自惚


 気づくと転入生はよく談話室の窓を眺めていることに気づいた。スリザリン寮はちょうど湖の面する地下にあって、窓の外は湖の中だ。水中で泳ぐ魚たちが見えて、入って来た新入生に、人魚がいる、と揶揄うのが常だ。そんな場所に、転入生は気づくと一人でぽつんと窓を眺めていることに気づいた。

 普通ならただ窓を眺めているだけに見えるだろう。だが転入生の秘密を知ったセバスチャンは、転入生が海を恋しがっているように見えた。

 ホグワーツが立つこの場所にも海はある。箒で飛べば、時間はかかるが行けないことはない。だが広大な海は危険であるし、いくら特別措置を受けている転入生であってもいつも海へ遠征することは学生であるから無理だろう。そうして見つけた場所が、きっと湖に違いない。だが湖にも様々な生物が生息しているし、危険では無いとは言い切れない。加えて湖の中に入るのは校則で禁じられている。そうなると、彼女が水の中に潜る機会は滅多にないと言える。

 あんなに綺麗なのに勿体ない、と思う。それに、定期的に水に触れていないと干からびると言っていた転入生を友人としてどうにかできないか、とも思った。


「転入生」
「なに?」


 声を掛ければ、窓から視線を逸らした転入生が首を傾げてくる。そんな彼女に「ん」と手を差し出せば、頭にクエスチョンマークを浮かべた転入生がわけも分からないまま差し出した手に自分の手を置いた。

 手に転入生の指が触れると、普通の人よりもひんやりとしていて冷たいことに気づいた。


「なに、どうしたの?」
「いや……やっぱ体温は低めなんだなって」
「ああ……普通の人よりも低いと思うよ」


 指で転入生の指先を触れながらそう言う。やはりマーピープルのハーフであるためか、人の姿であっても普通の人よりは体温が低い体質らしい。


「前に聞いたけど、水に触れないと干からびるって言っただろ? あれって水なら良いのか? 海水とかじゃなくても」


 転入生の話を聞いて、セバスチャンが気になったのはそこだった。ただの水でもいいのか、やはり海水を好むのか。それ次第で転入生への対応も変わってくる。


「うん。まあ海水の方が好きだけど、水に触れてれば干からびることはないかな」
「そうか」


 予想通り、やはり海水を好むと聞いて納得した。けれどただの水でも良いことも聞いて、セバスチャンは黙り込んで思案する。そんなセバスチャンを知ってか知らずか、転入生はにこりと微笑む。


「気にしてくれたんだね。ありがとう、セバスチャン」


 それに、ああ、と相槌をしながら、セバスチャンはそっと手を離した。





   * * *





 後日、オミニスと二人並んで授業の席に着いたセバスチャンは、本から視線を上げないままオミニスに投げかけた。


「なあ、オミニス。監督生の風呂場に入るには、やっぱり忍び込むしかないよな」
「なんだ、セバスチャン。大きい風呂に入りたい気分なのか?」
「ん? ああ……ま、そんなところ」
「ふぅん? ま、見つからないようにするんだな」


 その言葉にセバスチャンはフッと笑う。

 そうと決まれば、あとは今夜にでも実行するだけだ。そう思い立っては、セバスチャンはすぐに授業終わりに転入生へ声を掛けた。


「転入生、今日の夜、空いてるか?」
「特に用事は無いけど」
「決まりだ。良いところについれてってやる。寮の前に集合な」


 そう言うと、転入生は首を傾げた。なにを企んでいるんだ、と探るような表情をする。それに心の中でフッと笑いながら、セバスチャンは、またあとで、と転入生と別れた。





 その日の夜はなんだかあっという間に訪れて、門限時間に約束の寮の前に行けば、転入生はすでにそこにいた。それに声を掛けて、セバスチャンは「よし、じゃあ行くか」と行き先も告げずに転入生を夜の学校に連れ出した。こうやって門限時間に校舎を忍び歩くことを二人は何度もやっている。それを活かして慣れた手つきで姿くらましの術を使って、校内を歩く監督生や教師たちを交わし、順調に二人は目的地の場所までたどり着く。

