二月下旬のあくる日、なんという運命か、はたまた嫌がらせか、教室で二人きり、水谷と学級日誌を書くことになってしまった。私は机に突っ伏してうなだれている。その隣で水谷が「なんで俺ばっかり〜」と文句を垂らしながらも日誌を書いている。


「水谷のバカ」
「ば、バカ!?名字のぶんの一日感想も書いてあげてるのに!」
「まじで。それはありがとう、アホ」
「ひ、ひでえ…」


どうして私がこんなにも萎えているのかというと、それは決してこの水谷のバカのせいだけではない。黒板に書かれている日付を見てみる。二月十四日から何日目だ…?ハア、とため息が漏れる。そうなのだ。私の気分を重くしているのは、菓子会社の陰謀・バレンタインデーというやつなのだ。どうして、終わっちゃったんだバレンタインデー。なんで、終わっちゃったんだバレンタインデー。二日間寝込んで考えたけど、結局水谷には渡さなかったバレンタインデー。戻ってこい。いい子だから。


「…バレンタインデー……」
「え?なになに?バレンタイン?」
「あれのせいで二キロも太った」
「どんだけ友チョコ食ったの。俺は篠岡がくれただけだしなー。太るくらい食いてー!」
「え、篠岡さんにはもらったの」
「うん。まあ、部活でみんなに配ってるやつだから義理1000%だけどね」

なんだよ。もらってんのかよ。水谷、女の子からチョコとかもらってんのかよ。義理とか言いつつ口元緩んでんじゃんかよ。あー、イライラする。イライラする。カルシウム不足だな。


「何怒ってんの?」
「怒ってないよ、このドアホ」
「ええ、怒ってるじゃーん!」

そうだよ。怒ってるよ。あんたが一言「名字からチョコ欲しかったな」とかなんとか言えば、とうにバレンタインデーは過ぎたけど、スーパーに行って板チョコ買って、徹夜覚悟で作って明日の朝には持っていくくらいには私はご機嫌になるよ。女って単純なんだよ。ほら、言えよ水谷。ほら、ホラ!


「…なんかすごい睨まれてる」
「うそ、ごめん。つい気持ちが目元に出ちゃった。てへぺろ」
「て、てへぺろ…。名字がてへぺろって言った…明日何か起きるよこれ」
「うるさいなあ。あんた、私に何か言うことないわけ?ほら、今までの流れを読んで!」
「え?…うーん、………あ」
「なに」
「日誌書けました」

そうじゃないだろ!
手渡された学級日誌で水谷の頭を叩く。「いってえ!」と涙目になりながら頭を押さえてる水谷を見て、ちょっと機嫌が良くなった。水谷が「もー!俺、職員室に日誌出してくる!」と拗ねて行ってしまったので、再度机に突っ伏す。ああ、本当はこんなことをしたいわけじゃない。水谷のことをバカ呼ばわりしたいわけでも、水谷の頭を叩きたいわけでもない。何か変えられるかもと思って、でも変わるのが怖くなった。うまくいくかわかんないし、それなら、こんな風にダラダラと漫才みたいな日常を過ごしていけばいいのかな。水谷の隣で私が笑って、それでいいのかな。水谷が他の女の子と笑うところ、私は笑って見ていられるのかな。どうせもうすぐクラス替えだし、水谷と疎遠になる確率8/9じゃん。それなのに私は、残りの1/9を恐れて、水谷と話せなくなったり、メールを送るのを躊躇するようになることを恐れた。バカか私は。世の中じゃ、もっとはずれる確率が高いのに宝くじなんかを買う輩がゴロゴロ居るんだぞ。なんで私は手堅く競馬に逃げてんの。あー、どうしよう。今なら渡せる。きっと渡せる。だって開き直っちゃって、後のことなんて全然怖くない。絶対渡せる。今、チョコ無いけど。もう、バレンタインデー過ぎたけど。



「あーあ、水谷にチョコ渡したかったなー…」
「まじで?」


机に向かってモゾモゾと呟いたら、まさかの返答。うそ、この机しゃべるの?嫌な予感がして顔をあげる。そこにはやっぱりバカが立っていた。机がしゃべってくれた方がよかった。


「なんでいるの」
「いや、日誌忘れちゃって…」
「はあ?日誌出しに行ったのになんで日誌忘れんの?バカ?バカ?バカ!」


バカだろう私!恥ずかしい独り言を聞かれたあげく、それが張本人の水谷だったなんて。ああ、迂闊だった。本当にバカだ。やらかした。バカ!バカ!私のバカ!


「それより!さっきの…」
「さっき?何それ知らない私寝てましたからイビキかいて」
「めっちゃ早口…。誤魔化さないでよ、俺ちゃんと聞いたんだから」
「……」
「……あのー、その、さ…。名字がいいなら、いいけど…」
「……」
「……てへ」
「…は?」
「だから!名字が、その…俺にチョコ渡したいと思ってるんなら、いつでももらうけど…俺は」
「…チョコが欲しいだけでしょ。そんなもんコンビニででも買え」
「違うよ!名字からのが欲しいんだって!」


叫んだ途端、真っ赤にした顔を手で隠して女の子みたいに「キャー、言っちゃったー!」なんて言って浮かれている水谷。こいつはきっとバカ。バカだけど………うん、やっぱりバカだな。



「…水谷」
「ん?」
「お互いの今の失言は無かったことにしよう」
「ええ?」
「そういうことで、じゃ、また」
「え?帰るの!?」


「……スーパーに、板チョコ買いに行ってくる…」