私の彼氏、榛名元希は高校野球でもちょっとした噂を呼び、大学野球ではテレビでも盛大に取り上げられて話題になり、一年前に本場アメリカの球団にスカウトされて現地へと飛び立った。私と榛名の出会いは、今ではもう遥か昔のこととなる。家から一番近いからという理由で受験した武蔵野高校でやたら態度のでかかったクラスメートを私は何故だか好きになってしまい、全然ロマンチックでもないやり取りから付き合い出し、気が付けば私も今年で26である。結婚適齢期ドンピシャでありながらそんな予感は全く無い。彼はアメリカだし、私がこれからアメリカへ行く予定も無い。であるからして、当然結婚の話も無い。彼から月に三回程テレビ電話があるだけだ。しかも早朝だったり、深夜だったり、仕事中だったり、本当に突然だ。もう少し時差を考えてほしいんだが…(まあ、仕事中でも「トイレ行って来ます!」とか言って個室の中で電話しちゃうんだけどね)。携帯画面に映る榛名は日に日に顔つきが大人っぽくなって、肌も黒くなって、半年も経てば私の知らない榛名が完成だ。ちょっと寂しい気もするが、仕方がない。だってそれは、私の知らない間に榛名がたくさんたくさん頑張ってるってことだから。




榛名と離れて、顔を合わせるのは月三回程の携帯からのテレビ電話。環境が変わると今まで気にしていなかったものが気になるみたいで、おしゃれやメイクやエステに興味が出てきた。榛名にいつも自分のもうこれ以上は元が元だから無理!っていうくらいの限界値の可愛い顔を見せてやりたい。私の知らない榛名になっていくのを、私は前より女らしくなっている私で追いかけたい。なのに、榛名はそれが嫌みたい。初めて付け睫毛を付けた時も、黒髪だったのを茶色に染めて毛先をくるっとカールさせて可愛いでしょ?って言った時も、榛名は全然嬉しそうじゃなくて、苦虫を噛み潰しちゃったみたいな顔をする。私は知ってる。榛名が私に変わってほしくないって思ってることを。慣れないアメリカ、慣れないメジャーでの生活に疲労困憊してしまった時、日本にいる私、メジャーに入る前当たり前の様に隣りにいた私を見たいのだ。髪の毛の色を明るくした私じゃなくて、前より可愛くなった私じゃなくて、いつも櫛で梳いただけの黒髪で、おしゃれなんかよりも食べ物にお金をかけて、榛名と年越しスマブラするのが好きで、榛名の前では平気でゲップとかする私が見たいのだ。なんで?なんで?なんで駄目なの?榛名だけどんどん先に進んでっちゃうのに、私はここを動くなって?そんなの自己中だよ。そのままでいられると思ったら大間違い。人間なんて季節と一緒。流れて流れてまた流れて…。変わらないでいることなんてできないんだよ。榛名はそれをわかってない。




新作モデルのスカートを買うより、いいレストランでランチをしたいと思っていた流行に多少(ほんとに多少)(ほんとのほんとに多少)ズボラだった私がおしゃれに投資なんかし始めたおかげなのか、よくモテるようになってしまった…。いや、これは決して自慢ではなくて、お付き合いを迫られても、あのメジャーリーガーの榛名元希と付き合ってるのでお断りしまーす!なんて言えないので正真正銘の榛名の彼女なのに肩身の狭い思いをしていたりする。別に世間に榛名との交際を隠したいわけじゃない。現に、高校や大学の友達なら大体の人が知ってる。でも、会社の同僚に考え無しにふれまわっていいことじゃないと思うのだ。気心の知れた友人に相談したら「いや、あんたたち高校の時から付き合ってるのに社会人の今でも名前で呼び合ってない方が問題」と言われてしまった。思わぬ所からの攻撃。たしかに私は榛名のことを榛名って呼ぶし、榛名は私のことを名字って呼ぶ。だって今までずっとそう呼んできたんだから、「この際名前で呼びましょうよ!」なんて言えるわけがない。私にとって榛名は榛名だ。でもそれが友人に言わせるとおかしいらしい。榛名がアメリカに旅立つと決まった時、私も一緒に行くと一回でも言わなかった私はおかしいらしい。




はーあ。榛名とはもう一年も会っていない。オフはあるが、こっちに帰ってこれるだけの休みは貰えないらしい。いきなりメジャーの一軍で使ってもらえるほど甘くはない世界だと聞いているので、やはり練習したいのだろう。その気持ちはわかる。しかし、あまりにも…あまりにも……うーん、これがセックスレスというやつか。もう一年も榛名とセックスしてないんだよ?これで私がこないだの知人の会食会で口説かれた年下の製薬会社のイケメンにコロッと騙されてもしょうがないよね?だって私26歳だよ?早くしないとあとは衰えていくだけなんだよ?はあ…榛名とセックスしたい。榛名とキスしたい。榛名と抱き合いたい。榛名と手を繋ぎたい。榛名の顔をくちゃくちゃに揉んでやりたい。そんで、前耳たぶを噛まれたことを私はまだ許してないから、仕返しに榛名の鼻を噛んでやるんだ。次に会った時は。



……あれ?
“次”っていつ…?