 部屋の前で立ち止まって、聞き耳を立てて中に人がいないことを確認する。そうしてゆっくりと扉を開けて、二人はするりと隙間から入り込む。


「此処だ」
「此処って……監督生の浴室? わあ、広い!」


 監督生の浴室は特別に広くて、プールみたいなところだ。壁にはマーピープルのステンドグラスが飾られていて、とても幻想的に見える。


「此処なら、まあ忍び込むしかないけど、湖に入らなくてもまあまあ泳げるだろ?」


 きらきらと辺りを見渡す転入生にそう言うと、転入生は驚いた様子でこちらを見てくる。それにセバスチャンは続けた。


「君の事情なら、ウィーズリー先生とかに言えば使わせてくれそうだけどな」
「あ、ありがとう、セバスチャン。本当に」
「僕らの仲だろ?」


 すると、転入生はくすぐったそうにはにかんだ。

 此処は浴室だが、もちろんお湯ではなく水も出せる。二人は浴槽に冷たい水を流し込んで、小さな湖を作り出した。転入生がしゃがみ込んで手を水に浸けると嬉しそうに頬を緩ませて、それを見ていたセバスチャンもフッと微笑む。


「じゃあ僕は外で見張ってるから」
「え!? 一緒に話しながら過ごそうよ」
「えっ」


 それに今度はセバスチャンが目を丸くした。初めて姿を見た時を思って、あまり見られたくないだろうと配慮してのことだったが、転入生はもう気にしていないらしい。子供みたいに楽しそうにする転入生に「ま、まあ……君が良いなら、良いけど」と言って頷けば、転入生はぱっと表情を明るする。その直後、待ってました、と言わんばかりに転入生は水飛沫を立てながら浴槽の中に潜り込んだ。

 水飛沫が飛んで冷たい。そうして制服のまま浴槽に入った転入生に改めて目を向けると、服は浴槽に浮いていて、人魚の姿になった転入生が楽しそうにするすると深くも浅くも無い浴槽を泳いでいた。


「ふふ、気持ちいい」
「それは何より」


 杖を出して一振りして、水に浮かんだ転入生の制服を取り浚う。そうして風邪で乾かしてから綺麗にたたんで、浴槽の恥に寄せておく。

 セバスチャンは浴槽のそばにしゃがみ込みながら、幼い子供みたいにはしゃぐ転入生をまるで兄のような眼差しで眺めた。けして転入生を妹のように思っているわけではないが、その眼差しには慈しみが紛れていたのは間違いではない。


「……やっぱり、その姿だと人間の体温で火傷するのか?」


 泳ぐ転入生に気になっていたことをまた一つ投げかける。

 魚は人間の体温で火傷をするという。なら、マーピープルとハーフの転入生はどうなのだろう。人間の姿の時は良くても、今のような人魚の姿では自分の体温で火傷をするのではないだろうか。

 その疑問に、転入生は頷く。


「うん、ちょっと熱いのかな。触ってみる?」
「いや、無暗に傷つけるものでもないだろ」


 近づいて手を差し出してきた転入生に首を振って、決して触れないように手を遠ざけた。すると、転入生はなんだかニマニマしたような笑みを向けてくる。それが少し気に食わなくて、セバスチャンはムッと眉を顰めた。


「なんだよ」
「ううん、なんだか不思議な気分」


 そう言うと、転入生は浴槽の縁に近づいて、ぐっと身体を持ち上げてそのままセバスチャンの隣に腰を掛けた。

 下半身の尾ひれの先は水に浸かっていて、ゆらゆらと揺れてる。それに自然と視線を奪われて、転入生の下半身や肌にある不思議なきらめきを放つ鱗を見つめた。


「鱗が気になる?」
「あ……ま、まあ……綺麗だよな」


 図星を突かれて少し慌てたが、すぐに落ち着いて素直な感想を述べた。人魚なんて石像でしか見たことはないし、なにかと比べようもないが、それがひどく美しく綺麗なものであることは分かった。


「見られたのがセバスチャンで良かった」


 そう言った転入生はそっと目を細めて微笑んでいた。それは心から安堵したような表情で、それを見ていたらなんだかくすぐったくなって、セバスチャンはそっと顔を反らした。






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