その一言が言えなくて
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"九楼さん、おはよう"

たったこれだけの言葉すら、彼女にかけられないまま、今日もまた彼女のことを遠くから眺めていた。僕にとって彼女は高嶺の花というか雲の上の存在というか。とにかくとても僕なんかがお近づきになれるような存在ではないと思っていた。だから、何時ものようにぼーっと彼女のことを眺めていた僕に声をかけてきたのが件の彼女だったことに喜び以上に驚きを感じていた。

「ちょっと良いかしら」
「えっと、構わないけど」

どこか緊張している様子の彼女に内心首を傾げて、撫子が何冊かノートを抱えているのに気付いて、彼女が何の用事で声をかけたのか分かった。

「理科のノート、今日提出だったったっけ」
「ええ」

ホッとしたように顔を緩めた彼女に、自分の理科のノートを渡す。

「はい、じゃあ…よろしく」
「ええ」

撫子は片手でノートを受け取ると、既に抱えていたクラスの人数分のノートに重ねる。思っていたより沢山あるノートに、手伝おうか、と言ってみようかと思ったけれど、勇気が出せないまま離れていく彼女の背を見送った。せっかくのチャンスだったのに。手伝おうか、の一言すら言えない自分がとても情けなく感じる。今からでも遅くない。追いかけて、手伝おうと一言言おうか、いやでも迷惑だと思われたらどうしよう?

頭の中でぐるぐる考えながら彼女を見ていたら、最近転入してきた海棠鷹斗とかいう生徒が撫子に近付いて何か話し掛けていた。会話は聞こえてこなかったけれど、彼は撫子と一言二言言葉を交わすと、撫子の手からノートを半分取り上げた。撫子は少し困ったような、それでいて嬉しそうな笑顔を浮かべていて、僕の心に嬉しいような悔しいような気持ちが芽生えた。

「僕にも彼のような行動力があれば良いのに…」

小さく呟いた声は、窓から吹いた風に乗って誰に聞こえることもなく消えた。



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Twitterの指定されたCPでSSSを書く、というタグでモブ撫を頂きましたが、他に指定されたものは140文字ツイート二つ分に収まったのにモブ撫だけ少し長くなったので一つの作品として此方にあげてしまいました。



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