接触


 最近セバスチャンの様子がおかしい。そう感じ始めたのはいつからだっただろうか。なにも態度が以前と変わったわけではない。むしろ今まで通りで、きっとはたから見たら変化なんて無いんだろう。しかし当人である転入生そうとは思えなかった。

 転入生がおかしいと感じ始めたのはセバスチャンの距離だった。以前は友人としての一定の距離を保っていた気がするが、最近は妙に距離が近く感じる。きっと転入生の秘密を共有したこともあって心の距離は縮まったのだと思うが、セバスチャンは物理的にも距離が近くなったのだ。

 たとえば、階段を降りる時。以前はそんなことしなかったのに、最近は階段を降りる時に、危ないぞ、と言って手を差し伸べてくるようになった。最初はレディファーストだなあ、と思うくらいだったが、頻繁にされるそれに首を傾げ始めた。

 他にも、いつもセバスチャンと居ることが増えた。もともと同じ寮だし一緒に居ることは多かった。転入生の秘密を共有してからはもっと一緒にいる時間が増えて、いつも転入生の隣にはセバスチャンがいた。だからそれはおかしくはない。おかしいのは、セバスチャンと居ない時間がめっきり無くなったことだ。セバスチャン以外の人と話しているときも、授業の移動のときも、それこそ食事なんかもするときも、セバスチャンは必ず転入生の隣にいた。居ないときなんか無いんじゃないかってくらいで、転入生が他の人と居る時はわざわざ割って入ることだってあった。

 そして、他にも。


「転入生、なにしてるんだ?」
「っ! セバスチャン……」


 談話室の窓から近いソファに座ってぼんやりと薄暗い窓を眺めていると、ソファの背からセバスチャンが顔を覗き込んできた。そのあまりの距離の近さに驚いて仰け反ると、セバスチャンは揶揄うように、はは、と笑う。それにムッと眉を吊り上げて唇を尖らせば、セバスチャンは肩を竦めて隣に座って来た。

 セバスチャンが隣に座ったことでソファが沈む。その揺れのせいで隣に座ったセバスチャンの肩にこつん、と自分の肩がぶつかった。それにドキリとして、転入生はバレないように距離を置こうとする。だがそれは上半身をかがめてこっそりと顔を寄せてきたセバスチャンに阻まれ、二人の肩はぴったりとくっついてしまう。


「今夜も行くか?」


 耳元に顔を寄せて、小さく息を吐くように声を潜めて囁いてくる。その低い声や耳に触れる息に身体がぞわりとして、転入生は離れるようにばっとセバスチャンに振り向いた。


「う、ううん! 最近ずっと行ってたし、今日は良いよ」
「そうか? 僕は構わないけど、行きたいんじゃないのか?」
「うん……でも今日は大丈夫。課題もやらなきゃだし」


 きっと窓の外を眺めていたから気遣ってくれたのだろう。でも転入生の内心はそんなどころではなく、距離の近いセバスチャンを意識していた。けどそれがバレないように、転入生は必死に繕って笑顔で首を振る。セバスチャンがなにか窺うようにじっと見つめてきて、またその眼差しに心臓が高鳴った。それを隠すように、きゅっと胸元を握る。

 そうするとセバスチャンも納得したのか「ふぅん……そうか、わかった」と言って少し乗り出していた身体を戻した。そうしてソファから立ち上がって、まだ座りっぱなしの転入生に振り返る。


「分からないところがあれば僕に聞けよ。じゃあな」
「う、うん。またね」


 手を振ればセバスチャンはそっと口元に笑みを浮かべて寮の部屋へ向かって歩き出す。その背中が見えなくなるまでじっと見つめて、セバスチャンの姿が見えなくなると、転入生はほっと息を零した。そして未だ鳴り止まない心臓を落ち着かせるように、転入生はそっと深呼吸をする。肩に触れた感触と温もりが消えなくて、転入生はひっそりと耳を真っ赤に染めていたのを、誰も知らない。





   * * *





「なに? 最近のセバスチャンがへん?」
「う、うん……」


 セバスチャンのいない談話室で、とうとうセバスチャンとの距離に意識を向け過ぎた転入生は、友人であるオミニスに相談を持ち掛けた。向かいのソファに座るオミニスは疑うような眼差しをこちらに向けて来て、それに転入生は姿勢を正した。

 どんなふうにへんなんだ、と問うオミニスに、転入生は相談した手前黙ってはいられず、恥ずかしい気持ちを押さえつけながらひとつひとつセバスチャンに違和感を覚えた記憶を話した。今までなかったのに突然レディファーストをするようになったことや、一緒にいる時間が増えたこと、そして物理的な距離が縮まって触れることが増えたこと。そのひとつひとつを転入生は頬を赤く染めながら話した。

 その話を頷きながら聞いていたオミニスが、ふと突然フッと笑みを零した。それに転入生は話すのを止めて、オミニスを訝しむ。


「どうして笑うの?」
「フ、いや」


 首を振るが、その顔にはまだ笑みが浮かんでいて、とても楽しそうな様子だ。口元を抑えて笑みを零すオミニスが理解できなくて、転入生はただただ首を傾げる。

 そんな時、聞き慣れた声が降ってきた。


「二人でなんの話をしてるんだ?」
「セバスチャン……っ!」


 背後から、耳元の近くから聞こえてきた声に肩を揺らして振り向けば、ソファの背に肘を付いたセバスチャンがいた。

 もしかしたら聞かれていたかもしれない。そんな不安がよぎると自分でも分かるほど顔が赤くなってしまって、転入生はすぐさま顔を俯かせた。そんな転入生を不思議に思いながら、セバスチャンは当たり前のように転入生の隣に腰を掛けてオミニスに話を促す。