『なんで膨れっ面なんだよ』

iPhoneの画面に映る榛名のムスッとした顔。当たり前だ。今何時だと思ってるんだ。夜中の二時過ぎだぞ。私明日(もう今日か)会社行くの早いんだぞ。五時に家出なくちゃいけないんだぞ。


「べっつにー。私五時に仕事行く予定なのに、どっかの誰かさんがこんな時間に電話なんてしてくるからじゃないですかねー?」
『そんな顔してっと不細工な顔がもっと不細工になるぞ』
「失礼ね。言っとくけど、この間だって年下のイケ…」
『なあ、お前って英語話せるか?』
「はあ?あんた人の話聞きなさいよ!あ、わかった。榛名一年もそっちにいるのに英語話せないんでしょー?ぷくくっ」
『うっせ。俺のことはいーんだよ。お前はどうなんだよ』
「会社員なめないで。今は英語喋れないといい会社なんてどこも雇ってくれないんだから。多分榛名よりは喋れるよ?」
『ふうん。ならいいや』
「さっきから何?今日の榛名意味わかんない」
『名字こそわかんねえの?』
「え?」
『今日、俺らの記念日』
「え、うそ…………い、言い訳させてもらうと、そんな毎月付き合い始めた記念日お祝いしてたのなんて大学の最初くらいまでじゃん」
『別に名字を責めてるわけじゃねーよ。俺だって調べなきゃ忘れてた』
「だろうね。私の22の誕生日の時に貰った指輪のサイズも間違えてた榛名がそんな几帳面なはずないよね。…あれ?なんで調べたの?」
『せっかくの一大報告だからな。俺さ、…そのー、…一軍に上がったんだ』
「…うっそ!え?え?すごいじゃん!え!?」
『アッハハ、落ち着けって』
「無理でしょ…!」
『それでな、名字にこっち来てほしいんだ』


さっきまでの大口開けて笑ってた顔が嘘みたいに真剣。思わず目が離せなくて息が詰まる。え?こっち?どっち?あっち?そっち?………アメリカ!?


「あああアメリきゃ…!?(噛んだ…)」
『そんなに驚くかよ』
「当たり前だよ!」
『じゃあ、次は腰抜かすぜ?』


は?腰?次?私が頭の上にクエスチョンマークを浮かべているのもお構いなしに、榛名は片手をゴソゴソと動かして何かを取り出しているようだ。腕の途中で画面から切れてしまっているので見れない。榛名は親指輪と人差し指で摘んだ光る物を携帯へと近付けた。私は榛名が喋り出した時に、ようやくそれがダイヤの付いた指輪だということに気が付いたのだ。


『名字、結婚しようぜ』



「…………」
『はは、今度は指輪のサイズも間違えてねーよ?』
「………ばか」
『あ?なんだって?聞こえない。もっと大きな声で喋れよ』
「ばか!ばかばかばか!榛名の馬鹿!元希の馬鹿!」
『は、はあ?なんだよ嬉しくねーのかよ。頬染めてゼクシィとか買いに行けよ』
「ばか!そういうとこが馬鹿!遅いよ…!………はるにゃのばか…」
『……ぷっ…おま…顔ヒド』
「…うっさいなあ。今ノーメイクだから女の涙は綺麗効果は発揮できないの!」
『なんだそれ。おまえは化粧なんてせずに不細工な顔下げて歩いてればいいんだよ!』
「いつもそう言うんだから…。………ねぇ、榛名」
『ん』
「私、変わっちゃうよ。榛名が求めてる名字名前ではいられないよ。彼女の名字名前じゃなくて奥さんの名字名前になっちゃうんだよ?私が変わらない保証なんてないよ?それでもいいの?」
『はあ?何わけわかんないこと言ってんだよ。……俺は、…名字名前ならなんだっていいんだってーの』











「ねえ榛名。キスして?」

そう言ってiPhoneを耳に当てると小さなリップ音が聞こえて、顔を赤らめる榛名に私は笑った。


『ばっか、何笑ってんだよ!ケータイにキスなんかして俺ただの変態にしか見えないんだかんな…!もっと気ぃ遣えよ!』



大好きだよ!

愛してるよ!

いつだって!

どうなったって!