▼ 総長様はマゾヒスト
――また派手にやったらしい。
遠巻きにひそひそと囁かれるのは、決まって恐怖している言葉ばかりで。
――気に入らない、面白くない。
不協和音をシャットアウトして颯爽と歩く彼は、不機嫌なのを隠そうともせず、学校の門をくぐった。
この街は昔から治安が悪かった。喧嘩の強い人間を求め、この街周辺から不良達が集まる。一度根付いてしまったものは簡単には離れない。
族同士の抗争は昼夜問わずあらゆる場所で起こり、警察は人手が足りないと悲鳴を上げていた。学力も品行方正も良くない不良の溜まり場、と呼ばれているT校には今日も騒音が絶えない。
「あ、総長じゃん! 朝から来るなんてめっずらしいね!」
しかし、そんなこの街も少しだけ落ち着いたのだ。
無造作に後ろに撫でつけただけの金髪は、遠目からでもよく目立つ。金髪だから目立つのではなく、"彼"だから目立つのだ。
全勝不敗の最強を誇る族、その頂点に君臨しているのが彼なのだ。彼が居ることでばらばらだった不良達はまとまり、無駄な争いが減った。不良が多いことに変わりないが、それでも以前よりはましになったのだ。
「見て分からねぇか? 急いでんだよ、口出ししてんじゃねぇ」
「ごめんごめん! そんな怒らないでよー、総長」
話しかけてきた飄々とした男は、降参だと両手を軽く上にあげ、ヒラヒラと振った。素早い身のこなしで、今にも殴りかかりそうな男から距離を取ると、顔の前で手を合わせた。
「殴るのはマジ勘弁して、総長の一撃は洒落になんないくらい重いんだからさぁ」
「チッ……用もねぇのに呼ぶな、失せろ」
射殺す様な鋭い視線に、この男の右腕である飄々とした男は苦笑している。相変わらずつれないなぁ、等と軽いノリで大きな独り言を言った。
金髪の男はそんな男のことを見ることもなく、通り過ぎる。校舎の方へ向き直り、再び歩き出した総長と呼ばれた男――八雲流一は苛立ちを隠すことなく、ざわざわと自然と開けていく道を歩いて行った。
人気のない廊下の先、校舎の一番奥で八雲は歩みを止めた。辺りは薄暗く、ボロボロな扉には、『保健室』と殴り書きで書かれたプレートが下げられている。
生徒の姿は全くない。新しく出来た第二保健室を利用するのが大半であり、ここの保健室へ頻繁に顔を出すのは八雲と他数名ぐらいである。八雲がよくここを利用しているから人が来ない、というだけでは決してない。
近寄りがたい雰囲気があるのは、この部屋に居る人間の性格が顕著に表れているからだ。この部屋の主は、腕は確かなのだが、やたらと痛覚を刺激される治療で有名になっている。
例えば、傷口に消毒液を塗る時は唐突に治療を始め、わざとしみる様に塗りこんでいく。その時の保健医の愉しそうな顔を見た生徒は、アイツは悪魔だと語る。
しかし、お構い無しにガラリ、と八雲は豪快に開けて中に入った。外よりはまだ奇麗に整えられている室内では、白衣を身に纏った黒髪の男が優雅にコーヒーを飲んでいた。
が、八雲を見るなり眉間に皺を寄せた。
「来んなって、俺は言ったよなぁ?」
「知らねぇよ、てめぇの都合なんざ」
吐き捨てるように言う八雲に、白衣の男は苛立ちながら立ち上がる。少し下にある、獰猛な笑みを浮かべる八雲を嫌悪の目で見下せば、八雲は恍惚とした表情で目を細める。
「わざと怪我して興奮してるような変態を相手にしてる暇はねぇんだよ」
「消毒ぐらいしろよ、一応保健医だろ」
「それだけ元気があるなら診察は要らねぇな、帰れ」
扉付近までぐいぐいと八雲を押して行くと、蹴り飛ばし、閉めようとした。
しかし、ガッと寸でのところで、八雲は尻もちをついたままの体勢で左足を挟んでそれを阻止する。
「オイ、足どけろ」
「誰が素直に引き下がるかよ」
保健医の住良木輝久は、八雲に身を引く気が微塵もないと理解するや否や、中途半端に室内に侵入している足を思い切り踏みつけた。脛を容赦なく踏まれれば、普通であればあまりの激痛に逃げ出すはずだ。
――それなのに、こいつは。
苦しそうに、人が顔を歪める様を見るのが好きな住良木にとって、八雲は邪魔でしかなかった。
「ぅあっ……!」
「喘ぐなきめぇ」
「は……ぁっ、火ぃ点けといて放置とか、やっぱ最高だな住良木センセーは」
「勝手に着火してんじゃねぇよ屑が」
最強の総長様は苦痛に顔を歪めることはなく、痛めつければ痛めつけるだけ興奮するドMであった。
*****
「は、なせっ……!」
「傷の手当て、してくれたら自由にしてやるよ」
あれからしばらく扉を挟んでの攻防が繰り広げられていたが、最強の名を持つ八雲が本気を出してしまえば、じわじわと道は開けていった。そこからの行動はあっという間だった。
住良木を後ろ手に拘束すると、近くに置いてあった包帯でぐるぐる巻きに縛り、トンと背を押してベッドへ倒した。ギシリ、とスプリングの軋む音がした。
「ほら、早く」
身動きの取れない住良木の上に乗り上げると、舌舐めずりして待ち構えていた。妖しげに爛々と輝く目が、住良木を完全に捉えている。
「それが人に物を頼む時の態度かよ」
「いいな、その目。その心底嫌そうな目、クる」
罵声を浴びせようと開きかけた口は塞がれ、じわりと鉄の味がした。視界いっぱいに広がる金色――嗚呼、吐き気がする。
住良木は、八雲が体勢を変えたことで、少し自由になった足を思い切り振り上げた。
「あぐっ……!!」
「そのまま不能になれ、糞餓鬼が!」
蹲る八雲の姿に、住良木は脱出を試みた。が、ダンッと顔の横で音がした。両腕をついた八雲の表情は、逆光になっていてよく見えない。
「手、どけろ」
「……ぁー…くそっ……」
「あ? 何をぶつぶつ言ってんだ気持ちわりぃ」
「イっちまったじゃねぇかよ……」
はらりと落ちてきた前髪を後ろに掻き上げ、脱力している八雲は壮絶な色気を放っていた。ぞわり、と全身の身の毛が弥立つ。何も言えず、喉の奥が引き攣る。
八雲の瞳に映っていた自分の姿は酷く滑稽で、今まで自分が見て笑っていた者そのものだった。そこでハッと我に返った。
侮蔑を込めて睨めば、八雲は嬉しそうに圧し掛かってきた。
「なぁ、もっと愉しませてくれよ」
耳元で囁かれた言葉に住良木は、答えの代わりに八雲の耳にあったピアスを噛み千切った。
END
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総長:八雲流一(やくもるいち)
保健医:住良木輝久(すめらぎてるひさ)