ミイロタイマイ


 昼下がり、街を歩いているとふいにある男女に目を止めた。

 カフェから少し離れたところで向き合っている男女は、恋人にしては不自然で、親子にしては若すぎる。するとスーツを着た男が、懐から財布を取り出して数枚の万札を女に手渡した。女はそれを受け取ると、慣れた手つきでそれを数えて、そっと微笑んで懐に仕舞った。それは異様な光景で、しばらく観察していると、そうそうと男は女の前から立ち去って、女はそれを見送るように手を振った。

 そうして女の前から男が居なくなったのを見計らったように、俺はその女に声を掛けた。


「なにしてんの?」


 後ろから声を掛ければ、振り向いた女はオレを見て一瞬びっくりしたような様子を見せる。それにフッと笑って首を傾げれば、見開いた目を戻した女が愛想よく笑う。


「なに、とは?」
「さっき、金貰ってただろう」
「ああ……あれはただの対価です」
「へぇ」


 対価だと言い切る女に、俺は少しばかり目を見張る。

 つまるところ、女はそういった商売をしているのだろう。身体を売っているのかは知らないが、少なくとも男とデートやなんかをして、それの対価として金を貰う。そういうことをしている類の人間だと言う事は、今の発言で明らかだ。


「じゃあ俺とどお?」


 にやりと笑って、上から女を覗き込む。すると、女はさっきのように目を大きく見開いて、覗き込んだ俺を見上げてきた。そうして俺をしばらく見つめると、挑戦的な笑みを浮かべる。その媚を売らない強気なところは、印象が良かった。


「私との時間は高いですよ?」
「いいじゃん」


 その挑発に乗ってやる。金なんていくらでもあるし、女が望む額を払ってやっていい。けど残念なことに、今は時間が無い。すでに背後で部下が車を止めて待っている。

 俺はポケットから名刺を出して、それを女に手渡した。女はそれを受け取って名刺に書かれている文字を見て、目を見開く。それもそうだろう、そこには裏社会で有名な『東京卍會』の文字が書かれているのだから。


「これ、連絡して」
「え」
「んじゃ、待ってるから」


 女を無視して、そのまま踵を返し車に乗り込む。車で立ち去るまで女を見ていると、女は呆然と名刺を持ったまま立ち尽くしていて、それにまたフッと笑みが零れた。

 怖気づいて逃げ出しても、見つけ出すのは簡単だ。そうして俺は、珍しく上機嫌なまま仕事をこなした。





   * * *





 女から連絡が来たのはその日の夜だった。

 簡素なメールが送られてきて、それに返信をしてデートを約束づける。怖気づいたなら、そもそも連絡なんて寄越さない。だから女はこの申し出を受けるだろう。そう予測を立てた通り、強気な女は怖気づくことも無くデートを了承した。普通なら、あの文面を見て怯えるのが一般人だ。それなのに怯えない女は、俺にとっては面白かった。

 そうしてデートの当日。待ち合わせ場所に時間ぴったりに着くと、すでに待ち合わせ場所にいた女が、俺を見つけるなり目を丸くして見上げた。


「まさか本当にデートするとは思いませんでした」
「そお?」


 女からしてみれば、俺みたいな人間がどうしてこんなことをするのか疑問なんだろう。しかし女は聡く、それ以上俺に踏み込もうとする質問や発言は控えた。女は知りたがる質だと思っていたが、こうして聞き分けの良い女は付き合っていて気分を害さなくていい。

 時間も時間ということで、まずは近くのレストランに入って早めの昼食を取った。目の前の女は丁寧な手つきでマナー良く食事をして、美味しそうに頬を緩ませる。その様子は大人びていて、どこぞの令嬢だと言われてもおかしくない姿だった。


「こういうの、どんくらいの男とやってんの?」


 食事の途中で、ふいに女に聞いてみた。すると女はとんとんと叩くように口元を拭ってから、にこりと微笑む。


「私、パトロンは多く待たない主義なので」
「パトロンねぇ……」


 つまり、客は不特定多数ではなく、固定ということだ。定期的にこういうことをして、定期的に金を貰っているのだろう。それをおパトロンと言い切って見せる強気なところが、益々俺を気に入らせた。


