだった。そうして何度もそんな彼女を突き放していれば、ついにモーリーンは学校で僕に付きまとうのをやめた。僕を見つけても声を掛けなくなったし、彼女はいつも一人で行動して、本に読みふけっていた。

 そんな彼女を見て、僕はほっと安心した。これで僕は彼女に悩まされなくて済む。余計に惨めに思わなくて済む。そう安心したのだ。だから僕は彼女のことを家にいたころより気にしなくなったし、寮が違うから彼女と会うこともしなくなって、徐々に僕たちは疎遠になって行った。

 でも、僕の心の中からモーリーンが消えたわけではなかった。

 自分から遠ざけて疎遠になっておきながら、僕は無意識のうちに彼女の姿を探している。そうして彼女を見つけては、じっと何をしているのか観察する。彼女は寂しそうにいつも一人でいて、特別な友人がいるようには思えなかった。個人主義なレイブンクロー寮では珍しくないが、誰からも好かれる彼女が一人で居る姿はどうにも寂しかった。

 でも僕はそれを見て見ぬふりをした。寂しそうにしている彼女を見ない振りをして、時々僕に向けてくる視線にも目を瞑って、僕は気づかないふりをする。引け目に感じていることは変わらなくて、自身の無い僕は彼女の隣に立つことはできなかったのだ。だから今日も僕は知らぬふりをして、彼女に背中を向けるのだ。



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