「それで? どうしたんだよ」
「君の話をしてたんだよ、セバスチャン」
「僕? ……へえ」


 一瞬目を丸くするも、セバスチャンは次の瞬間には口元に笑みを浮かべてそっと目を細めた。その視線の先には顔を俯かせる転入生がいて、それから逃げるように転入生は顔を反らして身体を小さく縮こませる。

 そんな二人の様子を雰囲気から察したのか、オミニスはおもむろにソファから腰を上げた。


「それじゃあ、俺は行くよ。セバスチャン、あまり揶揄うんじゃないぞ」
「はいはい」


 セバスチャンはひらりと手を振って立ち去ってしまうオミニスを見送る。一方で転入生はセバスチャンと二人きりになってしまう事実に心臓を跳ねさせオミニスに助けを求めるが、そもそも助ける気が無いオミニスが立ち止まってくれるはずもなく、口元に笑みを浮かべたまま行ってしまう。

 とうとう二人きりになってしまい、転入生は繕うこともできずに顔を俯かせた。しかし隣のセバスチャンが気になって、転入生はそろりと顔を上げて隣を見てみる。するとじっとこちらの様子をかがっていたセバスチャンと目が合って、転入生はドキリと心臓を跳ねさせた。セバスチャンは目が合ったことににやりと笑い、それにまた転入生はそっぽを向いて目を逸らす。


「どうして目を逸らすんだ?」
「セバスチャンか見てくるからよ……」
「ふぅん?」


 声色からにやついているのが分かる。きっと揶揄っているんだ。転入生はそれが悔しくてそのままそっぽを向き続ける。しかし、突然膝に置いていた手に大きな手が重なって包み込まれたことに驚いて、転入生はそっぽを向くことができずセバスチャンに振り向いてしまう。


「なっ、なに?」
「手に触れてるだけだろ。前は君から触れてきた」


 そう言ってセバスチャンはぎゅっと手を握ってくる。その感触と温もりに顔がどんど熱くなる。

 何度もぎゅ、ぎゅ、と握り込まれて、指先で手の甲をなぞる。そうして指の隙間に自分の指を絡めると、またきゅっと感触を楽しむように握られる。それに耐え切れず、口をぱくぱくと開けては閉めて、赤くなった顔で繋がれた手を見下ろすしかできない。


「そう赤くなるなよ。もっと揶揄いたくなるだろう?」


 眉根を下げて揶揄うように笑うセバスチャンに、転入生はさらに顔を赤く染め上げた。そうして耐え切れずに柔い力で握られた手を振り払って、逃げるようにまたそっぽを向く。すると背後からフッと笑う声が聞こえてくる。


「ごめん、悪かったって、転入生」
「知らないっ」


 恥ずかしすぎて干上がってしまいそう。それくらい全身が熱くて燃えている。あまりの羞恥心のせいか瞳だって潤んできた。内側で鼓動を打つ心臓は静まらないし、頭だって混乱して冷静でいられない。今は冷たい海の底に沈んで落ち着きたい気持ちだ。そんな時、隣からギシリとソファが軋む音が聞こえた。

 それに気が逸れて少しだけ顔を反らすとすぐそばにセバスチャンがいて目を見開く。反射的に身体を仰け反るがこれ以上下がることもできず、セバスチャンに肩を掴まれたせいで逃げられない。唯一自由の利く視線もすぐそばにあるセバスチャンに奪われて、身動き一つできない。まるで蛇に絡まれたみたい。


「逃げないのか?」
「な、んで……?」


 ぐっと顔を近づけたセバスチャンが言う。息が肌に触れて、鼻先が触れてしまいそう。

 目を細めたセバスチャンがぐっと掴んだ肩に力を入れる。そしてゆっくりと顔を近づけてくるのを、転入生は黙って受け入れる。そうして二人の吐息が触れあうほど近づくと、転入生は我慢できずにぎゅっと目を瞑った。そうすれば逃げられるような気がした。でも実際はそんなことはなく、むしろ捕まりに行ったようなもので、次の瞬間には柔らかい感触が唇に触れていた。


「……」
「……」


 触れた温もりが消えて、セバスチャンが離れて行く。それと同時に硬く目を閉じていた瞼を開ける。目の前の存在を見つめ返すなんて勇気は無くて、視線は未だ下を向いている。それが気に食わなかったのか、肩を掴んでいたセバスチャンの手が頬に触れた。自分の顔をと同じくらい手をも熱くて、目線を合わせるようにゆっくりと持ち上げられる。そうしてようやくセバスチャンに目を向ければ、セバスチャンは満足そうに笑っていた。


「……此処、談話室よ」
「今は僕たちしかいないだろ」


 そう言われて視線を辺りに向ければ、オミニスがいた時は数人ほど生徒がいたのに、今では自分たちしかいなかった。いつの間に二人きりになっていたのだろう。そんなことを考えていると今度は顎を掴まれて、自分に意識を向けるようにとでも言うようにくいっと顔を持ち上げられた。

 またセバスチャンの顔が近づいてくる。でも鼻先が触れ合うほどまで来るとセバスチャンは一度立ち止まって、少しだけ距離を離した。伏せていた視線を上げてセバスチャンを見れば、セバスチャンは確認をするような真剣な眼差しを向けている。その視線のまま顎を掴んだ手は後頭部に回されて、一方の手は背中に回される。そこまで来ればもう逃げるなんてことは出来なくて、転入生はきゅっとセバスチャンのローブを掴んだ。それを合図かのように、セバスチャンはもう一度、転入生の唇にそっと己の唇を重ねた。






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