「それ、優先順位とかあンの?」
「もちろん。良いパトロンを優先しますよ」


 フッと微笑んだ女はやはり挑戦的で、それの相手をするのは退屈ではなく、むしろ気分が良い。


「どーしたらなれんの?」


 テーブルに肘を付いて、頬杖を付きながら首を傾げて女を見やる。そうしてじっと女を見つめる。

 女は俺の発言に目を丸くする。きっと今日だけの気まぐれだと思ったのだろう。確かに気まぐれではあったが、此処で終わらせるくらいなら声なんてそもそも掛けない。

 すると女は丁寧な手つきでドリンクを取って、それを一口飲み込んだ。そうしてにこりと微笑んで、こう言う。


「私、次は洋服が見たいです」


 それにフッと笑って、いいよ、と言ってやれば、女は嬉しそうに頬を緩ませるのだ。





 その後はショッピングモールを適当に歩いて、女が楽しむ姿を眺めていた。女が手に取った気に入ったものをいくつか買ってやって、その紙袋を持ってやる。そうして時々食べ歩きもして、なかなか良い休日を満喫すると、あっという間に日は沈み、夜になっていた。


「今日はありがとうございます」
「ん、これ。今日の分ね」


 そう言って懐から適当に数枚の万札を取り出して、女に手渡してやる。その枚数は女にとっては多かったらしく、目を丸くして差し出したそれを凝視してきた。そうして窺うように俺を見て着たあと、おずおずとそれを受け取る。


「……ありがとうございます」
「足ンない?」
「い、いえ! 大丈夫です」


 分かっているのに揶揄ってそう言うと、女は急いで首を振った。こんな商売するなら、強請っても良いっていうのに、その辺はしっかりしているらしい。もったいない。この女が強請れば、何枚かは上乗せできそうなのに。


「それでは、私は此処で……」


 そう言った女が紙袋を受け取ろうと腕を伸ばす。それをひょいっと交わして、代わりにその腕を掴む。


「送ってく」
「え? いえ……」
「ん、ほら」


 そのまま掴んだ腕を滑らせて女の手を取る。それに驚いた女が俺を見上げてくる。その表情にフッと笑ってやって、エスコートをするみたいに優しく手を引いてやった。そうしたら諦めたのか、女は眉根を下げて仕方なさそうに笑いながら黙ってついてきた。

 駐車場へ向かって、女を助手席に乗せた後、車を走らせて女の家に向かう。女はあっさりと住所を教えた。まあ調べればすぐに明らかになるし、俺の立場を考えて黙っていても無駄と判断したのかもしれない。真相は明らかではないが、そのまま俺は安全運転で車を走らせ、女の家に向かった。

 女の家は簡素はアパートだった。辺りに街灯は無く、夜のここら辺は薄暗い。


「ありがとうございます、送って頂いて」
「いーえ。気を付けろよ」
「はい」


 そのまま土産を持って扉に手を伸ばした。それに、あ、と零して、女の腕をもう一度掴む。そうして振り向いた女に「また連絡する」と言えば、女は驚いたあとそっと微笑んで、はい、と頷いた。そうして、と車から降りた女は扉を閉めた。

 階段を上がって、アパートの部屋に入っていく女を見送る。最後に女は一度振り返って、手を振って来た。それに手を上げて応えてやり、完全に部屋に入るまで女を見送る。そうして扉が閉められたのを確認してから、俺は再び車を走らせた。





   * * *





 女との関係は案外長く続いた。定期的に連絡をしては、ディナーへ連れて行ったり遠くへ連れ出したりして、俺の気まぐれの誘いに女を誘う。女はそれをすべて了承した。その代わりに俺は女に金を払い、俺は女のパトロンとしての関係築いていった。


「意外と長続きしますね」
「あ?」


 女のとの関係がちょうど二ヶ月ほど続いた頃、女が突然そう口を零した。


「だって、こういうの面倒臭がりそうじゃない。ダリぃってよく言うし」
「あー……」


 それは俺も思う。気が乗ったとはいえ、どうせすぐに飽きると思っていた。だが女との時間は案外退屈しなくて、派手で面白いわけではないが、当たり前のような平凡な時間は自分でも驚くほど安らぎを覚えていた。その今までの自分とは違う変化に、俺はそっと笑む。それを女は知らないだろう。

