私は、実に無気力な人間だ。
これは、自称でも自負でもない。
真実だ。







「一緒に学校行こうぜ!」

そう田島が言わなかったら、私は面倒臭い学校に自ら行ったりはしない。


「一緒に出掛けようぜ!」

そう田島が言わなかったら、私は休日に家から出たりはしない。


「一緒に課題やろうぜ!」

そう田島が言わなかったら、私は馬鹿みたいな量の課題をやろうとはしない。


「一緒に映画見に行こうぜ!」

そう田島が言わなかったら、私はわざわざ泣き虫になりに映画館なんかには行かない。


「一緒に謝りに行こうぜ!」

そう田島が言わなかったら、私は数少ない友達と喧嘩をしても謝りに行ったりはしない。


「一緒に断りに行こうぜ!」

そう田島が言わなかったら、私はある男子生徒の告白をわざわざ自分から出向いて断りに行ったりはしない。


「一緒に恋してみようぜ!」

そう田島が言わなかったら、私は恋をしてみようとはしない。


「一緒に告白しに行こうぜ!」

そう田島が言わなかったら、私は好きになった男子生徒に想いの丈を伝えようとはしない。


「一緒にデートに誘いに行こうぜ!」

そう田島が言わなかったら、私は彼氏をデートに誘いはしない。


「一緒に野球部入ろうぜ!」

そう田島が言わなかったら、私は面倒臭いこと極まりない野球部のマネージャーなんてしない。


「一緒に西浦入ろうぜ!」

そう田島が言わなかったら、私は西浦高校を受験したりはしない。


「一緒に受験勉強しようぜ!」

そう田島が言わなかったら、私はやっと義務教育が終わるというのに高校受験のために勉強なんてしない。


「一緒に頑張ろうぜ!」

そう田島が言わなかったら、私は何かに打ち込んで頑張ったりはしない。


「一緒に生きようぜ!」

そう田島が言わなかったら、私はこんな面倒臭い人生を必死になって生きたりはしない。




私は、自分のことをブリキのぜんまい人形か何かだと思っている。誰かに言われないと何もしない。無気力。無意思。無向上。そんな私のネジを回したのが田島だった。最初は誰でも良かった。良いはずだった。でも、もう今では田島じゃないと駄目だ。前付き合っていた彼氏に、何故いつも田島と一緒にいるんだ。俺のことが好きならもっと距離を置いてくれ。と言われた。もちろん、そんなことは私にとって到底無理なことなので、私はその彼との別れを選んだ。私は田島がいないと駄目なのだ。何にもしなくなる。別に私はそれでもいいのだが、そうすると親がうるさいし、まず当の田島がそれを良しとしないだろう。田島は、私に少なからず責任を感じている。田島が言うことは必ずやり、言わないことは必ず片っ端からやらない。言ってしまえば、私がどういう人間になるのか、どういう人生を送るのかは、全て田島次第ということなのだ。善人の田島は、そんなことに知らん顔を決め込むなんてことはできない。そういう心理を、私はある意味いい様に利用しているのかもしれない。田島を見えない糸でがんじがらめ。でも、田島は知らない。その糸の先っぽは玉結びではなくて、今にも解けてしまいそうな蝶々結びだってことを。そう。田島を自由にするのは、私たちの関係を壊すのは、とっても簡単なことなのだ。


「大丈夫。私一人でやるから」


そう私が言えば、田島を捕まえて放さなかった糸はものの見事にスルスルと解けていく。田島は晴れて自由だ。でも私は言わない。それをわかってて言わない。言うのも面倒臭いし、第一、私は“今”をそれなりに気に入っている。これは、恋愛感情という言葉の枠には収まらないくらい複雑で深くて醜態で不愉快で、それでもって愉快で純粋で浅はかで単純なのだ。田島がいて私がいる。田島がいるから私がいる。そんな状況が、心地よい。




「もう昼飯の時間だ!一緒に購買行こうぜ!」
「うん。行こう、田島」
「…なんか、元気ねえ?」
「ううん。ちょっと考え事してたから、多分そのせい」
「…そっか!なら、早く購買行こうぜ!焼きそばパン、まだあっかなー?」




だからもう少し、私のネジを巻いていてね。









Let's loving!



(ネジ巻き人形は、きっとたぶん愛よりも巨大で強靱で鋭利な恋をしてしまったのです)