フォルテ | ナノ


 05



 音楽科棟には各音楽科生に一室ずつある練習室がある。その部屋は生徒会の持つマスターキーであろうと開けることは出来ない。本人だけが持つキーでなければ、侵入は不可能である。
 圭太は雫に必要な資料の収集を任せ、明衣を最も安全なこの部屋へ連れてきた。

「すげぇな」
「この設備がよかったからここに入ったんだ」
「そりゃあ、こんだけ揃ってるんなら入るよな」

 部屋の中を興味深そうに観察する明衣を、部屋の中央にどんと置かれているグランドピアノの前に座らせる。
 膨大な量の楽譜とCDを収納してある棚、オーディオ機器や加湿器なんかも置かれているが、きちんと整理されていて見苦しさは一切ない。

「明衣は何もしなくていい。もうじきあの屑共もここを嗅ぎつけてくるだろうが、俺がまとめて相手してやるからよ」

 怒っていることは怒気を孕んだ声色で理解出来るが、表情からは何も読み取れない。しかし、明衣には僅かながら圭太の表情の変化が分かった。
 明衣はふと、防音設備の整っているこの部屋なら、久々に圭太の歌声を独占出来るのではないかと期待に胸を躍らせた。

「なぁ、圭太」
「ん?」
「圭太が歌ってるとこ見たい」
「代わりに明衣をくれるんならな」

 それに対して、明衣は即答で構わないと言い切った。声フェチである明衣にとって圭太の声は魅惑の塊であり、圭太を組み敷くのは後が怖いと本能的に思った結果の答えだった。
 その答えを聞いた圭太はすっと背筋を伸ばした。ふわりと紡がれていく言霊はバリトン音域をゆったりと、しかし軽やかに足跡を残して甘美な響きを空間に広げていく。アカペラであるからこそ、声を奏でる圭太の実力が明確に示される。
 歌い終えると圭太はまだ聴き惚れたまま帰ってこない明衣の隣に座り、鍵盤に手を乗せた。

「明衣も何か歌え」

 その言葉に明衣は我に返り、激しく首をブンブンと横に振った。本気で嫌がっている。

「かえるの歌なら音痴なめいちゃんでも歌えるだろ」
「絶対嫌だ!」

 明衣はドが付く程の音痴なのだ。音程は見事に外し、リズムも全く取れない。壊滅的である。
 小学生の頃に友達に馬鹿にされてから、頑なに歌おうとも楽器に触れようともしていない。それでも、圭太は諦めずに明衣へ歌ってくれと催促する。

「俺は明衣が一生懸命歌ってるとこ見たい」
「絶対に嫌だ」

 それから数十分程経ったが、未だにどちらも譲らずにいた。圭太は半分本気で、半分はただ単に必死に首を横に振る明衣が面白くてこのやり取りを続けていたのだが。
 この無限ループは扉を殴りつける音と無駄に明るく声の大きな少年によって途絶えた。

「チッ……、思ったより早く嗅ぎ付けやがったな」

 明衣を背後に追いやり、圭太は扉を勢いよく開けた。外に居たのは予想通りの面々――転入生と不愉快な仲間達だ。

「圭太! いきなり俺を突き飛ばすなんて酷いぞ! しかも俺、あの格好いい人と仲良くなりたかったのに仲間外れにするなんて最低だ! 今すぐ謝れば許してやるからさ、ちゃんと謝れよ!」

 圭太は耳を塞いでいても聞こえる声のボリュームにも顔色一つ変えず、何もかもを聞いていなかったかのように無視して恵にある提案をした。

「この場にいる全員がちゃんと座れてゆっくり出来るところで話がしたい。食堂に来た風紀委員長と生徒会長も連れていくから、良い場所知らないか?」
「俺の話無視すんなよ! 人の話を無視しちゃいけないんだぞ!」
「ちゃんと『お詫び』がしたいから出来ればキッチンなんかあればいいんだけど。俺、謝る時は『お茶とお菓子をあげて謝罪の舞を踊りなさい』って、ばあちゃんに言われてるから踊れるくらい広い場所がいいんだけど」

――そんな謝り方ねぇよ!
 そう周りはツッコミを入れそうになったが、恵によってそれは遮られた。

「お菓子!? 謝ってもらうだけでもいいんだけど、圭太がどうしてもって言うんなら貰ってやるよ! 生徒会室なら広くてキッチンもあるぜ!」
「……」

 とりあえず恵を生徒会室へ行かせることに成功した圭太は、次の作戦の為にも、恵を先に生徒会室へ追いやらなければならない。

「舞の準備とお菓子の材料買い出しと色々やることあるから先に行っててくれ」
「そんなこと言うなよ! 俺も手伝ってやるからさ!」

 何もかも圭太の予定通りに恵は答えてくる。自分は愛されて当然だと思っている恵は、自分の周りに友達という肩書きを背負わせた人間がいなければ喚く。今、彼が注目しているのは圭太であり、個人行動は認めてはくれないだろう。そこで彼に逆らってしまえば、の話なのだが。
 圭太は恵と一緒に行動をしている中で、彼の攻略法を見つけていた。自己中心的な恵は自分に利益があり、自分の為に何かをしてくれるのなら余計な詮索はしてこないのだ。

