「俺、名字のこと好き」

「……あい?」


それは、突然だった。



「だからあ、名字が好きって言ってんじゃん。何度も言わせんな」
「いやいやいや…病気?大丈夫?」
「…おまえ…、いっぺんしね」


だって、わたしと泉くんはただの友達だったわけで。そんなに仲がいいわけでもなく、当たり障りのない絶妙な距離感を保っていたわけで。わたしが一方的に思いを寄せてただけなわけで。決して、泉くんの恋心を匂わせる場面なんか今までなかったわけで。果たして、この条件で、泉くんのさっきの言葉を素直に受け入れることができるだろうか。…というか、わたしにはできない。


「…ありえない」
本音が漏れた。だって…、ねぇ?

「…そんなに俺のこと嫌いかよ」
「ううん、好き。だから、余計信じられない」

泉くんは、わたしの台詞を聞くと、大きな目を更に見開き、そして笑った。そんな優しい顔しないでよ。わたし、落ちる。(もうとっくに落ちてるけど)



「これが…、現実。」

二の腕を掴まれ(そこ気にしてるのに)、少しだけ、泉くんの唇がわたしの唇に触れた。それは、ファーストキスと呼ぶには、唐突で、事故と言うには、悪意というものが微塵もなかった。そのままわたしの視界から泉くんは消えて、目の前に広がる廊下の窓越しの木々が音も無く揺れているのだけが印象的だった。背中が妙に重くて、泉くんの手の感触がワイシャツ越しにわかる。男の子に抱きしめられたのなんて、初めてだよ。こんなに力強いものなんだね。知らなかった。わさわさ。ざわざわ。そんなざわめきが頭の中に何度も流れる。





顔。顔が見たいよ。泉くん。

「い、ずみ、くん…?」

泉くん。こっち向いてよ。状況説明してよ。泉くんがわたしにキスして、泉くんがわたしを抱きしめてる。これは、何?木は、きっとざわざわ言っているんだよ。だけど、わたしにはそれは聞こえない。泉くんにも聞こえない。そうでしょう?



「泉くん。」

「ばか。こっち向くな。…ああー、めっちゃはじー!…」








世界は廻るというけれど



(あの時、確かに、時が止まった)