 女との時間が気に入れば、ちらつくのは女の他のパトロンだ。あらかた女の素性は調べ上げたが、女は俺の他にこう言う事をするパトロンが数人いる。払っている額で言えば当たり前に俺が一番だからなにかと女から優先されているが、女が他のパトロンを持っているのに変わりはない。それは俺にとってはあまり面白くない状況だ。


「お前、こーいうことすんのやめろよ」
「え?」


 だから感情に任せてそう言った。

 女は目を丸くして、隣で煙草を吸い始めた俺を見上げてきた。そうして困ったように眉根を下げる。


「なに、突然……」
「借金は払ってやる。だからやめろ」


 その途端、女の息が止まる。それを静かに横目で眺める。

 女は俺の立場を理解して関わっていた。なら、自分の素性が洗われていることくらい簡単に予測できるだろう。そして、そう思った通り、女は特別動揺をすることはなかった。ただ、俺の口から出た、払ってやる、と言う言葉に驚いているようだった。しかし驚いて見開いた瞳は徐々に細めて、まるで怒っているように瞳を鋭くする。


「それを決めるのは、私の自由でしょう」


 強気な女を、静かに上から見つめる。それでも女は怯むことはせず、睨みつけるように見返してくるのだ。


「なにが嫌なんだよ」


 そう女に問う。

 女にとっては良い話のはずだ。ひょっこり自分の前に現れた男が借金を肩代わりすると言っているのだ。女にとって、損をする話は何処にもない。借金さえなくなれば、女がしているこういう事もしなくて済むのだから、やはり女にとっては得の話のはずだ。でも女はちっとも嬉しそうな顔をしない。それが分からなかった。

 女は一瞬口を開くが、なにかを零すことはなかった。そうして「今日はありがとうございます。それでは」と言って車を出て、アパートに消えていく。その日は振り返って手を振られることは無くて、そのまま部屋に入ってしまった。それを見送った俺は、どこかで落胆する。そんな自分を振り払うように、煙草の火を消して車を走らせた。





   * * *





 その日以降、女からの連絡が途絶えた。

 普段なら俺の連絡に必ずその日のうちに返信する。だがその日以降、女は俺の連絡に一切返事を返さなくなった。メールを送っても返答無し、電話を掛けても着信拒否をされる。そうして一方的に切られたことに苛立ちを覚え、気が長くない俺はそのまま女が通う学校に強硬手段に出た。

 下校時間に校門近くに車を止めて、出てくる生徒を眺めながら女を待ち構える。生徒からは視線を受ける俺の様子かなり目立つだろう。そしてそんな俺を知る女は、きっとぎょっとするに決まっている。

 予想通り、校門へ歩いてきた女は俺の姿を見ると足を止めてぎょっと顔を歪めた。それを見やって、愛想よく笑ってやる。すると女は気まずそうに視線を逸らして、そのまま踵を返そうとした。だがそれを許す俺でもなく、振り返った女の肩を掴んで、そのまま強引に腕を引いて車へと連れ込む。そうして早々と車を走らせて、学校前から立ち去った。

 車に乗せられた女は、助手席で不満げに俺を睨みつけながら声を上げる。


「ちょっと、あんな場所まで来るってどういう神経です」
「お前が連絡切ったせいだろ」


 それをじとりと見やりながら、適当な駐車場に車を止めて、煙草を吸い出す。不満そうに隣に座る女は逃げられないことを悟って大人しくしているが、その表情は明らかに怒っています、と書かれていた。それにため息を落として、口を開いた。


「んで? なにが気に食わねぇんだよ。借金払われるのがそんなに嫌? それともこのお遊びを続けたいわけ?」


 そう言えば、女はぴくりと眉を動かす。とても不愉快だ、という顔だ。


「そんなの……好きでやってるわけじゃない」
「なら良いだろ、なにが嫌なんだよ、ダリぃ」


 好きでやっているわけではないのは、見ていればとっくに分かる。借金で仕方なくやっているのだろう。それを帳消しにしてやる、と言っているのに、いったい何が不満なんだ。それが理解できずに思わず、ダリぃ、と口を零す。