「何事も手を抜きたくないんだ、それに手伝ってもらったら俺が謝る意味がなくなる。副会長さん達をこんな狭い所に立たせているのも悪いし、恵にしか任せられないんだ頼む」

 そして、頼まれたり頼りにされると喜ぶ。名前で呼ぶことも忘れてはならない。
 さらに、さっきの食堂で判明したのが恵は低音エロボイスに弱い。地声でさえ声フェチの明衣が食い付く程、魅惑的な艶のある低音ボイスである圭太が、意識的に甘い声色で言葉を紡げば、――その場に居た全員の時が止まった。

「やってくれるよな、恵?」
「あ、っお、おう! ま、任せとけ! 圭太も早く準備して来いよ?」
「分かった」
「っ……! お、お前ら早く行こうぜ!」

 とどめに顔を赤らめている恵に優しく微笑んでみれば、慌てて仲間達を引き連れて去って行った。バタバタと慌ただしく去っていく彼らを見送りながら、圭太は口角を上げた。

「計画通り」

 恵達はこの時、真っ黒な笑みを浮かべていた圭太を知らない。

「とりあえず雫ちゃんと合流して生徒会室に行く……、どうした?」

 恵の前で平然としていた圭太は、あの爆音とも取れる声を遮断していた耳栓を外しながら悠々と室内に戻ってきた。
 椅子に座っている明衣を視界に捉えると、目が合った途端にじとりとした視線を向けられ、明らかに何かに対して怒っていることに気づいた。圭太には何が明衣の怒りの琴線に触れたのか、推測するのは容易かった。
 人とコミュニケーションを取ることを『避ける為』に半無意識的に身についた観察力と洞察力は、今まで圭太がいかに目立たず、スムーズに、平和に学生生活を送れていたかを知ればその能力の高さは理解出来る。
 ありふれた顔立ちではあるが、圭太の場合は手加減と黙秘を続けていなければ簡単に目立つことが可能である。学力に関してだけは一人部屋の魅力の前に、その異常さを公にはしているが。
 目立たず平和に、というのはただ黙って影の薄いキャラを演じるだけでは成り立たない。どんなに空気のようになろうとも人間がこれだけ居れば、単に興味本位で近づいてくる者や弱い者虐めで自分は強いと優越に浸ろうとする者、手を差し伸べようとする偽善者――完全に絡まれなくなるということはない。
 その例があの転入生だ。彼の場合は例外に位置されるのかもしれないが。
 明衣の性格と食堂での恵との悪すぎる初接触から推測すれば、恵への警戒や役員達への憤り辺りだろうと圭太は踏んでいた。
――さすがにこの推測はまだ俺の自惚れにしか過ぎねぇな。
 他にも浮かんだ推測はあったものの、ばっさりと切り捨てた。
 しかし、明衣が口にした怒りはその切り捨てた方の内容と近いものだった。

「圭太の声、俺以外に気安く聞かせてんじゃねぇよ」

 やっとまた話せるようになった、聞けるようになった。もっともっと誰にも邪魔されずに圭太と一緒に居たいのに。
 溢れてくる憤りを止められず、吐き出した言葉は怒りからか不安からなのか震えていた。

「むかつく、むかつく……猿と圭太が話してる時は何ともなかった! でもあいつは食堂に居た時、絶対圭太に惚れてやがった……気に食わねぇ」

 無意識の内に抑えつけてきた圭太への感情が爆発した瞬間だった。何でも手に入れたい我が儘な王様には、圭太の存在を手放す気も誰かに渡す気も毛頭ない。

「声も身体も何もかも全部俺のモンだろ?」

 圭太はネクタイを掴み座っていた明衣を上向かせると、唇に食らい付くようにキスをし、少し空いた隙間から舌を侵入させると乱暴に口内を犯した。

「んっ……、けい…た?」
「はっ、お前は昔から読めねぇ奴だ。嫉妬したってか? くくっ、嬉しい誤算だ」
「は…? どういう意味だ」
「後でゆっくり可愛がってやるから機嫌直せ、明衣」
「――ッ!?」

 耳元で囁かれるようにして言われた事とペロリと舐められた感触に、明衣は驚きすぎて声にならない悲鳴を上げていた。






人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -