「そうだ、教科書を取りに行こう」



そう思った。阿部に貸した現文の教科書を返してもらいに行こうと思った。べつにすぐ現文の授業があるわけではないし、今がテスト週間中だからといって勉強するわけでもないけど(現文なんてサボリ教科だ)、なんか今の休憩時間ヒマだし、次の生物の授業の予習も昨日家で頑張っちゃったし、阿部に借りてたマンガを明日持ってくるねってことも伝えたいと思ったし、まあそんなかんじで。阿部のクラスに出向いてみたが、あのウニみたいな頭の奴が見当たらない。近くにいた人に聞いてみると、なんでも野球部の集まりに行ったとか。幸い、場所は二つ向こうの空き教室らしく、野球部は同い年しかいないし、知ってる人もちょっと(三橋くんと栄口くんと田島くん)いるし、ここまで来たし、せっかくだから行ってみようと思った。教室に近付く度に騒ぎ声が鮮明に聞こえてきた。もう話し合いとやらは終わったのだろうか?



「なんだよー!おまえらデキてんのかよー」 「俺はなんとなく思ってたぜ」  「えぇ、しのーか、阿部なんかのドコがいいんだよー」「オイ、それ俺に失礼だろ」   「わはは、水谷フラれたー!」  「ちゅーしろ、チュー!」「や、やめてよみんなして!」「そうだぞ、水谷のキモチ考えろよ」 「お、俺、泣かない…もんっ」 「おぉ!水谷エライ!あべしね!」「さすが男だよ水谷〜」 「…おい今誰かさり気なくなんつった!?」






私は何も聞かなかったことにして、自分の教室へそそくさと戻った。生物の授業の後、阿部が現文の教科書を返しにやってきた。色々言いたいことはあったけど、阿部の顔を見たら言葉が出てこなくて、そのまま噛んで飲み込んだら、ゲップの代わりにため息が出た。


「人の顔見てため息つくなんていい度胸してんじゃねーか」
「ごめん、つい」
「……。なんか変なモン食った?」
「食ってない」
「“食べてない”だろ。お前ほんと女のくせに言葉遣い悪いな」
「阿部だって女子に嫌われる男子代表のくせに色恋にうつつぬかしてんじゃん」
「そんな代表になった覚えねーよ」
「名誉勲章だよ」
「そういや、お前漫画は?だいぶ前に貸したやつ」
「……まだ」
「はあ?まだ読んでねーのかよ」
「今読んでるの!」
「今読んでるって…お前テスト週間なのわかってる?勉強しろよ」
「……さいな」
「あ?」
「うるさいなあって言ってんの!阿部にそんなこと言われなくてもわかってるよ!全部!私だって色々、色々考えてるんだから、阿部なんかに、他人の阿部なんかに言われたくないよ!」



私が一通り言い終えると、阿部は目を逸らしながら「チッ、そうかよ……まじ意味わかんね」とだけこぼして、教室を静かに出ていった。







ジ・エンド


御愛読ありがとうございました!
名字名前先生の次回作にご期待ください!








「ちょっとちょっと。変なナレーション入れないでよ。名字名前先生って誰よ。あんたの人生なんてコミックス化する価値も無いわ」
「相変わらず久実ちゃんは言うねえ」
「で、何よ今の」
「久実ちゃんがさっきの騒ぎはなんだったのかって聞いてきたんじゃん」
「ああ、そうだった。だって私がトイレから帰ってきたら教室静まり返ってるし、なんかみんなソワソワしながら名前のこと見てるし」
「ね。あれからみんなが近寄ってきてくれない」
「当然でしょ。そんなに盛大にクラスの真ん中で喧嘩したら。喧嘩って言っても阿部くんは被害者だけどねえ」
「えっ、なんでよ!なんでアイツが被害者なのよ!」
「だってそもそも名前がなんでそんなにキレたのか普通に考えてわかんないし。まあ、大方篠岡さんのくだりのとこだと思うけど」
「…べつにそこにキレたわけじゃないよ。阿部が口煩く色々言ってくるから…。アイツは私のオカンかってーの!第一、勝手に付き合えばいいじゃん。私がなんやかんや言うことじゃないし。でもさー、正直どうなわけ?マネージャーと部員って!部内恋愛禁止でしょ!普通!特に野球部なんて!純粋に野球やってるんじゃなかったのかよあのタレ目。どうせマネージャーがおにぎり作ってくれたり、暑い日に麦茶コップに入れて運んできてくれたり、ノックでボール渡される時とかウハウハしてたんでしょ。あーイヤラシイ!球児ってもっと綺麗なもんでしょ!?」
「…超なんやかんや言ってるんですけど……」
「…………」





久実ちゃんはそれ以上何も言わなかったが、顔にデカデカと「アンタ、阿部くんのこと好きなんじゃないの?」と書いてあった。だから私も「わかんないけど、違うと思うよ」と顔に書いてみたけど、久実ちゃんに伝わったかどうかは謎である。








それから四日後、久々の現文の授業だ。教科書を取り出した途端、阿部の顔を思い出してなんだか気持ち悪くなった。ページを開くと、なぜか漢字の小テストが挟まっていた。名前の欄には阿部隆也と記されている。二十問中正解が七問って…大丈夫かアイツ。こんなの一回テキスト見れば書けるような漢字ばっかじゃん。ていうか、なんでこんな紙が挟まってるんだ?要らないから?ゴミ?嫌がらせ?心底嫌な奴だなあと思いながら何気なく裏返してみると、文字が書いてある。『放課後、社会科室前で侍ってる』なんじゃこりゃ。頭の中でこの怪文を咀嚼してみる。“さむらいってる”?あ、馬鹿だコイツ。“待”と“侍”間違えてる。放課後待ってる…ってどういうことよ。いつの話?この教科書を返して貰ったのは四日前。阿部が私たちのクラスが授業変更で今日現文の授業が入ったことなんて知るはずもないから、やはり四日前に私は阿部に呼び出されていたんだ。悪いことしたな。でもあの日、あんなことになっちゃったし、どうせ阿部も来なかったに違いない。うん、そうだ。そうに違いない。そうじゃなきゃ困る。




私は、帰りのSHRが終わると社会科教室へと足を運んだ。きっと、絶対居ないだろうけど、もう四日も過ぎてるし、でも、行かなかったとか、なんか癪に障るし、一応行ったという証拠だけでも残しておこう。





「…………あんた、なんでここにいんの!?」


社会科教室の前の廊下に腰を下ろし、漢字のテキストを赤シートで隠しながら暗記をしている阿部がいた。思わず私は身構えてしまう。



「…しょうがないじゃん、今日知ったんだから。来たのだって、無視して行かなかったら後味悪いなって思ったから来ただけであって、阿部が可哀相とか思ったわけじゃないし、今日はたまたま部活がなくて放課後暇で…」


言ってて自分で悲しくなった。私っていつも言い訳ばっかりだ。言い訳で自分の気持ちを濁してる。どうしてだろう。どうしてかな。本心だけの言葉を否定されるのが怖いからかな。自分にいっぱい保検…おっと間違えた、保険かけてるのかな。色恋にうつつをぬかしてる阿部よりもっと根暗で気持ち悪い。




「…こないだは、びっくりした」
「うん…」
「……」
「……」
「……」
「…ごめん……」
「俺もごめん」
「ほんとは漫画もう読んだ。面白かった」
「そこかよ」


私たちは顔を見合わせてにいっと笑った。こんな悪い笑みは阿部の専売特許だけど、今日は私も便乗させてもらおう。


「篠岡さんと付き合ってるんだって?」
「は?何そのデマ」
「………はい?だ、だってこないだ野球部のみんなで…」
「…あー、アレね。お前聞いてたんだ?あれただの連想ゲーム」
「…連想ゲーム?」
「そ。心理テストみたいなやつ。で、篠岡が彼氏にしたい人で俺の名前を書いてたってわけ」
「それだけ?」
「それだけ」
「なんだぁ…」
「何それ、俺期待していーの?」
「過度の期待はノーセンキュー」
「なんだそれ」
「阿部こそあんな汚い字で私を呼び出して期待していーの?」
「過度の期待はノーセンキュー」
「なんだそれ」


私は、ぶはははっと阿部と一緒に可愛げもなく笑った。私にはこういうのが性に合ってる。




「俺の言いたかったことわかるだろ?」
「うん。顔に書いてある」
「お前の顔にも書いてある」
「うん。だから、今日は言わないでおこうよ」
「そうだな。まだテストだって残ってる」
「そうだよ。阿部、漢字壊滅的じゃん」
「うっせ。お前数学サッパリだろ」
「英語もね」





単細胞生物



人間って単純な生き物だから、字なんか書けなくても、顔を見ればすぐにわかってしまうのです。