 すると女はきつく俺を睨みつけて来て、言った。


「それで、私は買おうってことですか」
「それで俺のモンになるなら、俺は良いけど?」


 借金を帳消しにした金で女を自分のモノにできるなら、俺にとっても悪い話じゃない。そう言うと、益々女は顔を歪めて、声を上げる。


「手元に置いて、それで満足? 私は置物じゃない」


 そう声を荒げる女は、いつにも増して真剣だ。あまり自分のことを離さない女が、唯一自分の意志を強く言葉にした瞬間なのかもしれない。

 べつに、手もとに置いて飾っておくつもりはなかった。ただ、女との時間が気に入っていたから、欲しかっただけ。すると女はなにも言わずに車を出ようとした。それを急いで腕を掴んで止めるが、女は強引にそれを振り払おうとしてくる。


「おいっ」
「気に入ったものを手元に飾りたいだけでしょ。私はそんな置物ごめんよ」
「違ぇって……、おい」


 怒る女を宥めるように気を付けながら声を掛ける。そうすれば、女も正気に戻ったのか、はたまた掴んだ腕を振りほどけないと悟ったのか、明らかに仕方なく助手席に大人しく座りなおした。その横姿を見つめながら、首裏を掻いて慎重に言葉を選んでいく。


「あー……なんつーか……一目惚れ? ってやつだよ」
「……は?」


 女が目を丸くして、素っ頓狂な声を上げる。俺はその視線から逃げるように前を向いて、ハンドルに腕を乗せて体重を掛けた。


「……貴方みたいな人が?」
「うるせぇ」


 もっともなこと言う女に、俺は不満げに返した。

 そう、きっかけは単なる一目惚れと言うやつ。あの日、目についたこの女に惹かれただけ。それで声を掛けて、一緒に時間を過ごして、すぐに冷めると思ったその感情が消えなかっただけ。ただそれだけのことだった。とても単純明快でわかりやすい。

 女は俺の様子を見ると、すっかり怒っていた感情を仕舞って、真意を探るような眼差しで問いかけてくる。


「それで、自分の物になったら満足?」
「おお」
「それで、満足したら置物にして捨てるのね」
「自分のモン、そう簡単に捨てる気はねぇけどな」


 そう言うと、女はどこか納得がいかない様子で俺を見てくる。そうして腕を組んで、はっきりと「信じないわ」と言うのだ。まったく強気な女も良いところだけど、少しは信じて欲しいものだ。まあ、信用が無いのは痛いくらい分かっているけど。


「いいけど、こういうことすんのは止めろよ」
「いやよ。それじゃあ貴方に従って、良いようにされてるみたいじゃない」


 じとりと睨みつけても、女の態度は分からない。しかしここで引き下がるわ件もいかない。どうして自分が惚れてる女が他の男と仲良くしていることを許さなきゃならない。それほど俺は寛容じゃない。


「どーしたらいいわけ?」


 ハンドルに体重を掛けながら、女に問いかける。すると女はちらりと俺を盗み見て、一瞬その強気な眼差しを伏せた。


「……誠意を見せてよ。私が好きなら」
「ふぅん」


 その誠意がどんなものかは知らない。ただ、好きと言う事を証明すればいいらしい。

 俺は座っていた腰を少し浮かせて、助手席に座る女に身を乗り出した。そうして手を滑らすように頬に触れて、指先で耳裏をくすぐる。すると女は実を捩って遠くへ逃げようとする。それを肩を掴んで阻んで、そのまま鼻先が触れ合うほどまで顔を近づけた、その瞬間、女の手によって口元を抑えられ、ぐっと押し返された。


「手が早いなんて、最低よ」
「ダリぃ」


 好きと言う事を証明しろと言ったくせに、と乗り出していた身体を戻す。ただ、こうして甘い雰囲気に流されない意志の強い女はやはり俺の気を好くして、煙草の火を付けながら「でも、いい女」と満足げに呟いた。

 すると女は初めて頬を赤らめて、それを見た俺はフッと笑んだ。






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